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'''源 通子'''(みなもと の つうし、生年未詳 - [[承久]]3年([[1221年]])[[8月 (旧暦)|8月]])は、第83代[[土御門天皇]]の後宮で第88代[[後嵯峨天皇]]の生母。父は[[参議]]正四位下[[左近衛中将]][[源通宗]]([[源通親]]の長男、贈[[従一位]][[左大臣]])。
'''源 通子'''(みなもと の つうし、生年未詳 - [[承久]]3年([[1221年]])[[8月 (旧暦)|8月]])は、第83代[[土御門天皇]]の[[後宮]]で第88代[[後嵯峨天皇]]の生母。父は[[参議]]正四位下[[左近衛中将]][[源通宗]]([[源通親]]の長男、贈[[従一位]][[左大臣]])。


[[典侍]]となり、土御門天皇の寵愛を受けた。[[建暦]]元年([[1211年]])[[春子女王]]、[[建保]]元年([[1213年]])[[覚子内親王]]([[准三宮]]、正親町院)、建保2年([[1214年]])[[仁助法親王]]、建保4年([[1216年]])[[静仁法親王]]、承久2年([[1220年]])邦仁王(のちの[[後嵯峨天皇]])を産む。承久3年(1221年)8月、死去。後嵯峨天皇の即位により[[仁治]]3年([[1243年]])7月11日、贈[[皇太后]]。
[[典侍]]となり、土御門天皇の寵愛を受けた。[[建暦]]元年([[1211年]])[[春子女王]]、[[建保]]元年([[1213年]])[[覚子内親王]]([[准三宮]]、正親町院)、建保2年([[1214年]])[[仁助法親王]]、建保4年([[1216年]])[[静仁法親王]]、承久2年([[1220年]])邦仁王(のちの[[後嵯峨天皇]])を産む。承久3年(1221年)8月、死去。後嵯峨天皇の即位により[[仁治]]3年([[1243年]])7月11日、贈[[皇太后]]。

2018年3月3日 (土) 21:11時点における版

源 通子(みなもと の つうし、生年未詳 - 承久3年(1221年8月)は、第83代土御門天皇後宮で第88代後嵯峨天皇の生母。父は参議正四位下左近衛中将源通宗源通親の長男、贈従一位左大臣)。

典侍となり、土御門天皇の寵愛を受けた。建暦元年(1211年春子女王建保元年(1213年覚子内親王准三宮、正親町院)、建保2年(1214年仁助法親王、建保4年(1216年静仁法親王、承久2年(1220年)邦仁王(のちの後嵯峨天皇)を産む。承久3年(1221年)8月、死去。後嵯峨天皇の即位により仁治3年(1243年)7月11日、贈皇太后

参考文献