文吉湾

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文吉湾周辺の空中写真。中央に文吉湾の漁港施設が見える。1978年10月9日撮影。

文吉湾(ぶんきちわん)は、北海道斜里郡斜里町知床半島先端部、知床岬の南西にある湾の名。また、湾に設けられた漁港施設の通称[1]である。

地理・歴史[編集]

知床半島先端部は、厳しい自然環境にもかかわらず縄文時代から人間の定住が行われた場所である[2]。周辺には知床岬遺跡や文吉湾チャシなどの遺跡があり[1]、近世には文吉湾の一つ北隣(知床岬側)の湾である啓吉湾付近にシレトココタンがあった。「文吉湾」の名は、明治時代にこの付近で漁業を営んでいたアイヌの古老・坂井文吉(アイヌ名:クンカラシ)にちなむ[3]

漁港施設[編集]

港については文吉港文吉避難港[4]とも通称されるが、行政上は第4種漁港であるウトロ漁港の一地区であり、ウトロ漁港(知床岬地区)と呼ばれる[5]

知床半島周辺の海域は、天候の急変により突風が吹くことで知られており、過去には漁船の大量遭難事件も発生している。1959年4月6日に半島東側(羅臼町側)で80名を超す死者・行方不明者を出した「4・6突風[6][注釈 1]、1966年に半島西側(斜里町側)で発生した死者・行方不明者20名を超す漁船2隻の遭難事件などである[10][11][12]。ウトロ漁港から羅臼漁港までの海岸線は約100kmあるが、当時は荒天時に避難できる港はなかった。これらの遭難事件を教訓として、「文吉湾」は1969年にウトロ漁港の分港として着工し、1971年に避難港として竣工、更に工事が加えられて1983年に現在の形となった[4][13]。2022年の毎日新聞の取材に対して、地元の80代の漁師は、文吉湾の整備以後(漁船の)大きな海難事故はなくなったと述べている[11]

先端部地区の海域は漁業資源に恵まれており、定置網漁刺網漁がおこなわれている[2][注釈 2]。文吉湾には「オコツク番屋」と呼ばれる番屋[注釈 3]が設置されており、漁期には漁民が泊りがけで作業を行う[13]

利用規制[編集]

文吉湾は知床国立公園(1964年指定)内に位置し、陸地側は特別保護区域に指定されている。自然環境保護の観点[注釈 4]から、関係諸機関の「知床岬地区の利用規制指導に関する申し合わせ」(1984年)により、一般観光客等はレクリエーション目的で文吉湾を含む「知床半島先端部地区」に動力船から上陸することは認められていない[注釈 5][14][16]。この利用規制は、行政機関の用務や漁業に関連する利用については除外されており[注釈 6]、教育・研究のための立ち入りは個別に検討される[16]

2022年4月23日の知床遊覧船沈没事故では、遭難船が本港に入れていれば、という声が上がった[13][11][12]。漁業関係者以外の事業者(個人のプレジャーボート所有者や遊漁船事業者)にとっては「寄港が禁じられた場所」という印象が強かったのではないかという声もあり、斜里町は漁港使用の注意事項の文面を変更し、緊急時の避難先としての周知が図られることとなった[11]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 知床半島の東側(羅臼町側)の海で、知床連山から吹きおろす「羅臼だし風[7]と呼ばれる強風により、スケトウダラ刺し網漁船十数隻が沈没・転覆し80人超の死者・行方不明者を出した大量遭難。この地域では古くから「風が吹いたらクナシリ(国後島)に逃げろ」と言われていたが、ソ連による占拠下の国後島で拿捕されることを恐れ、暴風の中を羅臼漁港に戻ろうとしたことが被害を大きくしたとされる[8]。知床半島の西側(斜里町側)でも「ルシャのだし風(おろし風)」と呼ばれる同様の強風が吹くことが知られる[9]
  2. ^ 陸域は知床国立公園の「特別保護区域」に指定され、動植物の捕獲採取が禁止されているのに対し、海域は「普通区域」である。
  3. ^ 漁師の作業所兼宿泊所
  4. ^ 以前は多人数を一度に輸送可能な動力船による知床岬への上陸が行われていたが、それにより高山植物の盗掘などが問題化したため[14]
  5. ^ シーカヤックでは上陸が認められているものの、徹底した自己管理と心構えが求められる。また漁港への出入港は認められず、文吉湾より北の知床岬地区ではアブラコ湾以外での野営は認められていない[15]
  6. ^ ただし、遊漁船での上陸利用は認められない[16]

出典[編集]

  1. ^ a b 「先端部地区利用の心得」, p. 17.
  2. ^ a b 「先端部地区利用の心得」, p. 2.
  3. ^ 永田洋一 1961, p. 13.
  4. ^ a b 知床半島先端部の利用の経緯”. 環境省. 2022年4月30日閲覧。
  5. ^ 第4種漁港 ウトロ漁港”. 北海道開発局網走開発建設部. 2022年4月30日閲覧。
  6. ^ 「4・6突風と同じ北西風」 知床漁師が恐れる強風 観光船事故でも”. 朝日新聞デジタル (2022年4月26日). 2022年4月30日閲覧。
  7. ^ 〈災害年表〉 【気象】 羅臼だし風による大規模海難”. ほっかいどうの防災教育ポータルサイト. 北海道. 2022年6月12日閲覧。
  8. ^ 「知床旅情」に込める鎮魂 加藤登紀子さん、観光船事故への思い”. 朝日新聞デジタル (2022年6月11日). 2022年6月12日閲覧。
  9. ^ “知床岬編”. 紋別海上保安部. https://www6.kaiho.mlit.go.jp/01kanku/monbetsu/info/kanten/shiretoko.htm 2022年6月12日閲覧。 
  10. ^ “文吉湾「入れていれば…」 知床先端、漁師知る避難港”. 日本経済新聞. (2022年6月2日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF021900S2A600C2000000/ 2022年6月12日閲覧。 
  11. ^ a b c d “避難港「文吉湾」活用を周知 知床観光船事故受け 北海道・斜里”. 毎日新聞. (2022年6月5日). https://mainichi.jp/articles/20220605/k00/00m/040/097000c 2023年12月12日閲覧。 
  12. ^ a b “知床では過去にも大きな海難事故、犠牲者80人超の「4・6突風」…荒天時の避難港を整備”. 読売新聞. (2022年5月25日). https://www.yomiuri.co.jp/national/20220526-OYT1T50077/ 2022年6月12日閲覧。 
  13. ^ a b c 「文吉へ逃げ込めれば」知床沖の急変、助かるには 元漁師の心構え:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年4月29日). 2022年4月30日閲覧。
  14. ^ a b 動力船”. 環境省自然観光局知床国立公園. 2022年4月30日閲覧。
  15. ^ シーカヤック”. 環境省自然観光局知床国立公園. 2022年4月30日閲覧。
  16. ^ a b c 知床岬地区の利用規制指導に関する申し合わせ(昭和59 年2 月16 日)”. 令和2年度 知床岬地区の利用に関する関係機関合同巡視の実施結果について. 環境省釧路自然環境事務所. 2022年4月30日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯44度20分7秒 東経145度19分8秒 / 北緯44.33528度 東経145.31889度 / 44.33528; 145.31889