橘倚平

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橘 倚平(たちばな の よりひら、生年不詳 - 980年[要出典])は、平安時代貴族官位従五位下日向守

略歴[編集]

飛騨守・橘是輔の子 [1]

天延2年(975年)8月10日、日向守に任ぜられる[2]。天延3年(976年)頃、勧学会の学舎を建立するために乞うた慶滋保胤からの書状に対する倚平の返事が残っている。倚平は建設計画を大いに喜び、賛成を示している [3]

参考文献[編集]

  • 『国司補任 3』(続群書類従完成会 、2000年、448p)
  • 『小大君集全釈』(翰林書房、2000年、251p)
  • 『仏教史年表』(法蔵館、1979年、139p)

脚注[編集]