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当初、政府はSAVAKの要員を全て排除しようとしたが、SAVAKの要員には[[イラク]]の[[バアス党]]や反体制グループに浸透している者が多くおり、彼らをパージすると大打撃が予想された為に実際にはSAVAKの要員が多く雇用された。 |
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学者のサイード・ハジャリアンによって省の編成は、[[ミール・ホセイン・ムーサヴィー]]と[[イランの議会|イスラーム諮問評議会]]に提案された。 |
学者のサイード・ハジャリアンによって省の編成は、[[ミール・ホセイン・ムーサヴィー]]と[[イランの議会|イスラーム諮問評議会]]に提案された。 |
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*数々の反体制派を殺害したといわれる。[[1998年]]後半には反体制派の作家3人と政治指導者、そして彼の妻がイランで殺害された。この事件では国際的に非難が高まり、それがきっかけで10年以上に渡る犯罪の記録が公開された。その後、犯人として同国情報省次官サイード・エマミが容疑者として逮捕され、「外国のスパイだった」とされた。サイード・エマミはその直後に刑務所内で死亡した。イラン政府は「獄中で脱毛剤を飲み自殺した」と発表している。詳しくは[[w:Chain murders of Iran|Chain murders of Iran]](英語版)を参照。 |
*数々の反体制派を殺害したといわれる。[[1998年]]後半には反体制派の作家3人と政治指導者、そして彼の妻がイランで殺害された。この事件では国際的に非難が高まり、それがきっかけで10年以上に渡る犯罪の記録が公開された。その後、犯人として同国情報省次官サイード・エマーミーが容疑者として逮捕され、「外国のスパイだった」とされた。サイード・エマーミーはその直後に刑務所内で死亡した。イラン政府は「獄中で脱毛剤を飲み自殺した」と発表している。詳しくは[[w:Chain murders of Iran|Chain murders of Iran]](英語版)を参照。 |
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*国内の宗教活動を細かく監視しているという。 |
*国内の宗教活動を細かく監視しているという。 |
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*ムハンマド・レイシャフリ ([[ミール・ホセイン・ムーサヴィー]]の時代) |
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*アリー・ファッラーヒヤーン([[ハーシェミー・ラフサンジャーニー]]の時代) |
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*ゴルバーンアリー・ドッリー・ナジャファーバーディー([[モハンマド・ハータミー]]の時代) |
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1 Mohammad Reyshahri |
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2012年12月19日 (水) 09:46時点における版
情報省(ペルシャ語 وِزارَتِ اِطّلاعات جُمهوریِ اِسلامیِ ایران Vezarat-e Ettela'at Jomhuri-ye Eslami-ye Iran)とは、イランの情報機関、秘密警察。VEJA、VEVAK(Vezarat-e Ettela'at Va Amniyat-e Keshvarの略)とも呼ばれる。英語ではMISIRI(Ministry of Intelligence and National Security of the Islamic Republic of Iran)とも表記する。
歴史
王制時代には「SAVAK」(サヴァク)という情報機関があり、猛威を振るっていた。1979年のイラン革命後に「SAVAMA」という情報機関が出来た。SAVAKとSAVAMAの繋がりはよく分かっていない。
当初、政府はSAVAKの要員を全て排除しようとしたが、SAVAKの要員にはイラクのバアス党や反体制グループに浸透している者が多くおり、彼らをパージすると大打撃が予想された為に実際にはSAVAKの要員が多く雇用された。
学者のサイード・ハジャリアンによって省の編成は、ミール・ホセイン・ムーサヴィーとイスラーム諮問評議会に提案された。 ルーホッラー・ホメイニーは大臣がムジュタヒド(イスラム法に詳しい人)である事を条件に、新しい情報機関を「省」とする事を認めた。 こうして1984年8月18日に情報省が誕生した。他の情報機関は情報省に統合された。
活動
- 数々の反体制派を殺害したといわれる。1998年後半には反体制派の作家3人と政治指導者、そして彼の妻がイランで殺害された。この事件では国際的に非難が高まり、それがきっかけで10年以上に渡る犯罪の記録が公開された。その後、犯人として同国情報省次官サイード・エマーミーが容疑者として逮捕され、「外国のスパイだった」とされた。サイード・エマーミーはその直後に刑務所内で死亡した。イラン政府は「獄中で脱毛剤を飲み自殺した」と発表している。詳しくはChain murders of Iran(英語版)を参照。
- 国内の宗教活動を細かく監視しているという。
- ヒズボラ等を支援しているといわれ、欧米から度々非難を受けている。2012年にはアメリカ合衆国は情報省を経済制裁の対象に追加している。
組織
構成されて情報省は、以下のとおりです。
- 管理局
- 防諜局
- 外部局 対外諜報を行う。
- 保安局
- 診療所
- 政治局
- 戦略局
- 教育局
- 研究局
- 公文書記録局 公文書館を管理する。
- 人事局
- 財務局 財務管理、腐敗の防止が任務。
- 議会局
- 経済局
- 文化局
- 技術局 諜報に使える技術を研究する。
さらに、31の県に事務所がある。
長官
- ムハンマド・レイシャフリー (ミール・ホセイン・ムーサヴィーの時代)
- アリー・ファッラーヒヤーン(ハーシェミー・ラフサンジャーニーの時代)
- ゴルバーンアリー・ドッリー・ナジャファーバーディー(モハンマド・ハータミーの時代)
- アリー・ユーノスィー(2005年8月24日まで)
- ゴラームホセイン・モフセニー・エジェイー(マフムード・アフマディーネジャードの時代 2005年8月24日-2009年8月24日)
- ヘイダル・モスレヒー(2009年8月24日- )
関連項目
参考文献
- 法務省 「本国情報レポート」
- イラン情報省設立
- 兵士のランク
- 元情報相の話
- The Serial Murders, 2005年11月28日
- Iran, SAVAMA
- SAVAMA
- "Killing of three rebel writers turns hope into fear in Iran", ニューヨーク・タイムズ 1998年2月14日
- The Iranian Human Rights, You will answer, one day
- GANJI IDENTIFIED FALLAHIAN AS THE "MASTER KEY" IN CHAIN MURDERS
- Iranian killers spared death penalty BBCニュース 2003年1月29日
- Iran - 2003 Annual report