「マッテオ・ゴフリラー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Contempom (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
27行目: 27行目:
'''マッテオ・ゴフリラー'''('''Matteo Goffriller'''、[[1659年]] - [[1742年]])は、当時最も重要な音楽の拠点であった[[イタリア]]の[[ヴェネツィア]]で活動した[[ヴァイオリン製作家|弦楽器製作者]]。世界最高峰クラスの[[弦楽器]]を製作し、特に[[チェロ]]の名器を残したことで知られる。
'''マッテオ・ゴフリラー'''('''Matteo Goffriller'''、[[1659年]] - [[1742年]])は、当時最も重要な音楽の拠点であった[[イタリア]]の[[ヴェネツィア]]で活動した[[ヴァイオリン製作家|弦楽器製作者]]。世界最高峰クラスの[[弦楽器]]を製作し、特に[[チェロ]]の名器を残したことで知られる。


1685年から1735年まで楽器を製作したが、1685年以前の出来事については[[ブレッサノーネ]]で生まれたこと以外あまり分かっていない。ヴェネツィアン・スタイル(スクール)の開拓・創始者でもあり、弟子には[[ドメニコ・モンタニャーナ]]がいる。
1685年から1735年まで楽器を製作したが、1685年以前の出来事については[[ブレッサノーネ]]で生まれたこと以外あまり分かっていない。ヴェネツィアン・スタイル(スクール)の開拓・創始者でもあり、[[ドメニコ・モンタニャーナ]]が弟子の一人だったとう説もある。


ゴフリラーのチェロは長い間[[アントニオ・ストラディバリ]]や[[グァルネリ]]一族が製作したチェロなどと誤って認識され、1920年頃になるまでその存在を知られていなかった。[[パブロ・カザルス]]が最後まで愛用したことで知られている1733年製の楽器も、初めは別人製作と誤認されていた。
ゴフリラーのチェロは長い間[[アントニオ・ストラディバリ]]や[[グァルネリ]]一族が製作したチェロなどと誤って認識され、1920年頃になるまでその存在を知られていなかった。[[パブロ・カザルス]]が最後まで愛用したことで知られている1733年製の楽器も、初めは別人製作と誤認されていた。

2018年1月13日 (土) 16:32時点における版

マッテオ・ゴフリラー
Matteo Goffriller
生誕 1659年
イタリアの旗 イタリア ブレッサノーネ
死没 1742年
イタリアの旗 イタリア ヴェネツィア
業績
専門分野 弦楽器製作

マッテオ・ゴフリラーMatteo Goffriller1659年 - 1742年)は、当時最も重要な音楽の拠点であったイタリアヴェネツィアで活動した弦楽器製作者。世界最高峰クラスの弦楽器を製作し、特にチェロの名器を残したことで知られる。

1685年から1735年まで楽器を製作したが、1685年以前の出来事についてはブレッサノーネで生まれたこと以外あまり分かっていない。ヴェネツィアン・スタイル(スクール)の開拓・創始者でもあり、ドメニコ・モンタニャーナが弟子の一人だったという説もある。

ゴフリラーのチェロは長い間アントニオ・ストラディバリグァルネリ一族が製作したチェロなどと誤って認識され、1920年頃になるまでその存在を知られていなかった。パブロ・カザルスが最後まで愛用したことで知られている1733年製の楽器も、初めは別人製作と誤認されていた。

特徴

ヴェネツィアン・スタイルならではのニスに一番特徴が現れており、多くのゴフリラー楽器は濃い色のものが多い。またストラディバリ、グァダニーニ、グァルネリと同格ないしそれ以上と称されるゴフリラー・チェロは比較的大型のものが多い。

使用者

著名なゴフリラー・チェロ使用者。

など

関連項目