東竹田村

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ひがしたけだそん
東竹田村
廃止日 1911年1月1日
廃止理由 新設合併
西竹田村東竹田村源村竹田村
現在の自治体 東伯郡三朝町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 758
(『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』634頁、1907年)
隣接自治体 源村、西竹田村、旭村
岡山県苫田郡上齋原村
東竹田村役場
所在地 鳥取県東伯郡東竹田村大字穴鴨(組合村役場)
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東竹田村(ひがしたけだそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。

地理[編集]

天神川の上流域に位置していた[2]

  • 河川:福本川[3]、加谷川[3]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡穴鴨宿、加谷村、木地山村が合併して村制施行し、東竹田村が発足[1][2]。旧村名を継承した穴鴨、加谷、木地山の3大字を編成[2]。河村郡西竹田村源村組合村を結成し、組合村役場を大字穴鴨に設置[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1911年(明治44年)1月1日、東伯郡西竹田村、源村と合併し、竹田村を新設して廃止[1][2]。合併後、竹田村大字穴鴨・加谷・木地山となる[2]

地名の由来[編集]

天神川の下流地域がかつての郷名竹田庄にちなみ竹田村とし、その上流側に位置していたため[2]

産業[編集]

教育[編集]

  • 1873年(明治6年)穴鴨学校開校[3]。1876年(明治9年)穴鴨小学校木地山分校開設[4]1890年(明治23年)穴鴨小学校が穴鴨簡易小学校に改称[2]。1906年(明治39年)農業補習学校付設[2]。1907年(明治40年)高等科併置[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』650頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』634頁。
  3. ^ a b c d e f g h 「穴鴨〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』77-78頁。
  4. ^ 「木地山〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』278頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]