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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸に結綿
瀬川 菊之丞
(せがわ きくのじょう)は
歌舞伎
の
名跡
。かつては江戸歌舞伎の
女形
を象徴する大名跡だった。現在では
前進座
出身の俳優が七代目を名乗っている。
屋号
は
濱村屋
。
定紋
は
丸に結綿
。
初代 瀬川菊之丞
出身地は
摂津
とも
京都
ともいわれる、1693–1749。
初代
瀬川吉次
→ 初代瀬川菊之丞
二代目 瀬川菊之丞
初代の養子、1741–73。実父は富農・清水半六。
瀬川権次郎 → 二代目瀬川吉次 → 二代目瀬川菊之丞
三代目 瀬川菊之丞
二代目の死後瀬川家に入る、1751–1810。実父は舞踊
市山流
の家元初世市山七十郎。
市山七之助(富士屋)→ 市山富三郎(富士屋)→ 瀬川富三郎 → 三代目瀬川菊之丞 → 三代目
瀬川路考
→ 瀬川仙女
贈四代目 瀬川菊之丞
三代目の婿養子、1782–1812。実父は江戸
木挽町
の
芝居茶屋
主人猿屋伊八といわれるが、実は
二代目中村十蔵
と伊八の娘とのあいだに出来た子だったという。
坂東千之助 → 中村千之助 → 瀬川菊之助 → 瀬川路之助 → 四代目瀬川路考 → 贈四代目瀬川菊之丞(追贈)
五代目瀬川菊之丞(右)。
市川團十郎 (7代目)
と
暫
で。
勝川春亭
画。1819年
五代目 瀬川菊之丞
四代目の養子、1802–32。実父は
初代瀬川路三郎(のちの初代嵐璃光)
。
瀬川多門 → 五代目瀬川菊之丞
六代目 瀬川菊之丞
四代目岩井久次郎
の養子、1907–76。実父は四代目久次郎の実弟。姻戚筋の瀬川家を再興したのち
梨園
を離れ
前進座
の俳優に転じる。
瀬川仙魚 → 二代目
瀬川菊次郎
→ 六代目瀬川菊之丞
七代目 瀬川菊之丞
当代、1957– 。サラリーマンから劇団
前進座
の俳優に。2009年に退座後、株式会社エヌ・エー・シーに所属
[
1
]
。
山村邦次郎(岡村屋) → 七代目瀬川菊之丞
脚注
[
編集
]
^
“
七代目 瀬川菊之丞
”.
エヌ・エー・シー(NAC)|東京、大阪、名古屋、仙台、福岡にある芸能プロダクション
.
2021年9月19日
閲覧。
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