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* 『宋会要輯稿』
* 『宋会要輯稿』
* 『[[宋史]]』成恭夏皇后伝
* 『[[宋史]]』成恭夏皇后伝
* 『宜春夏氏宗譜』
* 『宜春牌楼下夏氏宗譜』


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2015年9月20日 (日) 12:18時点における版

成恭皇后(1136年 - 1167年7月20日)は、南宋孝宗の皇后。姓夏 雲姑

生涯

袁州宜春の人。夏協の娘。

初め、後宮に入り、呉皇后の侍女を務めた。紹興31年、建王趙伯琮(のちの孝宗)に次妃(妾妻)[1]として与え、斉安郡夫人に封ぜられた。孝宗が即位すると、賢妃に立てられた。翌年、皇后に冊立された。11人の親友たちにも官職が与えられた。

乾道3年6月25日(1167年7月20日)、崩御した。「安恭」と諡された。紹熙5年(1194年)10月29日、夫の諡を重ねて「成恭」と改諡された。

伝記資料

  • 『宋会要輯稿』
  • 宋史』成恭夏皇后伝
  • 『宜春牌楼下夏氏宗譜』

脚注

  1. ^ 其時、趙伯琮は郡王から親王に上った。本妻の郭氏は、郡王時代に早世した。