朱載セン

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本来の表記は「朱載」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

朱 載(しゅ さいせん、嘉靖16年2月19日1537年3月29日) - 嘉靖44年1月9日1565年2月9日))は、皇族

父は第12代皇帝嘉靖帝(朱厚熜)で四男。1539年に兄の朱載垕(のちの隆慶帝)と共に王に封じられ、兄は裕王に、自らは景王になった。1549年皇太子朱載壡が早世すると、諸臣より次の皇太子に推挙された。しかし父帝からは煙たがられており、1561年には封地の徳安にほとんど強制的に赴かされたという。1565年に死去したが、その死を知ったときに父帝は「やっと死んだ。これで太子に立てる必要も無くなった」と喜んだとまで伝わっている。

参考文献[編集]