玉林通琇
表示
玉林通琇 | |
---|---|
1614年-1675年 | |
尊称 | 玉琳国師 |
生地 | 江蘇省江陰県 |
没地 | 浙江省西天目山禅源寺 |
宗派 | 禅宗臨済宗 |
師 | 磬山圓修 |
玉林通琇(ぎょくりん つうしゅう、1614年 - 1675年)は、中国の清代の臨済宗の禅僧。字は玉林、玉琳、尊称が玉琳国師で。江蘇省江陰県出身で俗姓は楊氏。。清の順治帝の帝師。
略歴
[編集]明の万暦42年(1614年)、江蘇省江陰県で生まれる[1]。
19歳で磬山圓修の門下で具足戒を受ける[1]。玉林通琇は浙江省武康県報恩寺に住んでいたが、順治15年(1658年)、京城挙揚仏法大会に召集され、大覚禅師に封じられた[1]。翌年封ぜられた大覚普済禅師[1]。順治17年(1660年)、董鄂妃が死去し、順治帝は意気消沈し、出家しようとした、後玉林通琇は順治帝に改心を勧め、順治帝は玉林通琇に大覚普済能仁国師を加封した[1]。
玉林通琇は浙江省西天目山に禅源寺を建てて常住し、康熙14年(1675年)、淮安県慈雲庵にて示寂[1]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 聶先 (2018) (中国語). 『続指月録』. 成都市: 巴蜀書社. ISBN 9787553109824