橘家圓晃

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橘家たちばなや 圓晃えんこう
橘家(たちばなや) 圓晃(えんこう)
1921年ごろ、窓之助時代
柳家金語楼(左。当時柳家金三)、六代目三遊亭圓生(右。当時五代目橘家圓好)とともに
本名 柴田 啓三郎
生年月日 1905年
没年月日 1933年1月5日
出身地 日本の旗 日本
師匠 3代目三遊亭圓窓
5代目柳亭左楽
名跡 1.三遊亭窓之助(1921年 - 1922年)
2.三遊亭圓晃(1922年 - 1927年)
3.柳亭鯉楽(1927年 - 1929年)
4.橘家圓晃(1929年 - 1933年)
活動期間 1921年 - 1933年
活動内容 江戸落語
家族 6代目三遊亭圓生(異父兄)

橘家 圓晃(たちばなや えんこう、1905年(逆算) - 1933年1月5日)は、落語家。本名・柴田 啓三郎

来歴・人物[編集]

父は馬丁の寺田富吉。母は柴田セイ。異父兄は6代目三遊亭圓生[1]

最初洋品雑貨の店に奉公したが、1921年頃、3代目三遊亭圓窓(後の5代目三遊亭圓生)門下で三遊亭窓之助を名乗る。1922年に三遊亭圓晃、1924年に同名で5代目柳亭左楽門下で、1927年に柳亭鯉楽に改名し真打昇進、1929年、橘家圓晃に改名。

やや寂しい芸風ながら芸のたちは悪くなく、稽古熱心で同世代の噺家の中ではずば抜けてネタ数が多かったという。 「五段目」「押しくら」「富久」「播州めぐり」等を得意とした。

兄である、後の6代目圓生より評価が高く[2]、前途嘱望されたが29歳で早世した。

脚注[編集]

  1. ^ 6代目三遊亭圓生(本名・山崎松尾)の母親は戸籍上では山崎さだとなっているが、実際は実父の松田万助と女中だったセイの間の子供である。セイは富吉との間に2男1女をもうけ、その中の一人が柴田啓三郎である。
  2. ^ 坊野寿山『粗忽長屋』(創拓社)。しかし、同時代の追悼文では兄圓蔵(当時)と違って「色気のない高座」とも評されている。三遊亭圓生『寄席育ち』(青蛙房)

出典[編集]

  • 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、1989年、ISBN 458212612X
  • 『古今東西噺家紳士録』