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'''ピクォート族'''(Pequot、'''マシャンタケット・ピクォート族'''、Mashantucket Pequotとも言う)とは[[アメリカ合衆国]]の[[コネチカット州]]の[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民族]]部族の一つ。
'''ピクォート族'''(Pequot、'''マシャンタケット・ピクォート族'''、Mashantucket Pequotとも言う)とは[[アメリカ合衆国]]の[[コネチカット州]]の[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民族]]、[[インディアン]]部族の一つ。文献によって「'''ピークォット族'''」とも表記される


==かつての文化==
[[アルゴンキン]]語族に属する[[ブ・メリカン]]であるピクォート族は主にアメリカ東部の森林地帯に定住し[[狩猟]]採集と小規模の[[漁猟]]で暮らしていた。


[[アルゴンキン]]語族に属する[[インディアン]]部族であるピクォート族は主にアメリカ東部の森林地帯を移動生活、[[ウィグワム]]と呼ばれる樹皮小屋を建て、[[狩猟]]採集と小規模の[[漁猟]]で暮らしていた。
17世紀初頭、ピクォート族の副酋長だった親英派の[[アンカス]](Uncas)が、ピクォートから離れ[[モヒガン族]]を結成。

==歴史==
17世紀初頭、ピクォート族の副酋長だった親英派の[[アンカス]](またはウンカス、Uncas)が、ピクォートから離れ[[モヒガン族]]を結成。


ピクォート族の[[サッサクス]](Sassacus)酋長はピクォート族とモヒガン族を支配したが、次第に両者は敵対し、ピクォート族は[[ニアンティック]]に侵入するため南下、彼らの領域を[[コネチカット川]]にまで拡大していった。
ピクォート族の[[サッサクス]](Sassacus)酋長はピクォート族とモヒガン族を支配したが、次第に両者は敵対し、ピクォート族は[[ニアンティック]]に侵入するため南下、彼らの領域を[[コネチカット川]]にまで拡大していった。
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そして1人のイギリス人入植者が殺害された時に、殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくイギリス人入植者だったのに、ピクォート族に殺されたとして一方的に訴えられた時に、ピクォート族の怒りが頂点に達した。[[1636年]]に入植者側が殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、翌年の[[1637年]]に入植者達はピクォート族と対立するモヒガン族と[[ナラガンセット族]]の援助を受け、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し村を崩壊させた。これは'''[[ピクォート戦争]]'''と呼ばれ、600人居たうち、500人のピクォート族が殺された。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。[[ロングアイランド]]に逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れたたが、コネチカットの[[フェアフィールド]]近くで捕まり、殺されたり、または[[ニューイングランド]]や[[西インド諸島]]に[[奴隷]]として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたが[[モホーク族]]に捕えられて殺された。そしてピクォート族の土地は全てモヒガン族に占領された。
そして1人のイギリス人入植者が殺害された時に、殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくイギリス人入植者だったのに、ピクォート族に殺されたとして一方的に訴えられた時に、ピクォート族の怒りが頂点に達した。[[1636年]]に入植者側が殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、翌年の[[1637年]]に入植者達はピクォート族と対立するモヒガン族と[[ナラガンセット族]]の援助を受け、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し村を崩壊させた。これは'''[[ピクォート戦争]]'''と呼ばれ、600人居たうち、500人のピクォート族が殺された。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。[[ロングアイランド]]に逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れたたが、コネチカットの[[フェアフィールド]]近くで捕まり、殺されたり、または[[ニューイングランド]]や[[西インド諸島]]に[[奴隷]]として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたが[[モホーク族]]に捕えられて殺された。そしてピクォート族の土地は全てモヒガン族に占領された。


==部族の現在==
植民地政府は生き残った少ないピクォート族のメンバーを[[ミスティック川]]沿いに移住させたが、ピクォート族の人口は増えず、20世紀後期には約200人まで減少し、白人政府はこれを[[絶滅部族]]とした。

植民地政府は生き残った少ないピクォート族のメンバーを[[ミスティック川]]沿いに強制移住させたが、ピクォート族の人口は増えず、20世紀後期には約200人まで減少し、白人政府はこれを[[絶滅部族]]とした。


[[1983年]]に部族員が再結集して、ピクォート族の再認定を粘り強く要求。絶滅を取り消し再認定される。
[[1983年]]に部族員が再結集して、ピクォート族の連邦再認定を粘り強く要求。絶滅を取り消し再認定される。


[[1990年]]に679人のピクォート族が居て、現在でも南東部のコネチカット州の2ヶ所に居る。ピクォート族系のマシャンタケット・ピクォート族(Mashantucket Pequot)が[[1992年]]コネチカット州の[[レッドヤード]]市に[[カジノ]]「[[フォックスウッズ|フォックスウッズ・カジノ]]」を建設し、ギャンブル産業を経営した。およそ10億ドル(1100億円)を上まる利益があり成功している。カジノ産業で得た利益は部族員の医療や教育や博物館などに使われ、ピクォート族の博物館を営んでいる。
[[1990年]]に679人のピクォート族が居て、現在でも南東部のコネチカット州の2ヶ所に居る。ピクォート族系のマシャンタケット・ピクォート族(Mashantucket Pequot)が[[1992年]]コネチカット州の[[レッドヤード]]市に[[カジノ]]「[[フォックスウッズ|フォックスウッズ・カジノ]]」を建設し、ギャンブル産業を経営した。およそ10億ドル(1100億円)を上まる利益があり成功している。カジノ産業で得た利益は部族員の医療や教育や博物館などに使われ、ピクォート族の博物館を営んでいる。

2009年8月3日 (月) 15:39時点における版

ピクォート族(Pequot、マシャンタケット・ピクォート族、Mashantucket Pequotとも言う)とはアメリカ合衆国コネチカット州アメリカ先住民族インディアン部族の一つ。文献によって「ピークォット族」とも表記される。

かつての文化

アルゴンキン語族に属するインディアン部族であるピクォート族は、主にアメリカ東部の森林地帯を移動生活し、ウィグワムと呼ばれる樹皮小屋を建て、狩猟採集と小規模の漁猟で暮らしていた。

歴史

17世紀初頭、ピクォート族の副酋長だった親英派のアンカス(またはウンカス、Uncas)が、ピクォートから離れモヒガン族を結成。

ピクォート族のサッサクス(Sassacus)酋長はピクォート族とモヒガン族を支配したが、次第に両者は敵対し、ピクォート族はニアンティックに侵入するため南下、彼らの領域をコネチカット川にまで拡大していった。

イギリスから来た清教徒の入植者はピクォート族が住む近くに入植してきた。最初は平和な条約を結び、品物交換などしたりして平和に共存していたが、入植者はピクォート族が住むテリトリーにさらに入植していった。そしてピクォート族はナラガンセット湾コネチカット川に追い詰められている事にすぐに気付き、入植者とピクォート族との関係は悪化して行った。

そして1人のイギリス人入植者が殺害された時に、殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくイギリス人入植者だったのに、ピクォート族に殺されたとして一方的に訴えられた時に、ピクォート族の怒りが頂点に達した。1636年に入植者側が殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、翌年の1637年に入植者達はピクォート族と対立するモヒガン族とナラガンセット族の援助を受け、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し村を崩壊させた。これはピクォート戦争と呼ばれ、600人居たうち、500人のピクォート族が殺された。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。ロングアイランドに逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れたたが、コネチカットのフェアフィールド近くで捕まり、殺されたり、またはニューイングランド西インド諸島奴隷として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたがモホーク族に捕えられて殺された。そしてピクォート族の土地は全てモヒガン族に占領された。

部族の現在

植民地政府は生き残った少ないピクォート族のメンバーをミスティック川沿いに強制移住させたが、ピクォート族の人口は増えず、20世紀後期には約200人まで減少し、白人政府はこれを絶滅部族とした。

1983年に部族員が再結集して、ピクォート族の連邦再認定を粘り強く要求。絶滅を取り消し再認定される。

1990年に679人のピクォート族が居て、現在でも南東部のコネチカット州の2ヶ所に居る。ピクォート族系のマシャンタケット・ピクォート族(Mashantucket Pequot)が1992年コネチカット州のレッドヤード市にカジノフォックスウッズ・カジノ」を建設し、ギャンブル産業を経営した。およそ10億ドル(1100億円)を上まる利益があり成功している。カジノ産業で得た利益は部族員の医療や教育や博物館などに使われ、ピクォート族の博物館を営んでいる。

外部リンク