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'''北条 氏尭'''(ほうじょう うじたか、[[大永]]2年([[1522年]]) - [[永禄]]5年([[1562年]])[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]?)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[後北条氏]]の一族。第2代当主・[[北条氏綱]]の四男で、[[北条氏康]]の弟。幼名は菊王丸。十郎。
'''北条 氏尭'''(ほうじょう うじたか、[[大永]]2年([[1522年]]3月15日<ref>[[兼見卿記]]、永禄2年(1559年)の記録より</ref>) - [[永禄]]5年([[1562年]])[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]?)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[後北条氏]]の一族。第2代当主・[[北条氏綱]]の四男で、[[北条氏康]]の弟。幼名は菊王丸。十郎。左衛門佐


== 生涯 ==
== 生涯 ==
兄[[北条為昌]]の死去を受け、叔父[[北条幻庵]]の後見を受け、[[上野国|上野]][[平井城]]の城将となったり、[[房総半島]]に進軍するなど[[弘治 (日本)|弘治]]年間から活躍するようになる。
兄[[北条為昌]]の死去、叔父[[北条幻庵]]の後見を受けながら、[[上野国|上野]][[平井城]]の城将を務めたり、[[房総半島]]に進軍するなど[[弘治 (日本)|弘治]]年間から活躍するようになる。


[[永禄]]3年([[1560年]])には幻庵の長子三郎が死去したため、[[小机城]]主となり、翌年には[[上杉謙信|長尾景虎]]の関東進出により[[河越城]]に入城し、長尾軍攻撃を死守している。その一方で[[伊達氏]]の史料[[伊達文書]]から伊達氏と外交交渉を行っているなど後北条家において重要とされる将だったようだ。しかし、同5年以降には氏尭に関する史料が現在見当たらないおそらくしばらくして死去したと思われる。
[[永禄]]3年([[1560年]])には幻庵の長子三郎が死去したため、[[小机城]]主となり、翌年には[[上杉謙信|長尾景虎]]の関東進出により[[河越城]]に入城し、長尾軍攻撃を死守している。その一方で[[伊達氏]]の史料[[伊達文書]]から伊達氏と外交交渉を行っているなど後北条家において重要とされる将だったようだ。しかし、同5年以降には氏尭に関する史料が現在見当たらないため、おそらくこの前後に死去したと思われる。


== 諸説 ==
== 諸説 ==
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* 黒田基樹著 戦国北条一族 ISBN 440403251X C0021
* 黒田基樹著 戦国北条一族 ISBN 440403251X C0021
* 歴史群像シリーズ14 新説北条五代 早雲と一族、百年の興亡 (1989年、学習研究社)
* 歴史群像シリーズ14 新説北条五代 早雲と一族、百年の興亡 (1989年、学習研究社)

== 脚注 ==
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2010年2月26日 (金) 11:07時点における版

北条 氏尭(ほうじょう うじたか、大永2年(1522年3月15日[1]) - 永禄5年(1562年4月8日?)は、戦国時代武将後北条氏の一族。第2代当主・北条氏綱の四男で、北条氏康の弟。幼名は菊王丸。十郎。左衛門佐。

生涯

北条為昌の死去後、叔父北条幻庵の後見を受けながら、上野平井城の城将を務めたり、房総半島に進軍するなど弘治年間から活躍するようになる。

永禄3年(1560年)には幻庵の長子三郎が死去したため、小机城主となり、翌年には長尾景虎の関東進出により河越城に入城し、長尾軍攻撃を死守している。その一方で伊達氏の史料伊達文書から伊達氏と外交交渉を行っているなど後北条家において重要とされる将だったようだ。しかし、同5年以降には氏尭に関する史料が現在見当たらないため、おそらくこの前後に死去したと思われる。

諸説

長らく、北条氏康の九男氏光と同一人物とされてきたが、佐脇栄智氏の研究で氏尭の生年がはっきりした。その結果、氏康と7歳しか違わないことや北条氏光の存在も明確になっているので現在は氏綱の四男という見方が支配的である。そもそもこの問題は氏康の子どものうち、明確に生年がわかっているのは、氏政、氏規と桂林院殿(北条夫人)ぐらいで後は諸説あることが問題の引き金になっている。

一方で、氏康の六男(七男説もある)佐野氏忠と八男氏光は氏尭の子で死後養子に出されたのでは?という説もある。また、娘は正木頼忠室になったという(北条氏隆の娘または田中泰行の娘とも)。

参考文献

  • 黒田基樹著 戦国北条一族 ISBN 440403251X C0021
  • 歴史群像シリーズ14 新説北条五代 早雲と一族、百年の興亡 (1989年、学習研究社)

脚注

  1. ^ 兼見卿記、永禄2年(1559年)の記録より