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スリムは、[[ウラジーミル・プーチン]]大統領支持を再三表明している。彼は、チェチェン土着の穏健的な[[イスラム教]]スーフィー教団を信仰しており、イスラム原理主義を外来のものと排撃し、特に[[シャミル・バサエフ]]を吊るし上げると公言していた。
スリムは、[[ウラジーミル・プーチン]]大統領支持を再三表明している。彼は、チェチェン土着の穏健的な[[イスラム教]]スーフィー教団を信仰しており、イスラム原理主義を外来のものと排撃し、特に[[シャミル・バサエフ]]を吊るし上げると公言していた。

[[category:ロシアの軍人|すりむやまたえふ]]

2006年7月26日 (水) 16:04時点における版

スリム・ヤマダエフ(Сулим Ямадаев;1973年 -)は、ロシア連邦チェチェン共和国の軍人、ロシア国内軍ヴォストーク大隊長、中佐。元チェチェン・イチケリア共和国(独立派)国家親衛隊第2大隊長、准将。チェチェン最大の部族の1つであるベノイ部族に属し、グデルメス市を支配するヤマダエフ氏族出身。5人兄弟の長男。

1990年代初めから、スリムは、積極的な独立支持者となった。第1次チェチェン戦争時、ジョハル・ドゥダエフの呼びかけに応じて戦闘部隊に入り、グデルメス戦線司令官となった。1996年の終戦時、独立派中で最も若い准将となった。

1997~1998年、スリムは、国家親衛隊第2大隊長であった。この間、アスラン・マスハドフの特別な信任を得たが、同時にアラブ人の影響力を懸念し始めた。1998年7月、グデルメスにおいて、イスラム原理主義者に対する軍事行動を指揮した。

1999年、スリムは、過激派を抑えきれず、アラブ人と手を切れないマスハドフと完全に決別し、ヤマダエフ氏族が支配するグデルメスは、独立派の支配下から離れた。同年8月、グデルメスを通過して、ダゲスタンに出撃しようとする過激派部隊を妨害した。第2次チェチェン戦争勃発後、ヤマダエフ氏族は、独立派への従属を拒否し、1999年11月、ロシア連邦に投降した。これに対して、独立派からは死刑を言い渡されている。

2002年5月、アフマド・カディロフは、スリムを共和国軍事警備司令部副司令、後にチェチェン国家親衛隊司令官に任命した。2003年3月から、グデルメスに駐屯する特別任務支隊「ヴォストーク」を指揮した。

スリムは、ウラジーミル・プーチン大統領支持を再三表明している。彼は、チェチェン土着の穏健的なイスラム教スーフィー教団を信仰しており、イスラム原理主義を外来のものと排撃し、特にシャミル・バサエフを吊るし上げると公言していた。