「金田村 (岡山県)」の版間の差分

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岡山県の旧自治体
 
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| 廃止日 = 1953年2月1日
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| 廃止理由 = 新設合併
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| 現在の自治体 = [[岡山市]]
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| よみがな = かなだそん
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*[[1922年]](大正11年)農民運動家、山上武雄の指導で[[小作争議]]が発生{{R|角川}}。
*[[1922年]](大正11年)農民運動家、山上武雄の指導で[[小作争議]]が発生{{R|角川}}。
*[[1934年]](昭和9年)水害で大きな被害を受けた{{R|角川}}。
*[[1934年]](昭和9年)水害で大きな被害を受けた{{R|角川}}。
*[[1953年]](昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村、邑久郡豊村・太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し'''[[西大寺 (旧市)|西大寺市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
*[[1953年]](昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村、邑久郡豊村・太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し'''[[西大寺域|西大寺市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。


=== 地名の由来 ===
=== 地名の由来 ===

2024年4月5日 (金) 01:43時点における版

かなだそん
金田村
廃止日 1953年2月1日
廃止理由 新設合併
上道郡古都村西大寺町可知村光政村津田村九蟠村金田村邑久郡豊村太伯村幸島村邑久町(一部)→ 西大寺市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
上道郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,115
国勢調査、1950年)
隣接自治体 西大寺町、九蟠村、津田村、光政村
金田村役場
所在地 岡山県上道郡金田村字宮町
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金田村(かなだそん[1])は、岡山県上道郡にあった。現在の岡山市東区の一部にあたる。

地理

吉井川下流と百間川下流との間の平坦地に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、上道郡金岡新田村が単独で村制施行し、金田村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]
  • 1892年(明治25年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1893年(明治26年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1922年(大正11年)農民運動家、山上武雄の指導で小作争議が発生[2]
  • 1934年(昭和9年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1953年(昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村、邑久郡豊村・太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し西大寺市を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

旧称の金岡新田を取捨したもの[2]

産業

教育

  • 字東町に開成小学校が所在[2]。1937年(昭和12年)開成幼稚園を併設[2]
  • 1947年(昭和22年)上南中学校(現岡山市立上南中学校)開校[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』197頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』308頁。

参考文献

関連項目