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  • 堅田(かたた、かただ)は、日本の地名・姓。 かただ 堅田 (弘前市) - 青森県弘前市堅田 堅田 (猪苗代町) - 福島県耶麻郡猪苗代町堅田 かたた 堅田 (大津市) - 滋賀県大津市堅田 堅田藩 - 近江国にあった藩。 堅田町 - 滋賀県滋賀郡にあった自治体。 堅田 (白浜町) - 和歌山県西牟婁郡白浜町堅田…
    843バイト (193 語) - 2021年11月12日 (金) 08:14
  • 堅田 (大津市)のサムネイル
    日本 > 滋賀県 > 大津市 > 堅田・本堅田・今堅田 堅田(かたた)は、滋賀県大津市北部の地名である。現行行政地名は堅田一丁目及び堅田二丁目、本堅田一丁目から本堅田六丁目、今堅田一丁目から今堅田三丁目から成るが、広義には真野や仰木などの周辺地区も含む(大津市編入以前の旧堅田町の範囲)。…
    26キロバイト (2,172 語) - 2024年2月3日 (土) 04:51
  • 堅田 (弘前市)のサムネイル
    日本 > 青森県 > 弘前市 > 堅田 (弘前市) 堅田(かただ)は、青森県弘前市の地名。堅田堅田一丁目から堅田五丁目まである。郵便番号は036-8052。 中央部をJR奥羽本線・青森県道260号石川百田線が貫く。町域の西北部から北部にかけて神田、北部から北東部にかけて撫牛子、東部は境関、南部は松ケ枝・俵元、西部は宮川に接する。…
    5キロバイト (328 語) - 2023年11月17日 (金) 00:17
  • 堅田駅のサムネイル
    堅田駅(かたたえき)は、滋賀県大津市真野一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)湖西線の駅である。駅番号はJR-B25。 駅名の「堅田」は、1967年(昭和42年)4月1日に大津市に編入するまで存在した堅田町、また、近江八景のひとつである堅田の落雁(満月寺浮御堂)で知られている。当駅未開業の190…
    21キロバイト (1,724 語) - 2024年3月1日 (金) 15:05
  • 堅田神社のサムネイル
    堅田神社(かただじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社27社のうち第15位である。 二見浦が内宮と外宮の両宮に納める御塩が生産される契機となった神社であり、土地神を祀る。 三重県伊勢市二見町茶屋字堅田442-2に鎮座する。『延喜式神名帳』の「榎村神社」・「大国玉比売神社」双方の論…
    7キロバイト (912 語) - 2023年11月17日 (金) 00:17
  • 佐伯堅田インターチェンジのサムネイル
    佐伯堅田インターチェンジ(さいきかたたインターチェンジ)は、大分県佐伯市長谷にある東九州自動車道のインターチェンジ (IC)(地域活性化インターチェンジ)である。 佐伯堅田ICを含む佐伯IC - 北川ICが新直轄方式に変更されたため、本IC自体には料金所は設置されずに該当する区間は無料で供用される。…
    5キロバイト (499 語) - 2023年11月12日 (日) 16:19
  • 町村制の施行により、本堅田村(ほんかたたむら)・今堅田村(いまかたたむら)・衣川村(きぬがわむら)の区域をもって堅田村が発足。 1901年(明治34年)7月20日 - 堅田村が町制施行して堅田町となる。 1955年(昭和30年)4月1日 - 仰木村・真野村・伊香立村・葛川村と合併し、改めて堅田町が発足。 1967年(昭和42年)4月1日…
    4キロバイト (336 語) - 2021年12月14日 (火) 08:27
  • 滋賀県道313号仰木本堅田線(しがけんどう313ごう おおぎほんかたたせん)は、滋賀県大津市仰木附近を起点に大津市仰木口交点に至る2.6kmの一般県道である。 大津市北部から比叡山へのドライブ連絡道となる。 大津市 滋賀県道47号伊香立浜大津線 滋賀県道558号高島大津線(西近江路) 衣川天満宮 滋賀県立堅田高等学校…
    1,006バイト (107 語) - 2023年8月27日 (日) 22:21
  • 堅田藩(かたたはん/かただはん)は、近江国滋賀郡・高島郡に所領を有し、滋賀郡本堅田村の堅田陣屋(現在の滋賀県大津市本堅田)に藩庁を置いた藩。1698年、下野国佐野藩主の堀田正高が1万石で入封した。6代藩主堀田正敦のときに1万3000石に加増され、1826年には居所(藩庁)を父祖の地である佐野に移した…
    12キロバイト (1,661 語) - 2023年11月17日 (金) 00:18
  • 堅田 (砲艦)のサムネイル
    堅田(かたた)は、日本海軍の砲艦。勢多型砲艦の4番艦である。 1922年11月、播磨造船所においてに完成。それを解体し上海に輸送、東華造船会社で組立てを行い、1923年10月20日に竣工、二等砲艦に類別された。 1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に…
    6キロバイト (926 語) - 2023年4月29日 (土) 17:23
  • 堅田 元慶(かただ もとよし、永禄11年〈1568年〉- 元和8年〈1622年〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏、小早川氏の家臣。 永禄11年(1568年)、粟屋元通の次男(三男とも)として誕生、毛利輝元の近習として召し出されて、寵愛される。…
    14キロバイト (2,209 語) - 2022年6月25日 (土) 17:58
  • 堅田駅(かたたえき)は、かつて滋賀県大津市本堅田にあった江若鉄道の駅(廃駅)。 堅田駅は1923年(大正12年)12月、江若鉄道の雄琴 - 堅田間の開通に伴い開設された。堅田から先に路線が伸びるのは翌24年4月のことで、このときは和邇駅までの区間が開通した。 堅田
    11キロバイト (1,089 語) - 2023年11月12日 (日) 05:46
  • 滋賀県立堅田高等学校のサムネイル
    滋賀県立堅田高等学校(しがけんりつ かたたこうとうがっこう)は、滋賀県大津市本堅田三丁目に所在する公立の高等学校。略称は「堅高」。 普通科 戦後の学制改革として六・三・三制度が導入され、1948年4月より新制高校が発足することとなった。しかし当時の滋賀郡には旧制中学が存在せず、中学へ通学するには運…
    8キロバイト (1,059 語) - 2023年10月21日 (土) 01:48
  • 堅田郵便局のサムネイル
    堅田郵便局(かたたゆうびんきょく)は滋賀県大津市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。 住所:〒520-0299 滋賀県大津市今堅田2-21-26 1872年3月9日(明治5年2月1日) - 堅田郵便取扱所として開設。 1875年(明治8年)1月1日 - 堅田郵便局(五等)となる。…
    5キロバイト (555 語) - 2022年12月1日 (木) 07:46
  • 堅田 少輔(かただ しょうすけ、嘉永3年10月26日(1850年11月29日)- 大正8年(1919年)11月29日)は、幕末の長州藩士、明治から大正初期の教育者、政治家。長州藩家老、衆議院議員、山口県都濃郡湯野村長。旧姓・高洲。諱・信義、親正。通称・健助、大和、少輔。…
    5キロバイト (694 語) - 2023年2月23日 (木) 03:13
  • 堅田 就政(かただ なりまさ)は、江戸時代初期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。家格は寄組筆頭。湯野領主堅田家の第2代当主。 慶長19年(1614年)、堅田元慶の嫡男として江戸で生まれる。 父が病床についた元和6年(1620年)にわずか7歳で元服。元和8年(1622年)に父が死去すると、翌年の元和9年(…
    5キロバイト (565 語) - 2023年11月11日 (土) 14:39
  • 堅田剛(かただ たけし、1950年1月27日-2015年2月27日)は、法制史学者、獨協大学教授。 1950年栃木県宇都宮市生まれ。1975年、上智大学法学部を卒業。その後は明治大学大学院法学研究科で学び、1980年に博士課程満期退学。 卒業後は獨協大学法学部講師、助教授、教授。同時に、明治学院、中央大学、埼玉大学で非常勤講師も務めた。…
    5キロバイト (568 語) - 2022年5月14日 (土) 03:47
  • 大津北警察署のサムネイル
    大津北警察署 (堅田警察署からのリダイレクト)
    堅田町・旧志賀町の範囲を管轄としている。 滋賀県大津市真野二丁目20番23号 大津市のうち 仰木町 仰木一丁目 - 七丁目 仰木の里一丁目 - 七丁目 仰木の里東一丁目 - 八丁目 本堅田一丁目 - 六丁目 堅田一丁目・二丁目 衣川一丁目 - 三丁目 今堅田一丁目 - 三丁目 真野一丁目…
    4キロバイト (424 語) - 2021年12月26日 (日) 02:18
  • 大津市立堅田中学校のサムネイル
    1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併により堅田町立滋賀中央中学校と改称。 1956年(昭和31年)4月1日 - 堅田町立堅田中学校と改称。 1967年(昭和42年)4月1日 - 大津市、堅田町、瀬田町合併により大津市立堅田中学校と改称。 勝承夫作詞/下総皖一作曲 大津市立堅田小学校の通学区域。 都裕次郎(プロ野球選手(投手))…
    2キロバイト (192 語) - 2023年11月17日 (金) 20:28
  • 堅田合戦(かたたかっせん)は、天正14年(1586年)に豊薩合戦の一環として、豊後国で行われた大友氏の家臣・佐伯惟定と島津氏の家臣・土持親信の合戦。 天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友宗麟が薩摩国の島津義久に敗北し佐伯惟教・惟真ら有力武将を多く失った上に、一族重臣の内訌の激化や肥前国の龍造寺隆…
    7キロバイト (1,300 語) - 2024年4月22日 (月) 11:59
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