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「ノート:世界救世教」の版間の差分

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[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2007年6月3日 (日) 10:34 (UTC)
 
 
 
 
 
== 教団史について ==
 
節が整理され、メインの追加が教団史のみになりましたので、この節について考えたいと思います。
 
現在の教団史の表記は次の通りです。
 
* 立教や団体の開始
* 本部施設の変遷
* 書籍発行の日時
* 教祖の迫害史
* 自然農法に関するもの
 
このうち、私が「教団史」にふさわしいものとふさわしくないと思うのは次の物です。
 
'''ふさわしいと思うもの'''
* 立教や団体の開始と解散
* 本部施設の変遷
* (書かれていないが)教主の就任や死去など
 
'''ふさわしくないと思うもの'''
* 書籍発行の日時
* 教祖の迫害史
* 自然農法に関するもの
* (書かれていないが)美術品の収集歴
 
なぜこう思うかというと、世界救世教の項目は、あくまで世界救世教という団体に関する項目であるので、その歴史には団体としての歴史を書けばそれでよいと思うからです。
ですからそんなに長く詳しくする必要もないでしょう。
 
書籍の発行史や教祖の迫害史は岡田茂吉の項目で書くべき事でしょう。
(書籍や自然農法は歴史の節よりも岡田茂吉の項目にそういう節を立てて書く方がよいと思います。)
 
なお、世界救世教を説明するのに、岡田茂吉に偏りすぎるのは、信徒の癖だと思いますが、世界救世教という団体を百科事典として説明する場合は、あまり岡田茂吉に寄りすぎない方が良いと思います。岡田茂吉を中心とする視点での歴史は岡田茂吉の項目に任せればいいでしょう。ついでに書くと、「教祖、小冊子「明日の医術」、「健康」を刊行して薬害・薬禍を警告し健康の真理を発表。」とありますが、健康の『真理』を発表などという表記は百科事典にふさわしくないと思います。このような主観的な評価ではなく客観的な事実を淡々と表記すべきでしょう。
 
と、私は思いますが、どう思いますか? --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月4日 (月) 14:24 (UTC)
 
 
以上のご意見内容で私も良いと考えています。先に書かれていた内容に沿って編集していったもので、Wikipedia的には少し離れていると感じていたところです。今、草稿している文章にもやはり岡田茂吉という言葉が随所に出てくるので、というか説明の具体化ではどうしてもそうなるので極力削っているところです。
とりあえず、別ノートにて現段階の中途半端なものですがチェック願います。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 02:15 (UTC)
 
 
私の考える教団史とは、この程度のものです。これでも詳しすぎだと思っています。
 
* 明治15年(1882)12月23日 世界救世教創始者、岡田茂吉生誕。
* 大正9(1919)年、岡田茂吉、大本に入信。
* 昭和6年、千葉県「鋸山」で「夜昼転換」を天啓。
* 昭和9(1934)年、大本を脱退。
* 昭和9年5月1日に東京麹町平河町にて民間治療所「岡田式神霊指圧療法」を開業。
* 昭和10年(1935)1月1日「大日本観音会」を発会させ立教を宣言。麹町山元町に本部を置く。
* 昭和11年(1936)2月:菜園10アールの自然農法試作を始める。
* 昭和11年5月15日官憲から宗教活動と医療行為の分離を求められ「大日本健康協会」を設立。同年7月28日、官憲より療術行為禁止令を受け自然解散。
* 昭和11年10月1日玉川、上野毛(玉川郷)に移転。
* 昭和19年 神奈川県箱根強羅へ移転。聖地「箱根神仙郷」の建設を開始。
* 昭和22年 本拠地を箱根町強羅に移し「日本観音教団」を設立。
* 昭和25(1950)年 宗教法人の認可を受け「世界救世(メシヤ)教」を発足。
* 昭和27(1952)年「箱根美術館」落成。箱根神仙郷が完成する。
* ハワイ布教開始
* ブラジル布教開始
* 昭和30(1955)年2月10日 岡田茂吉死去。
* メシヤ会館完成
* 二代教主 就任
* 救世神殿完成
* 二代教主 死去
* 三代教主就任
* MOA美術館竣工
* タイ布教開始
* 三派分立
* 四代教主就任
* 三派和解
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 13:38 (UTC)
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