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'''ヴォードヴィル'''または、'''ボードビル'''[[:en:Comédie en vaudeville|(vaudeville)]]とは、17世紀末に[[パリ]]の大市に出現した演劇形式である<ref>[[井上ひさし]]『この人から受け継ぐもの』([[岩波書店]] [[2014年]])「[[スクリーブ]]の笑い」pp.151-161によれば、[[ゴーゴリ]]、「近代劇の父」[[イプセン]]、[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]もヴォードヴィルに学び、血肉にして演劇を革新しているが、誰もまじめに考えないという。</ref>。
'''ヴォードヴィル'''または、'''ボードビル'''[[:en:Comédie en vaudeville|(vaudeville)]]とは、17世紀末に[[パリ]]の大市に出現した演劇形式である<ref>[[井上ひさし]]『この人から受け継ぐもの』([[岩波書店]] [[2014年]])「[[スクリーブ]]の笑い」pp.151-161によれば、[[ゴーゴリ]]、「近代劇の父」[[イプセン]]、[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]もヴォードヴィルに学び、血肉にして演劇を革新しているが、誰もまじめに考えないという。</ref>。


[[アメリカ合衆国|米国]]においては[舞台]]での[[踊り]]、[[歌]]、[[手品]]、[[漫才]]などのショー・ビジネスを指すが、「アメリカン・ヴォードビル」と区別されることがある。ヴォードヴィルを演じる者は'''ヴォードヴィリアン'''('''Vaudevillian''')と呼ばれる。
[[アメリカ合衆国|米国]]においては[[舞台]]での[[踊り]]、[[歌]]、[[手品]]、[[漫才]]などのショー・ビジネスを指すが、「アメリカン・ヴォードビル」と区別されることがある。ヴォードヴィルを演じる者は'''ヴォードヴィリアン'''('''Vaudevillian''')と呼ばれる。


米国におけるヴォードヴィル(イギリスでのミュージック・ホールに該当する)は、初期[[サイレント映画]]の歴史の中で重要な位置を占めている。
米国におけるヴォードヴィル(イギリスでのミュージック・ホールに該当する)は、初期[[サイレント映画]]の歴史の中で重要な位置を占めている。

2014年12月6日 (土) 04:40時点における版

ヴォードヴィルまたは、ボードビル(vaudeville)とは、17世紀末にパリの大市に出現した演劇形式である[1]

米国においては舞台での踊り手品漫才などのショー・ビジネスを指すが、「アメリカン・ヴォードビル」と区別されることがある。ヴォードヴィルを演じる者はヴォードヴィリアンVaudevillian)と呼ばれる。

米国におけるヴォードヴィル(イギリスでのミュージック・ホールに該当する)は、初期サイレント映画の歴史の中で重要な位置を占めている。

トーマス・エジソンは最初の映画の題材のいくつかにヴォードヴィルの見せ物を取り上げている。また、ヴォードヴィルやミュージック・ホールのための演芸場は、映画を観客に見せるための最初の公共の場所(巡回公演もその一つ)であった。

ヴォードヴィルやミュージック・ホールのための出し物をフィルムに記録することは、初期映画にとって重要な要素であった。ヴォードヴィルやミュージック・ホールには他の人気のあった劇場とともに、多くの演者(見せ物師)がいたからである。

チャーリー・チャップリンバスター・キートンローレル&ハーディマルクス兄弟ジミー・デュランテといった、1910年代から20年代スラップスティック・サイレント・コメディの有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入った。

そして彼らはヴォードヴィルの伝統をトーキーの時代になっても続けていった。しかし、結果的に映画はヴォードヴィルという形態を衰滅させた主要な要因であった。

脚注

  1. ^ 井上ひさし『この人から受け継ぐもの』(岩波書店 2014年)「スクリーブの笑い」pp.151-161によれば、ゴーゴリ、「近代劇の父」イプセンチェーホフもヴォードヴィルに学び、血肉にして演劇を革新しているが、誰もまじめに考えないという。