「李福 (唐)」の版間の差分
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李世民と楊妃の間に生まれた。 |
李世民と楊妃の間に生まれた。 |
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[[639年]]、趙王に封ぜられ、隠太子[[李建成]]の後を継いだ。[[644年]]、秦州都督に任ぜられ、実封八百戸を受けた。[[649年]]、右衛大将軍を加えられ、梁州都督となった。[[670年]]、梁州の官邸で亡くなった。司空・并州都督<ref>墓誌によると、贈官は司空・使持節・大都督・荊硤岳朗四州諸軍事・荊州刺史。</ref>の位を贈られ、昭陵に陪葬された。 |
[[639年]]、趙王に封ぜられ、隠太子[[李建成]]の後を継いだ。[[644年]]、秦州都督に任ぜられ、実封八百戸を受けた。[[649年]]、右衛大将軍を加えられ、梁州都督となった。[[670年]]、梁州の官邸で亡くなった。[[司空]]・并州都督<ref>墓誌によると、贈官は司空・使持節・大都督・荊硤岳朗四州諸軍事・荊州刺史。</ref>の位を贈られ、[[昭陵]]に陪葬された。 |
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妻の宇文修多羅(うぶんしゅうだら、生年不詳 - [[660年]]5月3日)は、字を普明といい、[[宇文士及]]の娘であった。 |
妻の宇文修多羅(うぶんしゅうだら、生年不詳 - [[660年]]5月3日)は、字を普明といい、[[宇文士及]]の娘であった。 |
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子がなく<ref>『新唐書』によると、李福に子はない。墓誌には「子建平王穆」との記事が見られる。</ref>、[[神龍 (唐)|神龍]]初年、蒋王李惲の孫の李思順が趙王を嗣いだ。 |
子がなく<ref>『新唐書』によると、李福に子はない。墓誌には「子建平王穆」との記事が見られる。</ref>、[[神龍 (唐)|神龍]]初年、蒋王[[李惲]]の孫の李思順が趙王を嗣いだ。 |
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== 伝記資料 == |
== 伝記資料 == |