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'''南院慧顒'''(なんいん えぎょう)は、晩[[唐]]から[[五代十国時代]]にかけて活動した[[臨済宗]]の禅匠。[[臨済義玄|臨済]]下3世。
'''南院慧顒'''(なんいん えぎょう)は、晩[[唐]]から[[五代十国時代]]にかけて活動した[[臨済宗]]の禅匠。[[臨済義玄|臨済]]下3世。


[[大中]]14年([[860年]])に河北にて生まれる。[[興化存奨]]の法を継ぎ、[[汝州]]の宝応禅院南院の住持となった。そのため、'''宝応慧顒'''(寶應慧顒)とも呼ばれる。宗統編年によれば長興元年(930年)に示寂。法嗣に[[風穴延沼]]がおり、その法を後代に伝えた。その語録として汝州南院禅師語要があったと伝わる。『[[景徳傳燈録]]』巻12がその事績を伝える。
[[大中]]14年([[860年]])に河北にて生まれる。[[興化存奨]]の法を継ぎ、[[汝州]]の宝応禅院南院の住持となった。そのため、'''宝応慧顒'''(寶應慧顒)とも呼ばれる。宗統編年によれば長興元年(930年)に示寂。法嗣に[[風穴延沼]]がおり、その法を後代に伝えた。その語録として汝州南院禅師語要があったと伝わる。『[[景徳伝灯録]]』巻12がその事績を伝える。


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2023年9月19日 (火) 23:13時点における版

南院慧顒
大中14年 - 長興元年頃
860年 - 930年頃)
生地 河北
宗派 臨済宗
寺院 汝州宝応禅院南院
興化存奨
弟子 風穴延沼
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南院慧顒(なんいん えぎょう)は、晩から五代十国時代にかけて活動した臨済宗の禅匠。臨済下3世。

大中14年(860年)に河北にて生まれる。興化存奨の法を継ぎ、汝州の宝応禅院南院の住持となった。そのため、宝応慧顒(寶應慧顒)とも呼ばれる。宗統編年によれば長興元年(930年)に示寂。法嗣に風穴延沼がおり、その法を後代に伝えた。その語録として汝州南院禅師語要があったと伝わる。『景徳伝灯録』巻12がその事績を伝える。

先代
興化存奨
臨済宗
889 - 930
次代
風穴延沼