根岸錬次郎
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ねぎし れんじろう 根岸 錬次郎 | |
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生誕 |
1860年11月 東京 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学予備門 |
職業 | 保険事業家、事業家 |
配偶者 | てる |
子供 | 良介、英介 |
親 | 根岸勝平 |
補足 | |
根岸 錬次郎(ねぎし れんじろう、1860年(明治2年)11月 - 没年不詳)は、明治時代の事業家。
略歴
[編集]1860年、東京府士族根岸勝平の子として生誕。1880年に家督を相続。東京帝国大学予備門卒業[1]。
千代田鋳工、東京缶詰、東神火災保険、日仏シトロエン自動車で社長、日本商船基隆支店助役、日本郵船ロンドン支店助役などを経て、日本郵船、揖斐川電気の重役[2][3]。
1918年(大正7年)に東京動産火災保険の発起人・社長となる(翌年には反町茂作が社長に就任)[4]。
家族
[編集]- 勝平 - 父
- 名前不明 - 勝平妻
- 実乃 - 姉
- 錬次郎
- てる - 錬次郎妻
- 良介
- 英介
関連項目
[編集]- 保険銀行時報 - ウィキソース
脚注
[編集]- 出典
- ^ 「東京動産火災保険株式会社」。人物と事業社『代表的人物と事業』、1935年。
- ^ 東京興信所「銀行会社要録」附・役員録 第四版。1900年。
- ^ 東京興信所「銀行会社要録」 附・役員録 第九版。1912年。
- ^ 大東京火災海上保険 1971.