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しかし、モランは倉庫に到着するのが数分遅れたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て警察の手入れを恐れて、連れのマークスとニューベリーの2人とその場を逃げ出し、事なきを得た。
しかし、モランは倉庫に到着するのが数分遅れたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て警察の手入れを恐れて、連れのマークスとニューベリーの2人とその場を逃げ出し、事なきを得た。


カポネは事件当時は[[フロリダ]]で事情聴取を受けていた。マックガーンは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、ノースサイド・ギャングはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、モランは[[1957年]]まで彼は生き永らえた。
カポネは事件当時は[[フロリダ]]で事情聴取を受けていた。マックガーンは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、ノースサイド・ギャングはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、モランは[[1957年]]まで生き永らえた。


この凄惨な事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。
この凄惨な事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。

2016年10月24日 (月) 14:32時点における版

聖バレンタインデーの虐殺(せいバレンタインデーのぎゃくさつ、: St. Valentine's Day Massacre)とは、1929年2月14日シカゴで起きたノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャング(後のシカゴ・アウトフィット)との間で起きた抗争事件である。別名、聖バレンタインデーの悲劇血のバレンタインとも呼ばれる。

犯行はサウスサイド・ギャングのボスであるアル・カポネが指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていたバッグズ・モラン率いるノースサイド・ギャングのヒットマン6人及び通行人1人の計7人が殺害された。この事件は犯人たちがパトカーを使い警官に扮していたこともあり、全米中のマスコミの注目を集めた。

事件概要

モラン率いるノースサイド・ギャングとカポネ率いるサウスサイド・ギャングは血で血を洗う抗争を繰り返しており、モランは頻繁にカポネの命を狙っていた。危機を感じたカポネはモラン一味に密造酒の偽取引を持ち掛けて抹殺すべく、カポネと部下のジャック・"マシンガン"・マクガーンによって計画されたものだった。

マックガーンは暗殺部隊としてカポネの用心棒フレッド・“キラー”・バーク(Fred Burke)、ジョン・スカリーゼ、アルバート・アンセルミ、ジョゼフ・ロロルド、キューウェル兄弟(デトロイトのパープル・ギャング)の6人のチームを編成した。一部資料によると、ヒットマンの中にトニー・アッカルドサム・ジアンカーナもいたという説もある。

モランと手下たちはデトロイトの密造酒業者が強奪したウィスキーを、シカゴ北部のSMC運送会社の倉庫にあるモランの本部に配送することになっていた。モランの手下6人が倉庫に入り、たまたまそこを通りかかった眼鏡屋ラインハルト・シュヴィマーと話をしていると、5人の警察官が倉庫にやってきてモランの手下とシュヴィマーに壁に並ぶよう命じた。7人は素直に指示に従ったが、実はこの警察官はカポネ側のヒットマンが扮装した偽警察官であり、マシンガンを取り出して一斉に発砲し彼らを皆殺しにした。時間はわずか8分ほどで、素早く行われた。

しかし、モランは倉庫に到着するのが数分遅れたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て警察の手入れを恐れて、連れのマークスとニューベリーの2人とその場を逃げ出し、事なきを得た。

カポネは事件当時はフロリダで事情聴取を受けていた。マックガーンは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、ノースサイド・ギャングはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、モランは1957年まで生き永らえた。

この凄惨な事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。

ちなみに事件現場の倉庫は1967年に取り壊され、現在は隣接する老人ホームの庭園及び駐車場となっている[1]

事件を扱ったテレビ番組

関連項目