コンテンツにスキップ

「反ソ連デー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
過剰・重複カテゴリ
3行目: 3行目:


== 概要 ==
== 概要 ==
[[1945年]]のこの日、[[ソビエト連邦]]は[[日ソ中立条約]]を一方的に破棄し[[ソ連対日参戦|対日参戦]]をするとともに、[[満州国]]へ侵攻した。
[[1945年]]のこの日、[[ソビエト連邦]]は[[日ソ中立条約]]を破棄し[[ソ連対日参戦|対日参戦]]を敢行また[[大日本帝国]]の傀儡である[[満州国]]へ侵攻した([[長崎市への原子爆弾投下]]と偶然同日)


日本の[[右翼]]・[[民族派]]は、ソ連による一連の行を弾劾すべく、[[1954年]]に[[新橋駅]]前の野外ステージで「滅共反ソ国民大会」を挙行した。大会終了後、彼らは駐日ソ連代表部(現在の駐日ロシア大使館)に押しかけ、構内に侵入する事件を起した。この事件で[[赤尾敏]]ら3人が逮捕された。
満9年の[[1954年]]、日本の[[右翼]]・[[民族派]]は、このソ連一連の行を弾劾すべく、[[新橋駅]]前の野外ステージで「滅共反ソ国民大会」を挙行した。大会終了後、彼らは駐日ソ連代表部(現在の駐日ロシア大使館)に押しかけ、構内に侵入する事件を起した。この事件で[[赤尾敏]]ら3人が逮捕された。


右翼はこの事件を「義挙」とし、以降毎年この8月9日を「反ソ連デー」として位置づけ、ロシア大使館近辺で街宣活動を行うようになった。このため、8月9日は警備上の理由により[[東京湾大華火祭]]が開催できない。
右翼はこの事件を「義挙」とし、以降毎年この8月9日を「反ソ連デー」として位置づけ、ロシア大使館近辺で街宣活動を行うようになった。このため、8月9日は警備上の理由により[[東京湾大華火祭]]が開催できない。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
[[ファイル:Gaisensha stopped in front of Azabu Keisatsucho, as a form of protest.jpg|サムネイル|2015年8月9日 麻布警察署付近]]
[[ファイル:Gaisensha stopped in front of Azabu Keisatsucho, as a form of protest.jpg|サムネイル|2015年8月9日 麻布警察]]
*立花書房編『'''新 警備用語辞典'''』立花書房、[[2009年]]
*立花書房編『'''新 警備用語辞典'''』立花書房、[[2009年]]


26行目: 26行目:
[[Category:日露関係]]
[[Category:日露関係]]
[[Category:反共主義]]
[[Category:反共主義]]
[[Category:反ソビエト連邦感情]]
[[Category:反露感情]]
[[Category:反露感情]]
[[Category:対外情緒]]
[[Category:外国人嫌悪]]

2016年9月4日 (日) 01:36時点における版

2015年8月9日 飯倉片町交差点

反ソ連デー(はんソれんデー)とは、記念日の1つ。毎年8月9日である。略称は「反ソデー」である。またソ連崩壊に伴い、後継国家のロシアの名を冠した「反ロシアデー」「反ロデー」ともいう。

概要

1945年のこの日、ソビエト連邦日ソ中立条約を破棄し対日参戦を敢行、また大日本帝国の傀儡である満州国へ侵攻した(長崎市への原子爆弾投下と偶然同日)。

満9年の1954年、日本の右翼民族派は、このソ連の一連の行動を弾劾すべく、新橋駅前の野外ステージで「滅共反ソ国民大会」を挙行した。大会終了後、彼らは駐日ソ連代表部(現在の駐日ロシア大使館)に押しかけ、構内に侵入する事件を起した。この事件で赤尾敏ら3人が逮捕された。

右翼はこの事件を「義挙」とし、以降毎年この8月9日を「反ソ連デー」として位置づけ、ロシア大使館近辺で街宣活動を行うようになった。このため、8月9日は警備上の理由により東京湾大華火祭が開催できない。

参考文献

2015年8月9日 麻布警察庁
  • 立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年

関連項目