「エレウシス」の版間の差分

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== エレウシスの密儀 ==
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[[デーメーテール]]の祭儀はエレウシスの祭儀、または'''エレウシスの密儀'''と呼ばれ、[[古典古代]]時代最もよく知られた{{仮リンク|密儀宗教|en|Greco-Roman mysteries}}のひとつであり、しばしばたんに「密儀」として言及されることもある。エレウシスの密儀は[[紀元前1700年]]頃[[ミケーネ文明]]の時代に始まったと言われている。{{仮リンク|マーティン・P・ニールソン|en|Martin P. Nilsson}}は、この密儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」ことを意図されていたと述べている。
[[デーメーテール]]の祭儀はエレウシスの祭儀、または'''エレウシスの密儀'''([[:en:Eleusinian Mysteries|en]])と呼ばれ、[[古典古代]]時代最もよく知られた{{仮リンク|密儀宗教|en|Greco-Roman mysteries}}のひとつであり、しばしばたんに「密儀」として言及されることもある。エレウシスの密儀は[[紀元前1700年]]頃[[ミケーネ文明]]の時代に始まったと言われている。{{仮リンク|マーティン・P・ニールソン|en|Martin P. Nilsson}}は、この密儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」ことを意図されていたと述べている。


その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。参加者の出身地を問わないこと([[アリストパネス]]の断片による)、娘[[ペルセポネー]]を探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の密儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。密儀の参加者には事前に身を浄めることが要求され、その密儀は神の永遠なる浄福を直接見ることであると言われた。
その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。参加者の出身地を問わないこと([[アリストパネス]]の断片による)、娘[[ペルセポネー]]を探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の密儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。密儀の参加者には事前に身を浄めることが要求され、その密儀は神の永遠なる浄福を直接見ることであると言われた。

2017年2月8日 (水) 17:09時点における版

エレフシナ
(エレウシス)

Ελευσίνα
テレステリオン(秘儀堂)跡
テレステリオン(秘儀堂)跡
所在地
エレフシナ (エレウシス)の位置(ギリシャ内)
エレフシナ (エレウシス)
エレフシナ
(エレウシス)
座標 北緯38度2分 東経23度32分 / 北緯38.033度 東経23.533度 / 38.033; 23.533座標: 北緯38度2分 東経23度32分 / 北緯38.033度 東経23.533度 / 38.033; 23.533
域内の位置
行政
国: ギリシャの旗 ギリシャ
地方: アッティカ
: 西アッティカ県
ディモス: エレフシナ
人口統計 (2011年)
ディモス
 - 人口: 29,902 人
 - 面積: 37.1 km2
 - 人口密度: 806 人/km2
旧自治体
 - 人口: 24,901 人
 - 面積: 97.1 km2
 - 人口密度: 256 人/km2
その他
標準時: EET/EEST (UTC+2/3)
公式サイト
www.eleusina.gr

エレウシス古代ギリシア語: Ἐλευσίς / Eleusis)は、古代ギリシアアテナイに近い小都市。ギリシア神話に登場する女神デーメーテールの祭儀の中心地として知られる。また、古代の悲劇詩人アイスキュロスの生誕地でもある。

現在はエレフシナ現代ギリシャ語: Ελευσίνα / Elefsina)と呼ばれる。ギリシャ共和国アッティカ地方に属する基礎自治体ディモス)であり、西アッティカ県の県都である。

エレウシスの密儀

デーメーテールの祭儀はエレウシスの祭儀、またはエレウシスの密儀(en)と呼ばれ、古典古代時代最もよく知られた密儀宗教のひとつであり、しばしばたんに「密儀」として言及されることもある。エレウシスの密儀は紀元前1700年ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。マーティン・P・ニールソン英語版は、この密儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」ことを意図されていたと述べている。

その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の密儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。密儀の参加者には事前に身を浄めることが要求され、その密儀は神の永遠なる浄福を直接見ることであると言われた。

キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの密儀も絶えた。ドイツの哲学者フリードリヒ・シェリングは、その著書の中で、前哲学的思惟の形態としてのエレウシスの密儀についてしばしば論じている。