「ノート:世界救世教」の版間の差分

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Jesudonbay (会話 | 投稿記録)
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== 世界救世教とはなにを指すのか ==


「余談でご指摘頂いた件につきましても各派閥のご神体については別途注記で挿入するつもりですが、内紛前のままに一応しておいたほうが無難だと思いとりあえずそのように表記いたしました。」とありますが、Wikipediaはあなたのメモ書きの場所ではありません。あなたの中で記述したいことが完成してから書くべきではないですか?「教団一元化の動き」の項目も、中身がないのに節だけ増やされて、1行だけメモ書き「教団から分裂していき独立教団として・・・・」が残っていますが、他の編集者がその1行を読んでも、いったいどうやってその節を充実させたらよいのかわかりません。その1行があなたのメモ書きに過ぎないからです。「教団史」の項目も、全体的にも書きかけですし、箇条書きの1行ごとも未完成で意味不明な物がありますよね。このあたりは、Wikipediaの文法や編集方法の知識以前の問題だと思います。

さて、題名の件ですが、世界救世教という項目が何を指し、なにを解説すべきものなのか、それが決まらないままこの項目は存在しています。世界救世教とは、「岡田茂吉が立教した大日本観音会」から、「現在の被包括法人三派」までの歴史を指すのか、それとも、「包括法人世界救世教」を指すのかも未定義です。

あなたのいう、「内紛前のままに一応しておいたほうが無難だと思いとりあえずそのように表記いたしました。」というのは、Wikipediaの項目としては意味不明な状態を作ります。少なくともこの項目は、「内紛前までの世界救世教」を説明する項目ではないはずだからです。

私は、世界救世教自体が、三派の問題をどうするのか、信徒全体にまで周知され統一された方針が存在していない現在は、Wikipediaの項目を充実させるには不適切な時期だと考えています。その複雑な状態を記事として表記するのは、記述内容が膨大になり読者の混乱を生むだけで、しかもすぐに状況が変わってしまうわけですから。

こんな現状ですから、私としてはあなたが編集を加える前の世界救世教の項目の状態ぐらいがちょうどよいと考えていました。あれ以上踏み込んだ場合、三派全員を納得させられる記述は難しく、もし仮に奇蹟的に三派全員を納得させられる記述ができたとしても、この記述は、一般人の読者には意味不明な内容になってしまうだろうからです。

それでもこの項目を充実させようとするならば、三派全員が納得でき、一般人にもわかりやすい節構成や記述をあらかじめ設計、作成し、それを一挙に提案、提示すべきです。これは非常に難易度の高い大仕事です。少なくとも、Wikipediaをあなたのメモ書きで書き散らかして、あなた以外の人がどうすればいいのか分からない状態を作ったり、書きかけ未完成の節を無神経に置き去りにしている現状は、かえってよけいな混乱と闘争を生むだけでしょう。

三派全員を納得させ、一般読者にもわかりやすい。そんな難仕事をあなたははじめてしまったのですから、その仕事をやるのなら最後まで完成させてください。少なくとも、現状の書きかけ投げっぱなし状態やあなたの個人的なメモ書きの書き散らかしの状態は迷惑です。

本音を書くと、私としては、この項目構成のまま進むよりも、いったん編集する前の状態まで差し戻して頂き、あなたが「三派全員が納得し、一般読者にもわかりやすい」項目構成のたたき台を作ってからノートなどで再提案してもらえますよう、出直してほしいと思っています。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月2日 (土) 14:51 (UTC)


仰る通り、先に加筆されていたものに肉付けしていったもので文脈も構成もWikipediaの基本に欠けていると思っています。

「さて、題名の件ですが、世界救世教という項目が何を指し≪中略≫未定義です。」

私の今の考えとしては「世界救世教」ガイドブックを基準とし、どれだけ客観的に構成出来るかということは問題ではありますが、あくまでもWikipediaに記載する以上、一般向けの内容となるよう心がけその方向でメモを作成しています。(昭和48年出版参照)
ですので、あなたがご指摘されている通りにノートに一度草稿を書き込みますので、是非あなたの知識と冷静な分析力、理念にて加筆頂ければ幸甚です。

ですので、内紛などの経緯などを今の段階では記載しないほうが良いと考えます。教団史として事実を記載する程度であれば各派とも異論はないと思うのですが如何でしょう。
そうすると、あなたの本音の部分は基本的に私も賛成しますし了解です。そうであれば外部リンクの各派のリンクは別項目として分裂教団のひとつとしてリンクすべきかと思います。

現在進められている各派の実務代表会合にても大いに論議頂き、その後、このページが各派の「世界救世教」としての統一見解の結論が反映されることを希望しています。それまでに基本的な「世界救世教」が Wikipediaに載っているということが大事なことで、彼らに余裕が出来てきたら必ず良い編集をしてくれるものと期待しております。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月3日 (日) 05:58 (UTC)

私の考えとしては、世界救世教の項目に書くべき物は現在の世界救世教の現状の運営の客観的な記述であり、歴史などはそれを補足する物として軽く書くのが、世界救世教について読者の知りたいことであり、百科事典にふさわしい記述であり、三派の差異を吸収する記述でもあると思います。

いまのままだと、世界救世教の歴史を非常にくどくどしく書き並べる方向に向かいそうですが、歴史をずらずらと書き並べても、世界救世教の現状の複雑さがなぜ起こっているのかを、さらに複雑に長文で説明しているだけで、一般の読者の立場になったとき、長い割に得る物のない項目になってしまうでしょう。

それより、「世界救世教の現状の運営はこのとおり」とまずわかりやすく端的に書いて、歴史などは、それを解釈するために必要最低限のことが書かれていれば十分でしょう。

また、例えば、浄霊とは何か、のような事を世界救世教の項目に書きたい気持ちも分かりますが、現状は各教団で浄霊とは何かの統一がありません。だから浄霊とは何かを書く必要は現時点では無く、浄霊を含めた細かい教義の解釈や祭祀の方法などが三派で異なっているという現状を軽く書けばよいでしょう。もしそれぞれの派閥で具体的にどう考えているかを伝える必要があるならば、各派閥ごとの項目を新設すれば良いでしょう。

そうすると、世界救世教の項目自体は、そんなに詳しい項目にはならないはずです。詳しい内容が必要ならば、岡田茂吉の項目や、(今はまだ存在しませんが)各被包括法人ごとの項目に任せればよいのです。

と、私は思います。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月4日 (月) 14:48 (UTC)


== 教団史について ==
== 教団史について ==

2008年8月7日 (木) 01:15時点における版

2007年5月末から6月にかけての、124.210.169.94による荒らし行為に関して

2007年五月末から、 124.210.169.94は、世界救世教教祖、岡田茂吉に関する記述があるさまざまな項目に対し、文脈を無視して無差別的に、「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という記述をはじめとする、悪意の逆宣伝を目的とした、荒らし行為と断定できる記述を行っています。

私、Brandy of plum は、この荒らし行為を監視し、差し戻し処理を行っております。

124.210.169.94が荒らし行為と認定できる理由は、

  • 同一のタイミングにおいて、世界救世教に限らない、岡田茂吉という氏名の記述があるさまざまな項目に対して同等の文章を挿入している。
  • 文章の記述には岡田茂吉に対する明かな悪意が感じられ、記述の動機がWikipediaの充実ではなく、悪意にあることが一目瞭然である。
  • 記述は文脈を無視しており、そこに挿入する必然性もなく、項目の情報としての品質を損なわしている。
  • そもそも、その記述内容は真実ではない。または、悪意に歪曲して表現している。

という点から認定できます。

なお、以下に、最後の「そもそも、その記述内容は真実ではない。」という点について解説を行います。

「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という挿入文は真実ではない

荒らし行為を行うものがこの記述を行う論拠は、以下のホームページの記述にあります。

世界救世教の誤りを破す

むしろ、このホームページの記述以外に論拠をもっていないとも言えます。なお、このホームページは、他の宗教をすべて邪教とする傾向が強い日蓮正宗系のホームページであり、世界救世教に限らずさまざまな宗教に対して批判的な記載を行っているページであることを付記しておきます。



さて、このホームページに記載されている、 「昭和11年と15年の2回、茂吉は医師法違反で逮捕されています。」 という記述は、真実ではありません。

この件に関しては、まず、Wikipediaの項目より、一目でわかる問題から解説します。 Wikipediaの項目医師法 の記載をみて頂くと、我々の知る医師法という法律は、昭和23年に成立、施行された法律だということがわかります。とくに注目すべきは、我々が医師法違反で逮捕と聞いて想像する、「医師以外、医業をなしてはならない」という法律「医師法第17条」も、昭和23年に制定された法律であるという事です。

このことにより、昭和11年、および昭和15年に医師法違反で逮捕されたというだけの短い記述は、我々が知る医師法がその時代には存在していなかった一点だけを考えても、事実を適切に表現していないことがわかります。

では、昭和10年代の逮捕とは何かという話ですが、そもそも、逮捕されたという表現より現代人が想像するのは、法律に違反したため警察に逮捕されたということになります。上記の世界救世教の誤りを破すの記述も、「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」の単文をあちこちの項目に挿入した荒らし行為者も、単に逮捕されたと記述することで、現代人が想像する逮捕を想起させ、岡田茂吉を犯罪者であるかのように印象づけようとしているのですが、実は、岡田茂吉教祖が戦前または戦中の時代であった昭和10年代に蒙った数回におよぶ投獄の災難は、現代人が想像する「警察による犯罪者の逮捕」とは意味が異なります。

それは、日本の警察の項目の記述をみるとわかるとおり、1933年(昭和8年)より、1948年(昭和23年)迄の間、すなわち岡田茂吉教祖が逮捕されたとする昭和10年代は、警察以外に憲兵 (日本軍)が一般人に対する逮捕や尋問などを行っていた時代でした。

当時の憲兵 (日本軍)が行っていたことは、思想の徹底的な抑圧であり、天皇を神とする思想に反する言動を行うものは思想犯などとされ、投獄や拷問を含めた弾圧行為が国家によって行われていた時代でした。現代の我々が当たり前に享受している「信教の自由」「思想の自由」といったものは、戦前、戦中にはまったく存在しなかったのです。そのため、その時代は多くの思想家や宗教家がぬれぎぬを着せられ、不当な投獄を蒙ったり、拷問によって発狂や死亡にまで至った例まであるという、現代人からみると想像を絶するような時代でした。また、警察内にも、思想犯専門の部署である特高(特別高等警察)という部署があり、日本軍同様、一般人の思想言動を厳しく監視し、思想犯の検挙を行っていました。(特高は敗戦と共に廃止されました。)

すなわち、岡田茂吉を逮捕したとするのは警察ではなく当時の日本軍または特高と呼ばれる思想犯専門の警察部署であり、これは、現代人の考える「(警察による犯罪者の)逮捕」とは、まったく事情が異なっているのです。

戦前、戦中にどのような思想、言論弾圧が行われたかについては、戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)を参照してください。

世界救世教教祖、岡田茂吉もその例に漏れず、軍人や特高らによる思想弾圧を目的とする迫害を蒙ったのが、昭和11年、昭和15年などの投獄、留置、拷問事件でした。とくに岡田茂吉の場合は、当時の国家がその総力をあげて大弾圧を行った大本教のもと幹部であったという事情もあり、その残党として目を付けられてため、当時の憲兵 (日本軍)の目も他の思想家以上に厳しく、さまざまな難癖をつけ、なんとかその宗教活動または治療活動を禁止しようと、数回もの留置、投獄、尋問、拷問、暴力行為を行ったのです。(大本教が蒙った弾圧については、大本事件を参照してください。)

上記ホームページに記載されている、昭和11年と昭和15年の2回の逮捕とは、この憲兵 (日本軍)特高による、思想弾圧を目的とした、留置、投獄、尋問、拷問、暴力行為のことであり、現代人が思うような、「犯罪を犯して警察に逮捕された」というようなことではありません。

なお、この一連の投獄事件に関しては、岡田茂吉教祖はそのときの事情を文章として詳細に残しており、調べればそのときの様子を詳しく知ることが可能となっています。

結局、逮捕といっても旧日本軍や特高による思想、言論弾圧が目的の投獄、拷問行為であったということ、そもそも我々の知る医師法が昭和23年の成立であることを考えると、「昭和11年と15年の2回、茂吉は医師法違反で逮捕されています。」とだけする単文は、真実を適切に表現したものとは言えないということがわかります。

戦前、戦中という特殊な社会的背景や、法律自体の事情も違うことに言及することなく、これを単純に「逮捕された」などという表現で犯罪者扱いにし、印象を操作しようとするような記載は、他宗教批判を目的とすることが明確な上記世界救世教の誤りを破すのようなホームページの記述や、うわさ話を創造して楽しむことが目的の2chのようなところならともかく、百科事典として記事の正確性を目指すWikipediaの記述としては適切ではありません。


次に、「教祖が脱税で逮捕された」という事実は存在していません。

昭和22年当時、戦後の混乱期にあって財務を正しくできる人間が不在であったことや、急激な発展に対する組織整備の遅れなどから、昭和22年度の教団の税務申告に関して不備がありました。そのため、昭和23年に、教団本部が強制捜査を受けたという事実がありました。

通常、税務申告の不備ぐらいで強制捜査は行いませんが、当時の大蔵省査察部(*)は、教団が不正な財産を宝石などに変えて邸内に隠し持っていると想像しており、申告の不備を口実に強制捜査を行ったのです。もちろん、実際には何も発見されませんでした。

(*)昭和23年時点では、査察部は大蔵省直下に組織されていたそうです。

その結果、この騒動自体は単なる申告の記載漏れとして理解され、追徴金を納めることで一応の決着がつき、もちろん岡田茂吉教祖の逮捕などは行われておりません。しかし、世間に注目を受けていた当時の教団は、マスコミによってこの騒動を大きく揶揄されたのです。

当時のマスコミは、現代と違い、不当な報道に対する自浄機関も全く有しておらず、公平で客観的な報道を行っているとはいえない時代でした。そのため、この事件も非常に大げさに揶揄され、「教団の資産は20億から30億円」などという事実とは異なる記事が、大新聞であっても現在の三面記事、大衆週刊誌レベルの意識で、読者の興味を引く目的により報道されました。(20億から30億円という金額は当時の貨幣基準による。昭和23年当時の公務員初任給は5000円程度、現代は20万円程度なので40倍違う。現代でいう800億から1200億を、物資なく全日本国民が飢えていた時期である、戦後の2年程度で集めたことになる。これはとうてい常識的な報道ではない。)

そして、昭和25年にある事件によって教祖の逮捕が行われるわけですが、当時の報道機関は、あたかも昭和23年の脱税騒動と連動してその逮捕が行われたかのような報道を行ったのです。昭和25年当時の大新聞がこぞって、「贈賄で脱税」などという見出しの報道を行ったのですが、実際には容疑に脱税の要素はなく、当時の新聞の誤報です。

この誤報のため、現代でも、「岡田茂吉の逮捕は脱税と贈収賄」と誤解され、前述の世界救世教の誤りを破すのホームページでも「脱税と贈賄の容疑で検挙され有罪判決を受けました。」などと誤った情報が書かれているのですが、昭和25年の逮捕には脱税容疑の要素はなく、岡田茂吉教祖が脱税で逮捕されたという事実は存在していません。


荒らし行為の挿入文「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」をみると、まるで逮捕ということが3,4回もあったかのように見せていますが、警察による逮捕という、我々が想像するいわゆる逮捕は、昭和25年に発生した1回のみです。

その、昭和25年の逮捕というのは贈賄容疑です。したがって荒らし行為の「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という挿入文は、容疑は贈賄ですから、「収賄」という記述まで考慮すると、一つの真実もないわけです。

仮に「収賄の記述は勘違いだった」とし、贈賄と書き直したとすると、そこでようやく真実の表現に近づくことになりますが、だが、それがうわさ話を楽しむ2chのような所でしたらまだしも、百科事典として正確な記述を目指すWikipediaとしては、「教祖である岡田茂吉は、贈賄での逮捕歴がある」という記述表現だけでは情報の正確さを欠きます。

というのは、この贈収賄事件は、結論として事件自体が存在していなかったことが他の裁判を通じて証明されており、必然的に岡田教祖が蒙った有罪判決も無実の誤審であったことが立証されているからです。

贈収賄というのは、当然、贈賄側と収賄側がいます。岡田教祖は贈賄側とされており、この裁判は、当時の警察による「頭脳の拷問」といわれる取り調べの結果の自白を唯一の証拠とする判決により、一審において有罪となっています。当時の教団側弁護団は、この裁判の不当性、および、控訴による勝利の確信のため、控訴を強く勧めましたが、岡田教祖は以下の発言を残し、控訴を行いませんでした。

「いままで教団は、短期間に発展したため、ねたんだり、恨んだりしている人々も世間にはたくさんいるはずだ。けれども今日の判決で有罪と宣告されたので、そういう人々の思いが消えるから、かえって結構なことなんだ。それに有罪といっても、執行猶予なのだから、別にどうということはない」(東方の光下巻P289)

しかし、収賄側とされる教団外の人物らは納得がいかず、控訴を行い、その結果、唯一の証拠であった教祖の自白には任意性が認められず、証拠としての能力がないとし、収賄側は無罪となりました。このことにより、この贈収賄事件は、贈収賄の収賄側が無罪ということで、必然的に事件自体が存在していなかったことが証明され、教祖の無実が間接的に実証された結果となっているというのがこの騒動の顛末です。

なお、収賄側とされる教団外の人物らによる控訴後の勝利は、岡田茂吉の死去した昭和30年よりも後のことでした。

ちなみに、教祖の「自白」というのは、「私がやりました」と言ったのではなく、教祖の発言と、教祖以外の容疑者の発言が一致したので、共謀を行ったのだろうと検察は判断した、という程度のものでした。これが現代の事件であるならば、この程度のことが唯一の根拠という状態で検察は起訴を決定しないでしょうし、ましてや一審で有罪ということも起こらないでしょう。


なぜ、このような無実の逮捕劇が起きたかというと、昭和20年代というのは、昭和23年、GHQの要請により警察法が制定され、現在の私たちが知る警察組織がようやく機能し始めた時代でしたが、そのときの警察担当者は、戦前の憲兵 (日本軍)特高がそのまま警察の担当者を引き継いでいる例が多く、そのため警察といえど戦前の思想行動を戦後においても継続し、信教の自由こそは憲法で保障されたものの、実際には警察による思想弾圧の色がまだ強く残っていた時代でありました。こういった時代背景が、当時の警察に教祖の検挙を強く決心させ、薄い根拠しかないのに結論を焦ったためにこのような無実の逮捕劇を起こしたのだと思われます。もちろん、当時の世界救世教が、当時の様々な新宗教の中で、信者数の増加という意味で非常に目立っていたことも関係があります。


なお、この事件に関しても、岡田茂吉教祖は多くの文章を残しており、当時、教祖がどのような仕打ちを受けたのかについても知ることが可能です。


岡田茂吉教祖の逮捕ということについては、戦前戦中に行われたものは、「警察による犯罪者の逮捕」ではなく、旧日本軍や特高による思想、言論弾圧としての投獄、拷問行為でした。現代人が逮捕と聞いて想像する通りの「警察による犯罪者の逮捕」は昭和25年に行われた一回のみであり、これは「贈賄容疑」として一度は有罪判決を受けたが、実は後の裁判で贈収賄行為自体が存在していないことが証明され、結局は無実の逮捕および誤審であったというのが、この件の真実です。

戦前戦中の医師法違反による逮捕
現代人が想像するような「警察による犯罪者の逮捕」が行われたのではない。行われたのは、戦前、戦中の旧日本軍や特高による思想、言論弾圧による投獄、拷問行為。なお、現代の医師法の成立は戦後。
脱税による逮捕
その事実はない。昭和25年の新聞報道の誤報。
贈賄による逮捕
昭和25年に贈賄容疑で逮捕。裁判は一審で有罪だったが、後にその贈収賄事件自体が存在していなかったことが他の裁判によって証明され、無実の逮捕、誤審であったことが立証されている。

したがって、もしこの件に関してWikipediaに書くのならば、上記の間接的に無罪となったという歴史的な事実や、当時の平等とは言えない警察や報道機関の事情、および、上記の発言の背景となる教祖の思想にまで言及して記述すべきだといえますが、現在の世界救世教の項目は、この件に言及するほどの記述の充実性は無く、それにも拘わらず「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」とだけ連続的に各所に文章を挿入する行為は、真実を表現することを目的とした記述ではなく、単に岡田茂吉教祖への個人的な悪感情を表現したいにすぎないための記述であるため、この記述は荒らし行為にすぎないと断定できます。


Brandy of plum 2007年6月3日 (日) 10:34 (UTC)[返信]



教団史について

節が整理され、メインの追加が教団史のみになりましたので、この節について考えたいと思います。

現在の教団史の表記は次の通りです。

  • 立教や団体の開始
  • 本部施設の変遷
  • 書籍発行の日時
  • 教祖の迫害史
  • 自然農法に関するもの

このうち、私が「教団史」にふさわしいものとふさわしくないと思うのは次の物です。

ふさわしいと思うもの

  • 立教や団体の開始と解散
  • 本部施設の変遷
  • (書かれていないが)教主の就任や死去など

ふさわしくないと思うもの

  • 書籍発行の日時
  • 教祖の迫害史
  • 自然農法に関するもの
  • (書かれていないが)美術品の収集歴

なぜこう思うかというと、世界救世教の項目は、あくまで世界救世教という団体に関する項目であるので、その歴史には団体としての歴史を書けばそれでよいと思うからです。 ですからそんなに長く詳しくする必要もないでしょう。

書籍の発行史や教祖の迫害史は岡田茂吉の項目で書くべき事でしょう。 (書籍や自然農法は歴史の節よりも岡田茂吉の項目にそういう節を立てて書く方がよいと思います。)

なお、世界救世教を説明するのに、岡田茂吉に偏りすぎるのは、信徒の癖だと思いますが、世界救世教という団体を百科事典として説明する場合は、あまり岡田茂吉に寄りすぎない方が良いと思います。岡田茂吉を中心とする視点での歴史は岡田茂吉の項目に任せればいいでしょう。ついでに書くと、「教祖、小冊子「明日の医術」、「健康」を刊行して薬害・薬禍を警告し健康の真理を発表。」とありますが、健康の『真理』を発表などという表記は百科事典にふさわしくないと思います。このような主観的な評価ではなく客観的な事実を淡々と表記すべきでしょう。

と、私は思いますが、どう思いますか? --Brandy of plum 2008年8月4日 (月) 14:24 (UTC)[返信]


以上のご意見内容で私も良いと考えています。先に書かれていた内容に沿って編集していったもので、Wikipedia的には少し離れていると感じていたところです。今、草稿している文章にもやはり岡田茂吉という言葉が随所に出てくるので、というか説明の具体化ではどうしてもそうなるので極力削っているところです。 とりあえず、別ノートにて現段階の中途半端なものですがチェック願います。--Jesudonbay 2008年8月5日 (火) 02:15 (UTC)[返信]


私の考える教団史とは、この程度のものです。これでも詳しすぎだと思っています。

  • 明治15年(1882)12月23日 世界救世教創始者、岡田茂吉生誕。
  • 大正9(1919)年、岡田茂吉、大本に入信。
  • 昭和6年、千葉県「鋸山」で「夜昼転換」を天啓。
  • 昭和9(1934)年、大本を脱退。
  • 昭和9年5月1日に東京麹町平河町にて民間治療所「岡田式神霊指圧療法」を開業。
  • 昭和10年(1935)1月1日「大日本観音会」を発会させ立教を宣言。麹町山元町に本部を置く。
  • 昭和11年(1936)2月:菜園10アールの自然農法試作を始める。
  • 昭和11年5月15日官憲から宗教活動と医療行為の分離を求められ「大日本健康協会」を設立。同年7月28日、官憲より療術行為禁止令を受け自然解散。
  • 昭和11年10月1日玉川、上野毛(玉川郷)に移転。
  • 昭和19年 神奈川県箱根強羅へ移転。聖地「箱根神仙郷」の建設を開始。
  • 昭和22年 本拠地を箱根町強羅に移し「日本観音教団」を設立。
  • 昭和25(1950)年 宗教法人の認可を受け「世界救世(メシヤ)教」を発足。
  • 昭和27(1952)年「箱根美術館」落成。箱根神仙郷が完成する。
  • ハワイ布教開始
  • ブラジル布教開始
  • 昭和30(1955)年2月10日 岡田茂吉死去。
  • メシヤ会館完成
  • 二代教主 就任
  • 救世神殿完成
  • 二代教主 死去
  • 三代教主就任
  • MOA美術館竣工
  • タイ布教開始
  • 三派分立
  • 四代教主就任
  • 三派和解

--Brandy of plum 2008年8月5日 (火) 13:38 (UTC)[返信]