ジョージ・モラン

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ジョージ・クラレンス・"バグズ"・モラン(George Clarence "Bugs" Moran、1891年8月21日 - 1957年2月25日)はシカゴギャングスターで、ノースサイド・ギャング英語版のリーダー。

出身はミネソタ州セントポールスー族インディアンだという女性と結婚していた。本名はアデラード・クニン(Adelard Cinin)といい、父はフランス出身で、母はカナダ出身だったとされる。

モランは学校を中退して犯罪の世界に入ったのち、21歳の頃にはすでに26回の強盗をはたらいており、何度か刑務所入りしていた。その後、ダイオン・オバニオンの配下となり、オバニオン殺害後は後を継いだハイミー・ワイス英語版の副官となる。

1925年5月、ワイス=モラン一味は、ジェンナ兄弟のアンジェロを暗殺、その後、マイクとトニーも暗殺した。この年には二人でジョニー・トーリオの殺害を図るが失敗している。1928年にはピーター英語版フランク英語版のグーゼンバーグ兄弟を使いアル・カポネの部下のジャック・“マシンガン”・マクガーンの暗殺を図るが失敗する。この頃、カポネの暗殺も2度ほど企てるがやはり失敗している。1926年にワイスがカポネの刺客に殺害され、跡を継いだヴィンセント・ドルッチ英語版も翌1927年に警察に射殺されたのを受け、一味のリーダーとなる。

1929年2月14日ギャング史に残る聖バレンタインデーの虐殺が起り、グーゼンバーグ兄弟らが殺害されたが、モランはSMC運送会社の倉庫に数分遅れてきたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て素通りして難を逃れた。虐殺の後で警察が虐殺の犯人についてモラン自身が関与したのかと訊くと「あんな殺しかたをするのはカポネだけだ」と答えた。

その後、商売敵のカポネが投獄されたが、主要幹部を失ったノースサイド・ギャングは事実上壊滅し、モランも数回逮捕されて一文無し同然となった。

1956年に何年も前にやった銀行強盗FBIに逮捕される。

1957年2月、カンザス州レブンワース刑務所で肺癌により死亡。刑務所の墓地に埋葬された。

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