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オファ (マーシア王)

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オファ
offa
マーシア
後世の肖像
在位 757年–796年

出生 不詳
死去 796年
配偶者 クネスリス
子女 エゼルウルフ
家名 ウェセックス家
父親 ケント王エルムンド英語版
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オファの防塁英語版フランクシャルルマーニュも同様の城壁を築くことを計画したが実行できなかったほどである。また、イングランドとウェールズの国境線をほぼ画定したのもこの防塁によるものである。

オファen:offa,生没年:757年–796年頃)、又はオッファとは、8世紀ごろのマーシア王。クネスリスという女性を娶り、5人の子をもうけた。28日(何年の何月かは不詳)、58歳 で死去した。 幾つかの資料では最初にRex Anglorum の称号を用いたのは757年以来、マーシア王であったオファの774年だと言われているが、この主張は明らかに10世紀に偽造された憲章に基づいている[1][2]。といわれる。 しかし、自らをOf Rx Aと刻んだ幾つかのオファの貨幣から彼がOf Rx Aの立場にあったと信じられている[3]。このことは当時、後世に獲得したのよりも異なる意味を有していた。即ち、アングル人の王であって、必ずしもサクソン人の王ではなかったのである[3]

8世紀にはマーシアが強大となり,とくにオファは他の諸国に宗主権をふるっただけでなく、ウェールズとの境界に「オファの防塁英語版」と呼ばれる長大な土塁を築いてブリトン人を圧迫した。オファの防塁英語版ハドリアヌスの長城にも劣らぬオファ王の歴史的偉業とされる。攻めてくるブリトン人を防ぐためのものか、切り取った地域を守るためのものか、その建設意図は明らかでない。この防塁に関して分かっていることは、すでにあった「ウォットの防塁」を延伸するかたちでイングランドとウェールズの間に築かれた。またフランク王国カール大帝と対立し、対等な外交を展開するなど、大いに権力をふるい、威を示した。

796年、死去したと伝わる。

脚注

  1. ^ Keynes, Simon (1999), “Offa”, in Lapidge, Michael, The Blackwell Encyclopedia of Anglo-Saxon England, Oxford: Blackwell, pp. 301–341, ISBN 0-631-22492-0  "The notion that Offa claimed to be 'king of the English', or 'king of the whole country of England', has been shown to depend, however, on charters forged in the tenth century. In his own day he was 'king of the Mercians', and proud enough to be so." (p. 341)
  2. ^ Wormald, Patrick (1982), “The Age of Offa and Alcuin”, in Campbell, James, The Anglo-Saxons, London: Phaidon, pp. 101–128, ISBN 0-14-014395-5  "Charlemagne, moreover, saw England as if it were ruled by two kings only; Æthelred ruling Northumbria, and Offa everything to the south." (p. 101)
  3. ^ a b The Earliest English Kings, D.P. Kirby[リンク切れ]