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[[Category:サラブレッド|まつみとり]]
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2006年9月2日 (土) 19:23時点における版

マツミドリ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1944年
死没 1953年7月28日
カブトヤマ
栄幟
生国 日本青森県
生産者 東北牧場
馬主 松末博光
調教師 茂木為二郎(東京)
競走成績
生涯成績 23戦9勝
獲得賞金 83万2040円
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マツミドリ1944年 - 1953年)は日本競走馬。父カブトヤマと母の間に生まれた鹿毛サラブレッドである。第14回東京優駿競走(現東京優駿・日本ダービー)に優勝し父カブトヤマに次ぐ親子2代での日本ダービー制覇を達成した。

農林省賞典(現皐月賞)2着を経て出走した東京優駿競走では農林省賞典優勝馬トキツカゼに雪辱を果たし優勝した。1945-46年は日本ダービーに当たる競走が中止されており、この年は戦後初の開催であった。また、父カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。ただ、東京優駿競走後は農林省賞典や京都記念に優勝しているものの、マツミドリの東京優駿競走優勝を受けて創設された父を記念する競走であるカブトヤマ記念は6着に敗れている。引退後は種牡馬となったが、1953年に北海道で流行した馬伝染性貧血に罹患し、惜しまれつつ殺処分となる。供用期間が短かったため代表産駒はダイゴ程度。