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'''保淑帝姫'''(ほしゅくていき、1107年? - 1107年)は、[[北宋]]の[[徽宗]]の第12皇女。
'''保淑帝姫'''(ほしゅくていき、? - [[1107年]]閏10月)は、[[北宋]]の[[徽宗]]の第12皇女。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[淑妃]]王氏(後の[[大王貴妃 (宋)|大王貴妃]])の次女として生まれた。[[大観 (宋)|大観]]元年([[1107]])7月、保慶公主の位を授けられたが、同年閏10月に夭折した。魯国公主の位を追贈された。[[政和]]4年(1114年)12月、保淑帝姫の位を改贈された。
[[淑妃]]王氏(後の[[大王貴妃 (宋)|大王貴妃]])の次女として生まれた。[[大観 (宋)|大観]]元年(1107年)7月、保慶公主の位を授けられたが、同年閏10月に夭折した。魯国公主の位を追贈された。[[政和]]4年([[1114]])12月、'''保淑帝姫'''の位を改贈された。


== 伝記資料 ==
== 伝記資料 ==

2021年11月3日 (水) 09:27時点における最新版

保淑帝姫(ほしゅくていき、? - 1107年閏10月)は、北宋徽宗の第12皇女。

経歴[編集]

淑妃王氏(後の大王貴妃)の次女として生まれた。大観元年(1107年)7月、保慶公主の位を授けられたが、同年閏10月に夭折した。魯国公主の位を追贈された。政和4年(1114年)12月、保淑帝姫の位を改贈された。

伝記資料[編集]

  • 『宋会要輯稿』