「マルクス・アントニウス・プリムス」の版間の差分
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'''マルクス・アントニウス・プリムス'''({{lang-la|Marcus Antonius Primus}}, [[30年]]/[[35年]] - [[81年]]以降没)は、[[ローマ帝国]]の軍人。生年は20年から35年の間(32年頃?)ともいわれる。 |
'''マルクス・アントニウス・プリムス'''({{lang-la|Marcus Antonius Primus}}, [[30年]]/[[35年]] - [[81年]]以降没)は、[[ローマ帝国]]の軍人。生年は20年から35年の間(32年頃?)ともいわれる。 |
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== 生涯 == |
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=== 出自と家族 === |
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[[ガリア]]のトロサ(現[[トゥールーズ]])に生まれる。アントニウスは、カエサル死後のローマの覇権をオクタウィウス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)と争った末に敗れて自殺した[[マルクス・アントニウス]]とその3番目の妻[[フルウィア (マルクス・アントニウスの妻)|フルウィア]]の次男ユッルス・アントニウスの長男ルキウス・アントニウス(紀元前20年 - 紀元後34年)の息子もしくは孫の可能性がある。ルキウスの妻はユニッラという女性で、ティベリウス帝の治世末期の31年にコンスル(執政官)に就任して政治の実権を握ったが、ティベリウス帝の策略によって処刑された[[プラエフェクトゥス・プラエトリオ|親衛隊長官]][[ルキウス・アエリウス・セイヤヌス]]とその妻アピカタの娘とされる。妹にアントニア・ポストゥマ(34年生まれ)がいるという。これらが事実ならアントニウスとアントニア・ポストゥマはマルクス・アントニウスの曾孫もしくは玄孫となり、マルクス・アントニウス自死から少なくとも約100年後の西暦1世紀後半までアントニウス家男系の血統は存続していることになる。マルクス・アントニウスの女系子孫にはカリグラ帝、クラウディウス帝、ネロ帝という3人のローマ皇帝がおり、ユリウス=クラウディウス朝の皇族たちと遠縁にもあることにもなる(アントニウスがマルクス・アントニウスの子孫であることを肯定するならば、カリグラ帝、クラウディウス帝、ネロ帝の3人とは直接ではないが血縁関係にある)。 |
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2021年1月12日 (火) 04:22時点における版
マルクス・アントニウス・プリムス(ラテン語: Marcus Antonius Primus, 30年/35年 - 81年以降没)は、ローマ帝国の軍人。生年は20年から35年の間(32年頃?)ともいわれる。
参考文献
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Primus, Marcus Antonius". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 342.