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このウィキでページ「高福院 (品川区)」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 高福院(こうふくいん)は、東京都品川区上大崎二丁目にある高野山真言宗の寺院。 1648年(慶安元年)、阿闍梨頼順によって開山された。 本堂は、天保の改革で知られる水野忠邦から寄進されたもので、古様式を残している建築物である。 誕生八幡神社(上大崎二丁目)の別当寺であった。 石井宗謙(蘭学者) 長谷川伸(小説家、劇作家)…2キロバイト (129 語) - 2023年12月4日 (月) 07:21
- 家具などが同町へ寄贈され、南種子町郷土館内に「山本直純音楽記念室」が開設された。 2002年6月18日、急性心不全のため死去。享年69歳。墓所は品川区高福院。 父は作曲家で指揮者の山本直忠、弟はパーカッション奏者の山本直喜と ファゴット奏者の山本直親、妹はオルガン奏者の湯浅照子、妻は作曲家の山本正美…24キロバイト (3,281 語) - 2024年2月13日 (火) 10:30
- 心身の不調を訴え、東京大学医学部附属病院に入院するが、5月に退院して自宅療養を続けた。6月3日に病状が急変して杉並区の自宅で死去し、品川区上大崎の高福院に葬られた。63歳没。法名は勝徳院真誉孝淳居士。 恩地が装幀家としての名声を高めるのに貢献した北原白秋のほかに、数々の著名人と交友関係があった。室生…18キロバイト (2,333 語) - 2024年5月14日 (火) 01:41
- 主馬蔵、三好清房(監物)、吉田守隆(大八)、目時隆之進、中島源蔵、野村望東尼(浦野望東)、池田幸(川瀬幸) 1893年(明治26年)1月27日 三井高福、小野善助、島田八郎左衛門 1896年(明治29年)9月19日 - 南部師行 1897年(明治30年)4月21日 - 県信緝 1898年(明治31年)7月4日…35キロバイト (5,044 語) - 2023年11月14日 (火) 13:06
- 長谷川寅之助の二男。三谷隆正、三谷隆信の異父兄。実母は横浜市泉区の出身だが、夫の暴力・放蕩が原因で、伸が3歳のとき家を出る。後年『瞼の母』の主題となる母との再会を果たした。 実家が没落したため小学校3年生で中退して船渠勤め等に従事。品川の遊郭で出前持ちをするなど住み込みの走り使いや水撒き人足として…23キロバイト (3,238 語) - 2024年3月16日 (土) 06:59
- 25番札所(長楽寺、日野市)および77番(仏乗院、神奈川県秦野市)以外すべて東京都23区内にある。25番および77番札所も元々23区内にあったが移転して現在地となっている。 四国八十八箇所 関東八十八箇所 御府内八十八ヶ所 東京お寺めぐり - 第76番 金剛院のサイト 表示 編集 表示 編集…22キロバイト (112 語) - 2023年11月22日 (水) 11:21
- いしい そうけん 石井 宗謙 生誕 寛政8年(1796年) 美作国真嶋郡旦土村 現 岡山県真庭市 死没 文久元年5月23日 (1861年6月30日) 墓地 品川区の高福院 国籍 日本 教育 鳴滝塾 職業 医者 影響を受けたもの シーボルト 子供 石井信義, 楠本高子 テンプレートを表示…4キロバイト (326 語) - 2023年10月29日 (日) 06:14
- 栄作、寺尾豊らが発起人となり、板垣退助先生顕彰会を結成。同年12月8日、板垣退助の娘や孫、曾孫、玄孫らが東京品川の板垣退助の墓前に参集し、生前の遺徳を偲んだ。退太郎は平成前期頃まで東京都渋谷区初台に住し、その後、転居して現在の住所に至る。 平成30年(2018年)が、明治維新150年・板垣退助百回忌…34キロバイト (2,736 語) - 2024年3月15日 (金) 12:33