「ツヴィ・カリシャー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
ツヴィ・ヒルシュ・カリシャー('''Zwi'''<font size=-1>''(英:Zevi)''</font> '''Hirsch Kalischer''', [[1795年]] [[レシュノ]] [[w:Leszno|Leszno]] - [[1874年]] トールン([[トルニ]]))は[[東プロシア]]の[[タルムード]]学者で、[[ドイツ]]における[[シオニズム]]運動の先駆者。
'''ツヴィ・ヒルシュ・カリシャー'''('''Zwi'''<font size=-1>''(英:Zevi)''</font> '''Hirsch Kalischer''', [[1795年]] [[レシュノ]] [[w:Leszno|Leszno]] - [[1874年]] トールン([[トルニ]]))は[[東プロシア]]の[[タルムード]]学者で、[[ドイツ]]における[[シオニズム]]運動の先駆者。


[[正統派]][[ユダヤ教]]徒のようにひたすら[[メシア]]を待つのではなく、積極的に[[パレスチナ]]への移住([[シオン]]への帰還)を実現すべきであると説いた。
[[正統派]][[ユダヤ教]]徒のようにひたすら[[メシア]]を待つのではなく、積極的に[[パレスチナ]]への移住([[シオン]]への帰還)を実現すべきであると説いた。
10行目: 10行目:
[[en:Zevi Hirsch Kalischer]]
[[en:Zevi Hirsch Kalischer]]
[[Category:シオニズム]]
[[Category:シオニズム]]
{{stub}}

2004年11月17日 (水) 14:14時点における版

ツヴィ・ヒルシュ・カリシャーZwi(英:Zevi) Hirsch Kalischer, 1795年 レシュノ Leszno - 1874年 トールン(トルニ))は、東プロシアタルムード学者で、ドイツにおけるシオニズム運動の先駆者。

正統派ユダヤ教徒のようにひたすらメシアを待つのではなく、積極的にパレスチナへの移住(シオンへの帰還)を実現すべきであると説いた。

1862年に出された「シオンを求めて」は、同年出版されたモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム」と共に、シオニズム運動の成立に大きな影響を与えた。