朴義琓

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朴義琓(パク・ウィワン、박의완、1911年 - 1961年?)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家高麗人であり、ソ連共産党の影響を受けたソ連派に属していた。ロシア名はイヴァン・アルカージェヴィチ・パク(ロシア語: Иван Аркадьевич Пак[1]

略歴[編集]

1948年9月の朝鮮民主主義人民共和国の建国に参加する。副首相兼国家建設委員長などの要職を歴任する。1956年に発生した金日成独裁体制を打倒するため8月宗派事件に参加する。その後、粛清されて失脚した。

脚注[編集]

関連項目[編集]

朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
朱寧河
交通相
1948年11月 - 1951年7月
次代
鉄道相に改称
先代
交通相より改称
鉄道相
1951年7月 - 1953年7月
次代
金会一
先代
金承化
国家建設委員長
1955年1月 - 1957年9月
次代
朴義琓(再任)
先代
朴義琓(再任)
国家建設委員長
1957年9月 - 1957年12月
次代
金応相