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アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男[[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]]が単独のブルターニュ公となった。 |
アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男[[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]]が単独のブルターニュ公となった。 |
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== 子女 == |
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* [[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]](1060年頃 - 1119年) - ブルターニュ公 |
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* マチュー2世(1103年没) - ナント伯 |
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* ウード |
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* アデル2世(1152年10月14日没) - サン=ジョルジュ・ド・レンヌ女子修道院長(1085年 - 1152年10月14日) |
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* アヴォワーズ - 1085年のサン=ジョルジュ・ド・レンヌ修道院の特許状で知られる |
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* イルドベルジュ - ジョフロワ・ド・マイエンヌと結婚 |
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* ブノワ |
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==脚注== |
==脚注== |
2022年8月13日 (土) 07:10時点における最新版
アヴォワーズ・ド・ブルターニュ Havoise de Bretagne | |
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ブルターニュ女公 | |
在位 | 1066年 - 1072年 |
出生 |
1037年頃 |
死去 |
1072年8月19日 |
配偶者 | コルヌアイユ伯オエル2世 |
子女 |
アラン4世 マチュー2世 |
家名 | レンヌ家 |
父親 | ブルターニュ公アラン3世 |
母親 | ベルト・ド・ブロワ |
アヴォワーズ・ド・ブルターニュ (Havoise de Bretagne、1037年頃 - 1072年8月19日)は、ブルターニュ女公。
生涯[編集]
ブルターニュ公アラン3世とベルト・ド・ブロワの第二子として生まれた。兄コナン2世が1066年12月に暗殺されたため、公位を継承した[1]。
アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男アラン4世が単独のブルターニュ公となった。
子女[編集]
- アラン4世(1060年頃 - 1119年) - ブルターニュ公
- マチュー2世(1103年没) - ナント伯
- ウード
- アデル2世(1152年10月14日没) - サン=ジョルジュ・ド・レンヌ女子修道院長(1085年 - 1152年10月14日)
- アヴォワーズ - 1085年のサン=ジョルジュ・ド・レンヌ修道院の特許状で知られる
- イルドベルジュ - ジョフロワ・ド・マイエンヌと結婚
- ブノワ
脚注[編集]
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