橘雲峨
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橘 雲峨(たちばな うんが、文政11年1月21日〈1828年3月6日〉 ‐ 明治18年〈1885年〉7月)とは、江戸時代から明治時代にかけての画家。
来歴
[編集]姓は立花とも。『明治画家略伝』によれば大岡雲峰及び葛飾北斎の門人で名は新平、麹町区中六番町三番地に住み、第一共進会で褒状を得たとある。また『浮世絵師伝』は作画期を嘉永から明治とするが、現在知られる作は明治12年(1879年)刊行の『雑筆画式』と、明治13年刊行の『花鳥画譜』の2冊のみである。享年58。
『雑筆画式』は明治27年(1894年)にも『万象画式』と書名を変えて再版されており、その奥付には「橘雲峨画」の署名と「仙鶴堂」の方印がある。『雑筆画式』の奥付には「画作并出版人 東京府平民 富田由次郎 四谷区南伊賀町十八番地」とあり、『花鳥画譜』にもこれとほぼ同じ奥付がある。この「富田由次郎」が雲峨と同一人かともいわれているが定かではない。
参考文献
[編集]- 渡辺祥霞編 『明治画家略伝』 1883年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[2]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※111頁