投資一任会社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投資一任会社(とうしいちにんがいしゃ)とは、いわゆる資産運用会社のうち、投資一任業務を行う形でサービスを提供するもの。

投資一任業務(=投資一任契約に係る業務)とは、顧客ごとに契約(=投資一任契約)を締結し、投資判断を一任されるとともに、投資権限を委任されて、顧客の代理人として運用指図を行う、という業態。

旧・投資顧問業法(有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律、1986年法律74号)により、有価証券を対象とする投資一任業務が解禁された。現行の金融商品取引法(2007年9月施行)には、対象を「金融商品」に広げながら、多くの規定が引き継がれた。

概説[編集]

資産運用会社の事業形態[編集]

現行の金融商品取引法は、資産運用会社のビジネスモデルを、下表のとおり区分している。

大区分 小区分 内容 特徴
投資運用業 投資法人資産運用業務 会社型の投資信託(投資法人という)の資産を運用する。J-REITは不動産を対象とする投資法人 投資法人の発行する投資証券が証券取引所に上場される場合には、ディスクロージャー(内容開示)法制の適用を受ける
投資一任業務 特定の投資家の資金を個別に運用する 顧客ごとに投資一任契約を締結する。顧客の資産の管理は信託銀行などが行う。
投資信託委託業務[1] 不特定多数の投資家の資金をファンド(信託形式)に束ねて運用する 投資信託の受益証券(=ファンドを細分化したもの)について、証券会社や銀行による公募販売が行われる場合には、ディスクロージャー法制の適用を受ける
ファンド運用業務 特定少数の投資家の資金をファンド(組合形式)に束ねて運用する 顧客ごとに組合契約を締結する。契約当事者の地位は転々流通することがないので、ディスクロージャー法制の適用を受けない
投資助言・代理業 投資助言業務 特定の投資家に対し、投資情報を提供する 顧客ごとに投資助言契約(法律上は「投資顧問契約」という)を締結する。投資助言業者は運用指図を行わない。
媒介代理業務 他社の代理店として、投資一任契約または投資助言契約の仲介を行う

旧・投資顧問業法は、このうち「有価証券」を対象とする投資一任業務と投資助言業務の2つのビジネスモデルを規定していた。当時の投資顧問業者は、投資助言業の「登録」を受けた後、さらに投資一任業の「認可」を受けた(=2段階規制の方式)。現行の金融商品取引法の下では、投資助言業務と投資一任業務はそれぞれ独立していて、いずれも「登録」で足りる。

投資一任業務が解禁された経緯[編集]

1984年10月、証券取引審議会は「投資顧問業務等に関する特別部会」を設置して、旧・投資顧問業法の制定に向けた検討を開始した。その1985年11月報告書「証券投資顧問業の在り方について」は、投資一任業務について、「一部の委員から…時期尚早であるとの意見が表明された」[2]としながら、「投資顧問業務の中で専門性の行き着く最も進んだ形態」と評価し、「我が国においても…認めることが適当である」[3]と結論づけた。また、投資一任業務が法的に手当てされないまま、証券会社でない投資顧問業者がこれを行えば、証券取引行為を無免許で行うこととなるとも指摘した[4]

こうして、後述するとおり、証券会社の売買一任勘定取引が規制されたのに対し、利益相反のおそれの、より少ない投資顧問業者に対して、投資一任業務が解禁された。そのため、投資一任会社の認可基準には、母体企業からの独立性を確保するためのものが少なからず盛り込まれた。

旧・投資顧問業法の認可基準[編集]

投資一任業務の認可基準は、他の法律に基づくライセンスの基準とほぼ同様の構成で、認可の適否の判断は大蔵大臣の「裁量行為」[5]とされた。認可要件とされたのは、財産的基礎、収支見込み、人的構成、管理部門の整備、法令等の遵守状況、顧客との信頼関係の維持、独立性の確保、など。利益相反防止の観点から、母体企業からの経済的、組織的かつ物理的な独立が求められた[6]。また、認可を受けた投資一任会社には専業義務が課せられ、その常勤役員には兼職制限が課せられた。

うち「収支見込み」については、当初、「3営業年度内に黒字に転ずる」「投資一任契約に係る契約資産額が短期間のうちに200億円に達する」ことが求められたが、1995年1月の認可基準の改正により、後者は「投資助言契約に係る契約資産額が200億円以上であること」に改められた。なお、こうした契約資産額基準は、海外親会社が1000億円以上の契約資産額を有する外資系現地法人または外国会社の本邦支店には、特例として適用されなかった。なお、契約資産額基準は、1998年6月の通達廃止(=事務ガイドラインの示達)により廃止された。

1995年2月以降、投信委託業務と投資一任業務の「併営」が認められたが、その際、「投資助言契約に係る契約資産額が200億円以上であること」という要件を満たさない投信委託会社でも、投資信託の運用資産残高が3000億円以上(海外親会社の実績を含む)であるなら、投資一任業務の認可を受ける途が開かれた。

年金資産の運用[編集]

投資一任業務の解禁は、将来の年金資産の運用を前提とするものでもあり、まず私的年金、次いで公的年金の資産の運用への途が投資一任会社に開かれた[7]

私的年金
1954年厚生年金保険法(1954年法律115号[8])により厚生年金(公的年金のいわゆる2階部分。被用者むけ)が制度化され、さらに1965年6月の法改正(1965年法律104号[9])により、厚生年金基金と厚生年金基金連合会[10]に関する条文が追加されて、企業年金(年金制度のいわゆる3階部分)が制度化された。
その積立金の運用方法は、当初、「信託又は保険の契約による」とされていたが、「運用受託機関の間に競争原理を導入し運用効率の向上を図る」[11]ため、1989年12月の法改正(1989年法律86号[12])により、翌1990年4月から、要件[13]を満たした認定厚生年金基金については、信託銀行と特定金銭信託契約を締結する前提で、「投資一任契約」によることも許された。ただし、解禁当初、その対象は、「ニューマネー」[14]に限られ、契約資産額を10億円以上とするほか、安全性の高い資産への投資の確保などの条件が付された。

公的年金
1961年・年金福祉事業団法(1961年法律180号)により、特殊法人「年金福祉事業団」が設置された。その業務は、年金福祉施設の設置・運営とその設置・整備資金の貸付け[15]とされたが、その後、財政投融資制度改革の一環として、また、資金運用部預託金利の引き下げを背景として郵貯・年金の自主運用を認める機運が高まった。年金福祉事業団については、1986年4月の法改正(1986年法律21号[16])により「年金資金確保事業」として、さらに1987年6月の法改正(1987年法律59号[17])により「年金財源強化事業」として、特別会計から資金運用部に預託した後、資金運用部から融資を受けて運用を行うことが許された。その方法は、①公共債の取得、②預貯金、③金銭信託、とされた。うち「公共債の取得」(=自家運用部分)については、投資助言業務の対象となったが、「金銭信託」(=運用委託部分)については、「運用方法を特定するものを除く」という条件が付されたため、投資一任業務の対象とならなかった。
1995年2月に金融サービス分野における日米包括経済協議が最終合意に至り、そこで年金福祉事業団の資金運用むけの投資一任会社のアクセスを「1995年度中」に開放することとされた[18]。期限内に開放するため、法改正を避けて、リミテッド・パートナーシップ指定単スキームが考案された[19]。なお、年金福祉事業団はその後、2000年3月の法改正(2000年法律19号[20])により、2001年4月から「年金資金運用基金」となり、さらに2004年6月の法改正(2004年法律105号[21])により、2006年4月から「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)となって現在に至っている。

投資信託との関連[編集]

投信委託会社の母体企業として[編集]

証券投資信託の設定・運用を行う「投信委託業務」は、1951年投信法(証券投資信託法、1951年法律198号)により当初は登録制、その後、1953年改正法(1953年法律141号)により免許制とされた。1958年に投信分離論が活発となり[22]、翌年末から、法律改正を伴わない「証券会社から委託会社への営業譲渡」の形で証券会社と投信委託会社の分離が行われた。それから長く9社体制が続き、証券市場の回復等もあって、1989年11月までに国内証券系6社[23]が免許を受けた。

投資信託研究会[24]の1989年5月報告書「今後の投資信託の在り方について」[25]を受けて、同年12月に「証券投資信託業務の免許基準の運用について」[26]が公表された。明確化された免許基準に基づいて5社[27]が免許を受けた後、さらに、証券取引審議会の1992年1月報告書「証券市場における適正な競争の促進等について」[28]を受けて、同年4月に免許運用基準が改正された[29]

この改正により、投資一任会社も設立母体となることが許され[30]、以後、投資信託の運用業務または販売業務の実績を持たない銀行や保険会社などが、投資顧問子会社における投資一任業務の実績[31]に基づいて、投信委託業務に続々と参入した[32]

こうした取り扱いの結果、国内外の証券・金融グループは、その多くが運用子会社を2社ずつ(投信委託会社と投資一任会社)を有することとなり、うち投資一任会社については、株式会社形態のものと、外国会社の本邦支店形態のものとが混在することとなった。

投信委託業務と投資一任業務の併営[編集]

投資信託研究会[33]の1994年6月報告書「投資信託の改革に向けて~期待される機能、役割の発展のために」は、投信委託業務と投資一任業務の併営について、「欧米では容認されている」としながら[34]、両論併記として結論を出さなかった[35]

しかしながら、同年12月に発表された具体的改善方策「投資信託の概要について」では、免許運用基準の見直しが行われて、1995年2月以降、投信委託業務と投資一任業務の「併営」や、投信委託会社と投資一任会社の「合併」が認められることとなった[36]。また、同年12月には、外国会社の本邦支店の形態を採った投資一任会社が投信委託業務に参入する場合、投資一任会社としては法人なりを行わず、投信委託業免許を受ける株式会社を別に設立する前提で、人員・施設の共有による実質的な併営が認められた[37]

これにより、グループごとに運用子会社を2社ずつ有する必要はなくなり、また、2社ずつ有していた運用子会社を合併する動きが進むこととなった。

証券投資法人の設立とその資産の運用[編集]

上記の投資信託研究会報告書は、「欧米においては会社型投信が主流」「なお、クローズド・エンド型の会社型投資信託のメリットとして、安定的な資産運用が確保できると言われている」などとしながらも、会社型投資の導入には否定的だった[38]

しかし、証券取引審議会の1997年6月報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」は導入に前向きで[39]、これを受けた1998年6月の法改正(いわゆる金融システム改革法。1998年法律107号[40])により、証券投資法人(=いわゆる会社型投信のうち、有価証券を対象とするもの)が制度化された。

法人の定款にあたる「規約」を作成する設立企画人およびその資産を運用する運用会社の業務は、投信委託会社だけでなく、投資一任会社にも解禁された。これを受けて、次の証券投資法人が設立されることとなった。なお、J-REIT(いわゆる会社型投信のうち、不動産を対象とするもの)が制度化されたのは、2000年5月の法改正(2000年法律97号[41])による。

証券投資法人 設立企画人・運用会社 投資証券の流通 備考
ジェイ不動産証券投資法人 日本不動産投信 2000年7月設立、2000年8月登録、2001年4月グリーンシート銘柄として気配公表を開始[42] 2011年9月解散
ベンチャービジネス証券投資法人 スミセイグローバル投信 2002年1月上場(大阪証券取引所ベンチャーファンド市場) 2014年6月換金完了、2015年1月上場廃止(東京証券取引所ベンチャーファンド市場)
ベンチャー・リヴァイタライズ証券投資法人 あおぞらアセットマネジメント 2002年3月設立、2002年4月登録、2004年3月上場(大阪証券取引所ベンチャーファンド市場) 2017年1月換金完了、2017年7月上場廃止(東京証券取引所ベンチャーファンド市場)、解散
マイブイシー投資法人 ジャイク投資顧問 2001年7月設立 2009年11月解散

「ジェイ不動産証券投資法人」は、我が国初の会社型投信である。これを設立した日本不動産投信は、税理士らが設立したベンチャーであり、投資家804人から12億6080万円を集めて[43]、特定目的会社の発行する資産対応証券に化体した不動産への投資を行った。後三者は大阪府のエンゼルファンド事業の受け皿で、大阪府が財団法人大阪産業振興機構を通じた出資を行った。

このほか、野村スパークス・インベストメント(2021年4月設立の投資運用会社)が、2021年9月に、「日本グロースキャピタル投資法人」を設立している。

証券会社の投資一任業務[編集]

売買一任勘定取引(※現在の取引一任勘定取引)[編集]

投資一任業務は、証券会社の売買一任勘定取引から派生したものである[44][45]。なお、売買一任勘定取引は、1988年5月の法改正(1988年法律75号[46])に伴う同年8月の省令改正(1988年大蔵省令36号)により「取引一任勘定取引」に改称された。

証券会社は戦前から、売買一任勘定取引を行っていたのであるが、1948年証券取引法[47]とこれに基づく証券取引委員会規則[48]により、自己計算取引や過当数量取引などと同列で制限されていたところ、トラブルが多発したため、1964年2月通達「有価証券の売買一任勘定取引の自粛について」(1964年蔵理926号)[49]により、「顧客の強い要請により、…やむを得ず特別に行う」ものとして、重ねて制限された[50][51]。なお、証券会社は、1965年改正法(1965年法律90号)により免許制とされた際、証券業専念義務が課されたが、1967年10月通達「証券会社の兼業について」(蔵証1879号)により、投資助言業務[52][53]は兼業承認の対象とされた。もっとも、兼業承認を受けた証券会社は3社どまりで、いずれも間もなく投資顧問子会社に業務を移管した[54]。証券会社でない投資顧問子会社は、顧客のために証券取引行為を行うことが許されないため、投資一任業務を行えなかった[55]

1989年末、複数の証券会社において、損失補てんが組織ぐるみで行われていることが明らかとなった。いわゆる財テクがブームとなる中、各社の法人営業が過熱し、法人顧客の取引が暗黙の了解の下に一任的に運用された結果、損失を補てんせざるを得なくなったのである[56]。損失補てんが、特定の顧客に対して、いわゆる飛ばしという簿外負債化を伴う多額の処理の形で行われれば、顧客間での不平等となるだけでなく[57]、市況下落時に証券会社の経営に重大な影響を及ぼす。

そこで、1989年12月通達「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」(1989年蔵証2150号)と「投資顧問業者の業務遂行上留意すべき事項について」(1989年蔵証2151号)が発出された。当時の法律では禁止行為とされていなかった「事後的な損失の補填や特別の利益提供」について、「厳にこれを慎むこと」とした一方で、いわゆる営業特金が一任的に運用されることを防ぐため、「特定金銭信託契約に基づく勘定を利用した取引については、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること」とした[58]。ところが証券会社の営業姿勢は改まらず、1991年夏、大口法人顧客に対する損失補てん、暴力団関係者との不明朗な取引などが発覚し、証券会社の不祥事が社会問題となった。改めて、取引一任勘定取引は「いわゆる損失補填の温床となりがち」とされ、同年7月通達「有価証券の取引一任勘定取引について」(1991年蔵証1135号)により原則禁止された[59]。なお、①海外取引注文、②売値の下限または買値の上限を指示した注文、③取引総額注文、④システム売買注文、は「限定的な裁量権の委任によるもの」「投資者の自己責任原則に反しない」とされ、社内管理体制の整備を条件として[60]、引き続きその受託を許された。もっとも、行政指導では実効性に限度があったことから、1991年10月の法改正(1991年法律96号[61])により、取引一任勘定取引の禁止が法令に明文化された[62]。同法の1992年1月施行により、前出の証券取引委員会規則は廃止され、省令[63]に「適用除外行為」が列挙された[64]。このとき、投資顧問子会社の関わる取引口座で損失補てんが行われていたことが明らかとなったが、親証券会社からの独立性の確保が十分でなかった点が背景にあったと判断された。そのため、1991年11月に施行規則が改正され、また、1992年1月通達「投資一任会社が顧客のために証券取引行為を行う場合の取扱いについて」(1992年蔵証1914号)が発出されて、投資一任会社を資本関係・人的関係により支配している親証券会社への発注が原則禁止された。

その後、1998年金融システム改革法の施行に伴う省令改正の際[65]、適用除外行為に「親族注文」が追加された。また、2002年8月に発表された「証券市場の改革促進プログラム」において、「誰もが投資しやすい市場の整備~多様な投資家の幅広い市場参加の促進」の一環として、取引一任勘定取引の範囲を見直すこととなり[66]、同年12月に内閣府令[67]が改正され、適用除外行為が、①外国証券会社注文、②特定同意注文[68]、③取引総額注文、④システム売買注文、⑤親族注文、と整理された。

ラップ口座(証券会社の資産管理サービス)[編集]

証券取引審議会の1997年6月報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」は、「資産運用サービスの強化」の一環として、証券会社のラップ口座を法制化すべきとした[69]。1998年金融システム改革法により、証券会社の専業義務の規定が見直され、また、「会員証券会社は有価証券の売買の受託について委託者から証券取引所の定める委託手数料を徴しなければならない」とする規定が削除されて株式等売買委託手数料の自由化が行われた。旧・投資顧問業法にも証券業を兼業するための規定が置かれる形で、ラップ口座が解禁された。

しかしながら、旧・投資顧問業法に基づく書面交付義務がその普及の妨げとなったことから、2003年5月の法改正(2003年法律54号[70])により「ラップ口座の円滑な実施を可能とする制度整備」が行われ、翌2004年4月に施行規則と事務ガイドラインが改正された[71]

投資一任会社の例[編集]

  • 旧・投資顧問業法(1986年11月施行、2007年9月廃止)の下で「認可」を受けた投資顧問業者の一覧。
  • 当時は営業保証金[72]の供託義務が課されており、2007年9月に現行の金融商品取引法が施行されるまでの間は、その取戻し公告により廃業の時期を確認することができる。
  • 2003年5月の法改正(2003年法律54号[70])により、翌2004年4月から信託銀行に投資一任業務が解禁された。資産運用と資産管理を業とする信託銀行に対し、重ねて投資一任業務が解禁されたのは、年金資産の運用を受託する際、再信託方式(三者協定による)によらずに資産管理信託銀行との分業(マスタートラスト)[73]を行えるようにするためである。

1987年6月大蔵大臣認可(業法施行後の第1陣、56社)[編集]

認可番号 会社名 母体企業、

設立年月

その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
1 朝日生命投資顧問 朝日生命、1985年7月 1999年4月投信認可、社名を「朝日ライフアセットマネジメント」に変更
2 アライアンス・キャピタル・マネジメント・インターナショナル・インク 外国会社の本邦支店 1992年6月に社名を「アライアンス・キャピタル・マネジメント・ジャパン・インク」に変更。1993年にエクイタブル・キャピタル・マネジメント・ジャパン(1990年11月一任認可)の営業を承継。1999年12月にアライアンス・キャピタル投信(1996年12月投信免許、1999年12月一任認可)に営業譲渡、2000年11月に廃業 2001年3月
3 ウォーバーグ投資顧問 1995年9月に社名を「マーキュリー投資顧問」に変更。1998年7月にメリルリンチ投信投資顧問(旧メリルリンチ投資顧問)と合併して消滅 1998年8月
欠番
5 エービーディー・インターナショナル・マネージメント・コーポレーション 外国会社の本邦支店 1995年6月までに認可抹消 1995年6月
6 エヌケイユー投資顧問 農林中央金庫、全国共済農業協同組合連合会、ユニバーサル証券、1985年10月 1996年9月に農中投信(1993年10月投信免許、1996年9月一任認可)と合併して消滅 1997年1月
7 エムアイエム・トウキョウ 1991年6月に社名を「インベスコ・エムアイエム投資顧問」に変更。1993年8月に「インベスコ投資顧問」に変更。1996年7月にインベスコ投信(1990年11月投信免許、1996年7月一任認可)と合併して消滅 1996年10月
8 岡三投資顧問 岡三証券、1984年9月 2008年4月に日本投信委託(前身の会社は1961年6月投信免許)と合併して消滅。存続会社は社名を「岡三アセットマネジメント」に変更
欠番
10 カウンティ・ナットウエスト投資顧問 1994年6月までに社名を「ナットウエスト投資顧問」に変更。1997年6月までにガートモア投資顧問(1995年10月一任認可)と合併、「ナットウエスト・ガートモア投資顧問」に変更。さらに「ガートモア投資顧問」に変更。2000年9月にガートモア・エヌ・シー投信(旧エヌ・シー・ジー投信、1996年4月投信免許、2000年9月一任認可)と合併して消滅 2001年1月
11 勧業角丸投資顧問 日本勧業角丸証券、1985年10月 前身は勧業角丸経済研究所(1975年7月設立)。1990年10月に社名を「勧角投資顧問」に変更。1997年10月に朝日投信委託(前身の会社は1961年6月投信免許、1997年9月一任認可)と合併して消滅 1997年12月
12 協和投資顧問 協和銀行、1985年10月 1992年4月にサイギン投資顧問と合併して消滅 1992年4月
欠番
14 興銀投資顧問 日本興業銀行、1985年10月 1992年3月に和光投資顧問と合併、社名を「興銀和光アセットマネジメント」に変更。1993年4月に新日本インターナショナル投資顧問と合併、「興銀エヌダブリュ・アセットマネジメント」に変更。1999年10月に第一ライフ投信投資顧問(旧・第一生命投資顧問)と合併して消滅 1999年12月
15 国際投資顧問 国際証券、1984年12月 1997年7月に国際投信委託(1983年3月投信免許、1996年8月一任認可)と合併して消滅 1997年9月
16 コスモ投資顧問 コスモ証券、1985年8月 前身は大阪屋リサーチセンター(1981年6月設立)。1995年4月に大和銀投資顧問と合併して消滅 1995年5月
17 サイギン投資顧問 埼玉銀行、1985年9月 1992年4月に協和投資顧問と合併、社名を「協和埼玉投資顧問」に変更。1992年9月に「あさひ投資顧問」に変更。1999年4月にあさひ東京投信(1987年11月投信免許、1996年4月一任認可)と合併して消滅 1999年6月
18 三生投資顧問 三井生命、1985年7月 1999年2月に社名を「三井生命グローバルアセットマネジメント」に変更。2000年1月投信認可。2002年12月に4社と合併、「三井住友アセットマネジメント」に変更。2013年4月にトヨタアセットマネジメント(旧・千代田火災投資顧問、1992年3月一任認可)と合併。2019年4月に大和住銀投資顧問と合併、「三井住友DSアセットマネジメント」に変更
19 三洋投資顧問 三洋証券、1983年11月 旧・三洋インベストメントマネジメント。1998年に社名を「フィデュシアリ・トラスト・インターナショナル投資顧問」に変更。2003年9月にフランクリン・テンプルトン・インベストメンツ(旧・テンプルトン投資顧問、1997年11月一任認可)と合併して消滅 2003年10月
20 三和投資顧問 三和銀行、1985年6月 1997年12月に三和投信(1993年10月投信免許、1997年12月一任認可)と合併して消滅 1998年4月
21 ジー・ティー・マネジメント・ジャパン 1995年6月投信免許、社名を「ジー・ティー投信」に変更。その後「エル・ジー・ティー投信・投資顧問」に変更。1998年9月にインベスコ投信投資顧問(旧インベスコ投信、1990年11月投信免許、1996年7月一任認可)と合併して消滅 1998年12月
22 シグナ・インベストメント・アドバイザリー・カンパニー・インク 外国会社の本邦支店 1990年6月までに「法人なり」して消滅。日本法人は1989年12月に一任認可
23 ジャーディン・フレミング投資顧問 1995年11月にジャーディンフレミング投信(1990年10月投信免許、1995年10月一任認可)と合併して消滅 1995年12月
24 シュローダー・インベストメント・マネージメント 1985年12月 1997年3月にシュローダー投信(1992年1月投信免許、1997年3月一任認可)と合併して消滅 1997年6月
25 新日本インターナショナル投資顧問 新日本証券、1976年7月 旧・新日本投資顧問。1987年2月に社名を「新日本インターナショナル投資顧問」に変更。1993年4月に興銀和光アセットマネジメント(旧・興銀投資顧問)と合併して消滅 1993年5月
26 住銀バンカース投資顧問 住友銀行、1985年11月 1990年に社名を「住銀投資顧問」に変更。1999年4月に大和投資顧問と合併して消滅 1999年6月
27 住生投資顧問 住友生命、1985年6月 1997年6月までに社名を「スミセイ投資顧問」に変更。1999年9月投信認可、「住友ライフ・インターナショナル・インベストメント・マネジメント」に変更。その後「住友ライフ・インベストメント」に変更。2002年12月に三井生命グローバルアセットマネジメント(旧・三生投資顧問)と合併して消滅 2003年2月
28 セントラル投資顧問 東海銀行、1985年7月 1997年10月にセントラル投信(1994年9月投信免許、1997年9月一任認可)と合併して消滅 1997年12月
29 第一勧業投資顧問 第一勧業銀行、1985年7月 1997年10月に朝日投信委託(前身の会社は1961年6月に投信免許、1997年9月一任認可)と合併して消滅 1997年12月
30 第一生命投資顧問 第一生命、1985年7 月 1998年3月投信免許、社名を「第一ライフ投信投資顧問」に変更。1999年10月に興銀エヌダブリュ・アセットマネジメント(旧・興銀投資顧問)、日本興業投信(1994年7月投信免許)の2社と合併、「興銀第一ライフアセットマネジメント」に変更。2008年1月に「DIAMアセットマネジメント」に変更。2016年10月に3社(みずほ信託銀行の資産運用部門を含む)と合併、「アセットマネジメント One」に変更
31 ダイエー投資顧問 ダイエー、1985年12月 1998年9月に廃業 1998年11月
32 太平洋投資顧問 太平洋証券、1985年12月 1996年8月に太平洋投信(1989年11月投信免許、1996年8月一任認可)と合併して消滅 1996年11月
33 ダイヤモンド投資顧問 三菱銀行、1985年7月 1996年7月に東銀投資顧問(1989年12月一任認可)と合併、社名を「東京三菱投資顧問」に変更。1997年5月投信免許、「東京三菱投信投資顧問」に変更。2004年10月に三菱信アセットマネジメント(2000年3月投信認可、2001年3月一任認可)と合併、「三菱投信」に変更。2005年10月にユーエフジェイパートナーズ投信(旧・山一証券投資信託委託、その後、パートナーズ投信。1960年2月投信免許、1995年10月一任認可)と合併、「三菱UFJ投信」に変更。2015年7月に国際投信投資顧問(旧・国際投信委託、1983年3月投信免許、1996年8月一任認可)と合併、「三菱UFJ国際投信」に変更
34 太陽神戸投資顧問 太陽神戸銀行、1986年4月 1990年10月に三井銀投資顧問と合併して消滅 1991年1月
35 大和銀投資顧問 大和銀行、1985年12月 1995年4月にコスモ投資顧問と合併、社名を「ディーアンドシーキャピタルマネジメント」に変更。1998年10月にコスモ投信(1986年11月投信免許、1998年9月一任認可)と合併して消滅 1998年12月
36 大和投資顧問 大和証券、1973年6月 1999年2月投信認可。1999年4月に住銀投資顧問(旧・住銀バンカース投資顧問)、エス・ビー・アイ・エム投信(1993年10月投信免許)の2社と合併、社名を「大和住銀投信投資顧問」に変更。2019年4月に三井住友アセットマネジメント(旧・三生投資顧問)と合併して消滅
37 たくぎん投資顧問 北海道拓殖銀行、1985年9月 1998年10月に社名を「ウエスト・エル・ビー投資顧問」に変更。2004年3月までに「フォルティス・インベストメンツ・ジャパン」に変更。2008年8月以降にフォルティス・アセットマネジメント(旧コメルツ・インターナショナル投資顧問、1994年5月一任認可)と合併して消滅
38 長銀投資顧問 日本長期信用銀行、1972年12月 旧・第一投資調査センター(設立時の社名は「日本ポートフォリオサービス」)。1998年4月に社名を「長銀ユー・ビー・エス・ブリンソン投資顧問」に変更。さらに「ユー・ビー・エス・ブリンソン投資顧問」に変更。2000年7月にユー・ビー・エス投信投資顧問(旧ユー・ビー・エス投資顧問、1996年8月一任認可)と合併して消滅 2000年9月
39 千代田投資顧問 千代田生命、1985年7月 2002年4月にAIG投信投資顧問(旧エイアイジー投資顧問、1986年11月一任認可)と合併して消滅 2002年8月
40 東京海上エム・シー投資顧問 東京海上火災、1985年12月 1998年5月投信免許、社名を「東京海上アセットマネジメント投信」に変更。2014年4月に「東京海上アセットマネジメント」に変更
41 東京投資顧問 東京証券、1986年12月 1996年4月に東京投信(1987年11月投信免許、1996年4月一任認可)と合併して消滅 1996年6月
欠番
43 日興国際投資顧問 日興証券、1981年9月 1999年4月に日興証券投資信託委託(1960年2月投信免許、1995年10月一任認可)と合併して消滅 1999年6月
44 ニッセイ・ビーオーティー投資顧問 日本生命、1985年7月 1989年10月に社名を「ニッセイ投資顧問」に変更。1998年7月にニッセイ投信(1995年4月投信免許、1998年6月一任認可)と合併して消滅 1998年8月
45 野村投資顧問 野村証券、1981年1月 1997年10月に野村証券投資信託委託(1960年2月投信免許、1995年9月一任認可)と合併して消滅 1998年1月
46 パリバ投資顧問 1999年6月業務停止命令[74]。2000年8月にビー・エヌ・ピー投信(1998年11月投信免許、2000年6月一任認可)と合併して消滅、社名を「ピー・エー・エム」に変更 2000年12月
47 ピクテ・ジャパン 1997年10月投信免許、社名を「ピクテ投信投資顧問」に変更
48 フィデリティ投資顧問 1990年1月にフィデリティ・ジャパン(助言)と合併、1993年8月にエフ・アイ・エー(助言)と合併。1995年11月投信免許、社名を「フィデリティ投信」に変更
49 富士銀投資顧問 富士銀行、1985年7月 1995年10月に富士投信(1993年10月投信免許、1995年10月一任認可)と合併して消滅 1995年12月
50 ベアリング・インターナショナル・インベストメント・マネジメント・ジャパン 1986年1月 1995年1月に社名を「ベアリング・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。1995年11月投信免許、「ベアリング投信」に変更。1999年4月に「ベアリング投信投資顧問」に変更。2017年10月にベアリングス・アドバイザーズ、Barings Real Estate Advisors Japanの2社と合併、「ベアリングス・ジャパン」に変更
51 三井銀投資顧問 三井銀行、1985年7月 1990年10月に太陽神戸投資顧問と合併、社名を「太陽神戸三井投資顧問」に変更。さらに「さくら投資顧問」に変更。1997年10月にさくら投信(1993年10月投信免許、1997年9月一任認可)と合併して消滅 1998年1月
52 明生投資顧問 明治生命、1985年7月 1998年7月にドレスナーアール・シー・エム投資顧問(旧クラインオートベンソン投資顧問、1987年9月一任認可)と合併、社名を「明治ドレスナー・アセットマネジメント」に変更。2000年7月に明治ドレスナー投信(旧コスモ投信、1986年11月投信免許、1998年9月一任認可)と合併して消滅 2000年9月
53 メリルリンチ投資顧問 1985年 1997年12月投信免許、社名を「メリルリンチ投信投資顧問」に変更。1998年7月にマーキュリー投資顧問(旧ウォーバーグ投資顧問)、マーキュリー投信(旧ウォーバーグ投信、1990年10月投信免許、1995年9月社名変更)の2社と合併、「メリルリンチ・マーキュリー投信投資顧問」に変更。2000年12月に「メリルリンチ・インベストメント・マネジャーズ」に変更。2006年10月にブラックロック・ジャパン(旧・野村ブラックロック・アセット・マネジメント、1999年8月一任認可)と合併、「ブラックロック・ジャパン」に変更。2009年12月にバークレイズ・グローバル・インベスターズ(旧バークレイズ・デズート・ウェッド投資顧問、1989年1月一任認可)と合併して消滅
54 モルガングレンフェルインターナショナルアセットマネジメント 1985年7月 1990年6月にドイツ銀投資顧問(1988年6月一任認可)と合併、社名を「ディービーモルガングレンフェルアセットマネジメント」に変更。1995年11月投信免許、「ディービーモルガングレンフェル投信投資顧問」に変更。1996年10月に「ドイチェ・モルガン・グレンフェル投信投資顧問」に変更。1999年8月にバンカース・トラスト投信投資顧問(旧ビー・ティー投資顧問、1994年12月一任認可)と合併、「ドイチェ・アセット・マネジメント」に変更。2002年5月にチューリッヒ・スカダー投資顧問(旧スカダー・スティーブンス・アンド・クラーク・ジャパン、1989年1月一任認可)と合併
55 安田投資顧問 安田生命、1985年7月 1998年6月までに安田信投資顧問(旧・安信投資顧問)の営業を承継。2003年8月に安田投信投資顧問(旧・安田ペインウエバー投信、1999年3月投信認可、2003年7月一任認可)と合併して消滅 2003年10月
56 山一投資顧問 山一証券 前身は山一投資カウンセリング(1971年11月設立)。1980年1月に社名を「山一投資顧問」(旧)に変更。1983年11月に山一国際キャピタル・マネージメントと合併して消滅。存続会社は社名を「山一投資顧問」(新)に変更。


1998年4月に社名を「エスジー山一アセットマネジメント」に変更。1998年11月投信免許。2004年8月にりそなアセットマネジメント(旧・東京投信、1987年11月投信免許、1996年4月一任認可)と合併、「ソシエテジェネラルアセットマネジメント」に変更。2010年7月にクレディ・アグリコルアセットマネジメント(旧インドスエズ・アセット・マネージメント・ジャパン、1989年1月一任認可)と合併、「アムンディ・ジャパン」に変更

57 山種投資顧問 山種証券、1985年12月 前身は山種調査センター(1966年9月設立)。2001年7月に廃業、8月に解散 2001年9月
58 ロスチャイルドアセットマネジメントジャパン 1996年9月投信免許、社名を「ロスチャイルド投信投資顧問」に変更。2003年11~12月に廃業、社名を「ロスチャイルド・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更 2003年12月
59 ワードレイ投資顧問 1985年5月 1994年2月に社名を「エイチ・エス・ビー・シー投資顧問」に変更。1998年6月投信免許、「エイチ・エス・ビー・シー投信投資顧問」に変更。2003年3月に「HSBCアセット・マネジメント」に変更。2005年4月に「HSBC投信」に変更。2021年11月に「HSBCアセットマネジメント」に変更
60 和光投資顧問 和光証券、1984年1月 1992年3月に興銀投資顧問と合併して消滅 1992年4月

1987年9月大蔵大臣認可(業法施行後の第2陣、59社)[編集]

認可番号 会社名 母体企業、

設立年月

その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
61 アイザワ・インベストメント・アンド・リサーチ 藍澤証券、1986年6月 1988年12月に社名を「藍澤投資顧問」に変更。廃業して2003年4月に認可抹消、5月に解散 2003年5月
62 あしぎん投資顧問 足利銀行、1986年5月 1997年5月に解散 1997年8月
63 安信投資顧問 安田信託銀行、1986年9月 1997年4月に社名を「安田信投資顧問」に変更。安田投資顧問に営業譲渡して消滅。1998年5月に解散 1998年7月
64 一吉投資顧問 一吉証券、1986年10月 2000年7月に社名を「いちよし投資顧問」に変更。2012年5月に「いちよしアセットマネジメント」に変更。2014年1月に現行法の下で投信委託業務を開始
65 伊豫銀投資顧問 伊予銀行、1986年10月 社名を「いよぎん投資顧問」に変更。1998年3月に解散 1998年4月
66 エイアイジー投資顧問 1986年11月 旧エーアイジー・オーバーシーズ・ファイナンス・ジャパン。1987年1月に社名を「エーアイジー投資顧問」に変更。1997年3月投信免許、「エイミック投信投資顧問」に変更。2001年7月に「エイアイジー投信投資顧問」に変更。2002年4月に千代田投資顧問と合併。2007年4月にAIGインベストメントマネジメント投資顧問(2004年2月一任認可)と合併。2008年4月に「AIGインベストメンツ」に変更。2009年12月に「パインブリッジ・インベストメンツ」に変更
67 ガートモア国際投資顧問 1991年8月に解散 1990年9月一任分、1991年7月助言分
68 キャピタル・インターナショナル 1986年3月 2006年2月投信認可
69 共同投資顧問 山口銀行、駿河銀行、大阪銀行、北國銀行、親和銀行、1986年4月 1999年3月に廃業・解散 1999年6月
70 クラインオートベンソン投資顧問 1997年11月に社名を「ドレスナーアール・シー・エム投資顧問」に変更。1998年7月に明生投資顧問と合併して消滅 1998年10月
71 ぐんぎん投資顧問 群馬銀行、1986年8月 2008年10月に解散 2001年3月
72 興亜火災投資顧問 興亜火災海上、1986年10月 2000年4月から2002年3月まで、投資一任業務を休止。2002年5月に廃業 2002年6月
73 光世投資顧問 光世証券、1986年6月 1998年4月
74 三信投資顧問 三井信託銀行、1986年9月 1999年7月に中信投資顧問と合併、社名を「中央三井アセットマネジメント」に変更。2000年3月投信認可。2012年4月に住信アセットマネジメント(旧・住信キャピタルマネジメント)と合併して消滅
75 シェアソンリーマングローバルアセットマネージメント 1988年に社名を「シェアソンリーマンハットンアセットマネージメント」に変更。さらに「リーマンブラザーズアセットマネージメント」に変更。さらに「リーマン・ブラザーズ投資顧問」に変更。2000年9月に廃業、12月に解散 2000年12月
76 十六投資顧問 十六銀行、1987年1月 1998年6月に廃業・解散 1998年8月
77 常陽投資顧問 常陽銀行、1986年7月 2001年6月に廃業 2001年9月
78 住信キャピタルマネジメント 住友信託銀行、1986年11月 1990年10月に社名を「住信投資顧問」に変更。1999年3月投信認可、「住信アセットマネジメント」に変更。2012年4月に中央三井アセットマネジメント(旧・三信投資顧問)と合併、社名を「三井住友トラスト・アセットマネジメント」に変更
79 住友海上投資顧問 住友海上火災、1986年4月 1999年10月に社名を「住友海上アセットマネジメント」に変更。2000年1月投信認可。2001年10月に三井海上アセットマネジメント(旧・大正海上投資顧問)と合併して消滅 2001年12月
80 西友投資顧問 西友、1986年7月 1998年7月に廃業、8月に解散 1998年8月
81 第一投資顧問 1977年7月 2014年7月に社名を「FPG投資顧問」に変更。2016年9月に「FA第一投資顧問」に変更
82 第四投資顧問 第四銀行、1986年10月 1999年3月に廃業・解散 1999年5月
欠番
84 大正海上投資顧問 大正海上火災、1986年4月 1991年に社名を「三井海上投資顧問」に変更。1999年3月投信認可、「三井海上アセットマネジメント」に変更。2001年10月に住友海上アセットマネジメント(旧・住友海上投資顧問)と合併、社名を「三井住友海上アセットマネジメント」に変更。2002年12月に三井生命グローバルアセットマネジメント(旧・三生投資顧問)と合併して消滅 2003年2月
85 大同生命投資顧問 大同生命、1986年3月 1999年10月に太陽ライフガンマ投資顧問(旧・太陽生命投資顧問)と合併、社名を「ティ・アンド・ディ太陽大同投資顧問」に変更。2002年7月に大同ライフ投信(旧・第一投信、1997年12月に社名を「長期信用投信」に変更。1980年12月投信免許、2002年6月一任認可)と合併して消滅 2002年10月
86 第百生命投資顧問 第百生命、1986年4月 2000年12月に廃業・解散 2001年3月
87 太陽生命投資顧問 太陽生命、1986年8月 1997年4月にジャパン・ガンマ投資顧問(1990年11月一任認可)と合併、社名を「太陽ライフガンマ投資顧問」に変更。1999年10月に大同生命投資顧問と合併して消滅 1999年12月
88 立花投資顧問 立花証券、1987年2月 1998年12月に廃業・認可抹消、1999年2月に解散 1999年2月
89 ちばぎん投資顧問 千葉銀行、1986年3月 旧・千葉銀投資顧問。1986年7月に社名を「ちばぎん投資顧問」に変更。2000年7月に「ちばぎんアセットマネジメント」に変更。2015年1月に現行法の下で投信委託業務を開始
90 中信投資顧問 中央信託銀行、1986年7月 1999年7月に三信投資顧問と合併して消滅 1999年9月
91 ティーシーアイエム投資顧問 1981年12月 1997年6月までに認可抹消 1995年8月一任分
92 トーキョウ・アソーシエイテッド・キャピタル 1976年5月 2000年9月に業務停止命令、11月に廃業・登録取消 2001年1月
93 道銀投資顧問 北海道銀行、1986年5月 1999年3月に廃業、4月に認可抹消 1999年5月
94 東邦投資顧問 東邦生命、1986年5月 1998年3月に社名を「ジー・イー投資顧問」に変更。1999年2月投信認可、社名を「ジー・イー投信投資顧問」に変更。6月に「ジーイー・アセットマネジメント」に変更。2004年6月に投信委託業務を廃止。廃業して2006年11月に認可抹消 2006年12月
95 東洋インターナショナル投資顧問 東洋証券、1986年7月 1995年10月に東洋投信(1991年11月投信免許、1995年10月一任認可)と合併して消滅 1995年12月
96 東洋投資顧問 東洋信託銀行、1986年6月 1998年12月に社名を「東洋信アセットマネジメント」に変更。1999年2月投信認可。2001年4月に投信委託業務をパートナーズ投信(旧・山一証券投資信託委託、1960年2月投信免許、1995年10月一任認可)に譲渡した後、三和アセットマネジメント(旧・三和投信、1993年10月投信免許、1997年11月一任認可)と合併して消滅 2001年7月
97 ナショナル投資顧問 ナショナル証券、1986年5月 1987年12月に社名を「ナショナル・アンド・フォーリン投資顧問」に変更。さらに「ナショナル投資顧問」に変更。1999年4月に廃業、5月に認可抹消、12月に解散 1999年6月
98 南都投資顧問 南都銀行、1986年11月 2021年5月に廃業、6月に解散
99 西銀投資顧問 西日本銀行、1986年8月 1999年4月に廃業・認可抹消 1999年5月
100 日債銀投資顧問 日本債券信用銀行、1986年8月 2000年11月投信認可。2001年1月に社名を「あおぞらアセットマネジメント」に変更。2002年5月にソフトバンク・アセット・マネジメント(助言)と合併、「エスビーアイ・アセット・マネジメント」に変更。2005年7月に「SBIアセットマネジメント」に変更
101 日信投資顧問 日本信託銀行、1986年10月 1995年6月解散 1995年8月
102 日本火災投資顧問 日本火災海上、1986年2月 2002年3月に解散 1998年6月一任分、2002年6月助言分
欠番
104 八十二投資顧問 八十二銀行、1986年5月 2009年6月に解散
105 浜銀投資顧問 横浜銀行、1986年10月 1999年8月に解散 1999年9月
106 百五投資顧問 百五銀行、1986年10月 1998年3月に解散 1998年5月
107 百十四投資顧問 百十四銀行、1986年11月 1998年3月に解散 1998年5月
108 兵銀投資顧問 兵庫相互銀行、1986年10月 1997年6月に解散 1997年5月
109 ひろぎん投資顧問 広島銀行、1986年10月 1995年10月に解散 1995年10月
110 福銀投資顧問 福岡銀行、1986年7月 2002年4月に廃業、3月に解散 2002年6月
111 福相銀投資顧問 福岡相互銀行、1986年8月 社名を「シティ投資顧問」に変更。1998年11月に廃業、12月に認可抹消 1999年2月
112 富国生命投資顧問 富国生命、1986年7月
113 北銀投資顧問 北陸銀行、1986年10月 2002年6月に廃業。北陸キャピタルと合併して消滅 2002年8月
114 丸三投資顧問 丸三証券、1987年1月 1999年3月に解散 1998年8月
115 丸万投資顧問 東海丸万証券、1986年8月 1996年4月に社名を「東海丸万投資顧問」に変更。さらに「東海東京投資顧問」に変更。2011年1月に東海東京ファイナンス&リアルエステートと合併して消滅。存続会社は社名を「東海東京アセットマネジメント」に変更
116 水戸投資顧問 水戸証券、1987年2月 1995年5月に解散 1995年6月
117 明光投資顧問 明光証券、1986年6月 1999年2月に解散 1996年6月一任分、1999年5月助言分
118 モルガン・スタンレー投資顧問 1987年2月 1995年9月投信免許、社名を「モルガン・スタンレー・アセット・マネジメント投信」に変更。2012年4月に「モルガン・スタンレー・インベストメント・マネジメント」に変更
119 安田火災投資顧問 安田火災海上、1986年2月 1991年6月にブリンソン・パートナーズ投資顧問(旧ファースト・シカゴ投資顧問、1989年1月一任認可)と合併、社名を「安田火災ブリンソン投資顧問」に変更。1998年1月に「安田火災グローバル・アセット・マネジメント」に変更。3月投信免許、「安田火災グローバル投信投資顧問」に変更。2002年7月に「損保ジャパン・アセットマネジメント」に変更。2010年10月にゼスト・アセットマネジメント(旧・日商岩井投資顧問、1999年2月一任認可)と合併、「損保ジャパン日本興亜アセットマネジメント」に変更。2020年4月に「SOMPOアセットマネジメント」に変更
120 ユーロ・ジャパン・コーポレーション 1978年11月 2020年12月に廃業・解散
121 菱信投資顧問 三菱信託銀行、1986年5月 1998年9月に廃業、菱信保証と合併して消滅 1998年10月

その後の大蔵大臣認可[編集]

認可年月 認可番号 会社名 母体企業、

設立年月

その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
1988年6月 122 池銀投資顧問 池田銀行、1987年4月 2011年3月に社名を「池田泉州投資顧問」に変更
1988年6月 123 クレディ・スイス投資顧問 1997年3月にクレディ・スイス投信(1993年9月投信免許、1997年3月一任認可)と合併して消滅 1997年7月
1988年6月 124 ザ・パトナム・アドバイザリー・カンパニー・インク 外国会社の本邦支店 2001年4月協会退会(合併のため) 2001年5月
1988年6月 125 静銀投資顧問 静岡銀行、1987年4月 2000年3月に解散 2000年5月
1988年6月 126 十字屋投資顧問 十字屋証券、1986年12月 1997年6月までに認可抹消 1996年6月
1988年6月 127 商中投資顧問 商工中央金庫 2002年10月に廃業、2002年9月に解散 2002年12月
1988年6月 128 スミスバーニー投資顧問(旧) 1994年3月解散 1993年6~7月一任分、1994年3月助言分
1988年6月 129 ドイツ銀投資顧問 1986年11月 1990年6月にモルガングレンフェルアセットマネジメント(旧モルガングレンフェルインターナショナルアセットマネジメント、1987年6月一任認可)と合併して消滅 1990年9月一任分、1990年10月助言分
1988年6月 130 ビーオーティー・トウッシュ・レムナント・アセット・マネジメント・リミテッド 外国会社の本邦支店 1990年6月までに「法人なり」して消滅、社名を「ビーオーティー・アセットマネジメント(ユー・ケー)リミテッド」に変更。日本法人(東銀投資顧問)は1989年12月一任認可 1990年3月一任分
1988年6月 131 ヘンダーソン・インターナショナル・ジャパン 社名を「ヘンダーソン・インベスターズ・ジャパン」に変更。さらに「ヘンダーソン・グローバル・インベスターズ」に変更。2011年5月に廃業、8月に解散
1988年6月 132 ラザード・ジャパン・アセット・マネージメント
1988年6月 133 ローゼンバーグ・アセット・マネジメント 1996年に社名を「ローゼンバーグ・ノムラ・アセット・マネジメント」に変更。1999年に「アクサ・ローゼンバーグ・インベストメント・マネジメント」に変更。2003年2月投信認可。2002~2003年に本邦支店(1990年11月一任認可)の営業を承継。2006年5月に証券業登録、「アクサ・ローゼンバーグ証券投信投資顧問」に変更。2011年6月に「アクサ・インベストメント・マネージャーズ」に変更
1989年1月 134 インドスエズ・アセット・マネージメント・ジャパン 1990年7月に社名を「インドスエズ・ガートモア・アセット・マネージメント・ジャパン」に変更。1994年9月に「インドスエズ・ガートモア投資顧問」に変更。1995年10月に「インドスエズ投資顧問」に変更。1997年9月に「インドカム投資顧問」に変更。1998年11月投信免許、「インドカム・アセット・マネージメント投信」に変更。2001年4月に「クレディ・アグリコルアセットマネジメント」に変更。2004年4月にクレディ・リヨネ・アセットマネジメント投信(1992年3月一任認可)の営業を承継。2010年7月にソシエテジェネラルアセットマネジメント(旧・山一投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅
1989年1月 135 スイス銀投資顧問 1997年6月までに認可抹消 1995年8月一任分、1998年7月助言分
1989年1月 136 スカダー・スティーブンス・アンド・クラーク・ジャパン 1998年6月投信免許、社名を「スカダー・インベストメンツ投信」に変更。2001年9月までに「チューリッヒ・スカダー投資顧問」に変更。2002年5月にドイチェ・アセット・マネジメント(旧モルガングレンフェルインターナショナルアセットマネジメント、1987年6月一任認可)と合併して消滅 2002年8月
1989年1月 137 バークレイズ・デズート・ウェッド投資顧問 1988年3月 1994年11月に社名を「ビーゼットダブリュー投資顧問」に変更。1998年3月投信免許、「バークレイズ投信」に変更。2001年6月に「バークレイズ・グローバル・インベスターズ投信」に変更。2004年4月にバークレイズ・グローバル・インベスターズ(旧ウエルズファーゴ日興投資顧問、1993年3月一任認可)と合併、「バークレイズ・グローバル・インベスターズ」に変更。2007年9月に証券業登録、「バークレイズ・グローバル・インベスターズ証券投信投資顧問」に変更。同月さらに「バークレイズ・グローバル・インベスターズ」に変更。2009年12月にブラックロック・ジャパン(旧メリルリンチ投資顧問、1986年6月一任認可)と合併、「ブラックロック・ジャパン」に変更。2011年4月にブラックロック証券と合併
1989年1月 138 ファースト・シカゴ投資顧問 社名を「ブリンソン・パートナーズ投資顧問」に変更。1991年6月に安田火災投資顧問(1987年9月一任認可)と合併して消滅 1991年8月
1989年1月 139 マニュファクチュラース・ハノバー投資顧問 1992年12月に解散 1992年12月
1989年12月 140 共立投資顧問 大垣共立銀行、1987年7月 1999年7月に解散 1999年9月
1989年12月 141 シグナ・インターナショナル・インベストメント・アドバイザーズ 外国会社の本邦支店として1987年6月に認可を受けていたものが「法人なり」。2004年7月に社名を「AIJ投資顧問」[75]に変更。2012年2月に業務停止命令、3月に登録取消
1989年12月 142 中銀投資顧問 1987年11月、中国銀行 2002年6月に社名を「中銀アセットマネジメント」に変更。2011年12月に現行法の下で投信委託業務を開始
1989年12月 143 東銀投資顧問 東京銀行 外国会社の本邦支店として1988年6月に認可を受けていたものが「法人なり」。1996年7月にダイヤモンド投資顧問(1987年6月一任認可)と合併して消滅 1996年10月
1989年12月 144 日動火災投資顧問 日動火災海上、1988年3月 廃業して2004年4月に認可抹消、2004年3月に解散 2004年5月
1989年12月 145 プルデンシャル投資顧問 1988年12月 2000年4月に社名を「プルデンシャル・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2002年12月にプルデンシャル・インベストメント・マネジメント・ジャパン・インク(2002年11月一任・投信認可)へ営業譲渡。2003年2月に廃業 2003年3月
1989年12月 146 ろうきん投資顧問 労働金庫連合会、1987年5月 2002年5月に社名を「ろうきんアセットマネジメント」に変更。12月投信認可。2008年6月に解散
1990年2月 147 紀陽銀投資顧問 紀陽銀行、1988年4月 1999年1月に廃業・認可抹消、3月に解散 1999年2月
1990年2月 148 同和火災投資顧問 同和火災海上、1987年4月 2000年3月に解散 2000年7月
1990年2月 149 日団生命投資顧問 日本団体生命、1988年2月 1996年6月に解散 1996年9月
1990年11月 150 阿波銀投資顧問 阿波銀行 1999年1月に廃業・認可抹消・解散 1999年2月
1990年11月 151 エクイタブル・キャピタル・マネジメント・ジャパン アライアンス・キャピタル・マネジメント・ジャパン・インク(1987年6月一任認可)に営業譲渡、1993年8月に解散 1993年9月
1990年11月 152 幸福投資顧問 1997年6月に解散 1997年6月
1990年11月 153 コスモバンカーズ投資顧問 コスモ信用組合、1989年12月 社名を「プライオール投資顧問」に変更。2012年4月に協会除名(会費未納)。2013年5月に廃業
1990年11月 154 しがぎん投資顧問 1997年3月に解散 1997年6月
1990年11月 155 ジャパン・ガンマ投資顧問 1997年4月に太陽生命投資顧問(1987年9月一任認可)と合併して消滅 1997年6月
1990年11月 156 大七投資顧問 大七証券、1989年8月 1993年1月に業務停止命令、2月に解散[76] 1993年3月
1990年11月 157 東生投資顧問 東京生命、1989年4月 1995年6月に解散 1995年8月
1990年11月 158 ハンブローズ投資顧問 1995年4月に解散 1995年6月
1990年11月 159 メリディアン・グローバル・ファンド・マネジメント・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦法人 社名を「ナショナル・ミューチュアル・ファンド・マネジメント・ジャパン・リミテッド」に変更。さらに「アクサ・インベストメント・マネージャーズ東京リミテッド」に変更。2003年3月に日本法人(1988年6月一任認可)へ営業譲渡。廃業して2003年4月に認可抹消 2003年4月
1992年3月 160 エトナ・ジャパン投資顧問 旧エトナ・フェデレーテッド投資顧問。1994年7月に解散 1994年3月一任分、1994年4月助言分
1992年3月 161 クレディ・リヨネ投資顧問 1998年3月投信免許、社名を「クレディ・リヨネ・アセット・マネジメント投信」に変更。2004年4月にクレディ・アグリコルアセットマネジメント(旧インドスエズ・アセット・マネージメント・ジャパン、1989年1月一任認可)への営業譲渡により消滅 2004年6月
1992年3月 162 ゴールドマン・サックス・アセット・マネージメント・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦支店 2002年4月に日本法人(ゴールドマン・サックス投信、1996年2月投信免許、2002年3月一任認可)へ営業譲渡、5月に廃業、社名を「ゴールドマン・サックス資産管理ジャパン・リミテッド」に変更 2002年6月
1992年3月 163 全信連投資顧問 全国信用金庫連合会、1990年12月 1998年12月投信認可、社名を「しんきんアセットマネジメント投信」に変更
1992年3月 164 千代田火災投資顧問 千代田火災海上、1990年2月 1999年9月に社名を「千代田火災アセットマネジメント」に変更。1999年12月投信認可。2000年6月に「トヨタアセットマネジメント」に変更。2013年4月に三井住友アセットマネジメント(旧・三生投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅
1992年3月 165 フォーエス投資顧問 1997年12月に社名を「タワー投資顧問」に変更。2013年11月にタワー証券と合併
1992年5月 166 ぎふしん投資顧問 岐阜信用金庫、1989年6月 廃業して2004年4月に認可抹消、2004年3月に解散 2004年5月
1992年5月 167 きんき投資顧問 1997年2月に解散 1996年11月
1992年5月 168 日産火災投資顧問 日産火災海上、1988年11月 2001年6月に廃業、8月に解散 2001年9月
1992年5月 169 フクトク投資顧問 福徳相互銀行、1987年11月 1995年12月に解散 1995年8月
1993年3月 170 ウエルズ・ファーゴ日興投資顧問 1992年7月 1996年1月に社名を「BZW日興グローバル・インベスターズ」に変更。1997年1月に「バークレイズ日興グローバル・インベスターズ」に変更。さらに「バークレイズ・グローバル・インベスターズ」に変更。2004年4月にバークレイズ・グローバル・インベスターズ投信(旧バークレイズ・デズート・ウェッド投資顧問、1989年1月一任認可)と合併して消滅 2004年5月
1994年5月 171 コメルツ・インターナショナル投資顧問 1997年12月投信免許、社名を「コメルツ投信投資顧問」に変更。2007年11月に「フォルティス・アセットマネジメント」に変更。2008年8月にエービーエム・アムロ証券投資顧問(エービーエヌ・アムロ・アセット・マネジメント投信、1998年11月一任認可)と合併。2010年7月にビー・エヌ・ピー・パリバアセットマネジメント(旧ビー・エヌ・ピー投信、1998年11月投信免許、2000年6月一任認可)と合併して消滅
1994年12月 172 ビー・ティー投資顧問 1996年11月投信免許、社名を「バンカース・トラスト投信投資顧問」に変更。1999年8月にドイチェ・モルガン・グレンフェル投信投資顧問(旧モルガングレンフェルインターナショナルアセットマネジメント、1987年6月一任認可)と合併して消滅 1999年9月
1995年9月 173 大和証券投資信託委託 大和証券 1960年2月投信免許。2020年4月に社名を「大和アセットマネジメント」に変更
1995年9月 174 野村証券投資信託委託 野村証券、1959年12月 1960年2月投信免許。1997年10月に野村投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「野村アセット・マネジメント投信」に変更。2000年11月に「野村アセットマネジメント」に変更
1995年10月 175 東洋投信 東洋証券 1991年11月投信免許。1995年10月に東洋インターナショナル投資顧問(1987年9月一任認可)と合併。1999年3月に社名を「メイプル・アセットマネジメント投信」に変更。1999年12月にスミセイグローバル投信(旧・太平洋投信、1989年11月投信免許、1996年8月一任認可)と合併して消滅 2000年2月
1995年10月 176 日興証券投資信託委託 日興証券 1960年2月投信免許。1999年4月に日興国際投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「日興アセットマネジメント」に変更
1995年10月 177 山一証券投資信託委託 山一証券 1960年2月投信免許。1998年5月に社名を「パートナーズ投信」に変更。同年7月に三和投信投資顧問(旧・三和投信、1993年10月投信免許、1997年11月一任認可)の投信委託業務を承継。2000年1月にユニバーサル投信(1988年11月投信免許)と合併。2001年4月に東海投信投資顧問(旧セントラル投信、1994年9月投信免許、1997年9月一任認可)と東洋信アセットマネジメント(旧・東洋投資顧問、1987年9月一任認可)の2社の投信委託業務を承継、社名を「ユーエフジェイパートナーズ投信」に変更。2005年10月に三菱投信(旧・ダイヤモンド投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅 2005年11月
1995年10月 178 ガートモア投資顧問 1997年6月までにナットウエスト投資顧問(旧カウンティ・ナットウエスト投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅 1997年2月
1995年10月 179 ジャーディンフレミング投信 1990年10月投信免許。1995年11月にジャーディン・フレミング投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「ジャーディンフレミング投信・投資顧問」に変更。2001年9月に「ジェー・ピー・モルガン・フレミング・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2006年3月に「JPモルガン・アセット・マネジメント」に変更
1995年10月 180 富士投信 富士銀行、1993年9月 1993年10月投信免許。1995年10月に富士銀投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「富士投信投資顧問」に変更。2007年7月に第一勧業アセットマネジメント(旧・朝日投信委託、前身の会社は1961年6月投信免許、1997年9月一任認可)と合併して消滅 2007年9月
1995年12月 181 ジェー・ピー・モルガン・インベストメント・マネージメント・インク 外国会社の本邦支店 2006年5月廃業・認可抹消 2006年7月
1996年4月 182 東京投信 東京証券 1987年11月投信免許。1996年4月に東京投資顧問(1987年6月一任認可)と合併。1998年7月に社名を「あさひ東京投信」に変更。1999年4月にあさひ投資顧問(旧サイギン投資顧問、1987年6月一任認可)と合併。2002年10月に「りそなアセットマネジメント」に変更。2004年4月に投資一任業務を廃止、8月にエスジー山一アセットマネジメント(旧・山一投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅 2004年5月一任分
1996年7月 183 インベスコ投信 1990年11月 旧エムアイエム投信。1990年11月投信免許。1991年6月に社名を「インベスコ・エムエイアム投信」に変更、1993年8月に「インベスコ投信」に変更1996年7月にインベスコ投資顧問(旧ウォーバーグ投資顧問、1987年6月一任認可)と合併、「インベスコ投信投資顧問」に変更。1998年9月にエル・ジー・ティー投信・投資顧問(旧ジー・ティー・マネジメント・ジャパン、1987年6月一任認可)と合併。2014年4月に「インベスコ・アセット・マネジメント」に変更
1996年8月 184 国際投信委託 国際証券 1983年3月投信免許。1997年7月に国際投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「国際投信投資顧問」に変更。2015年7月に三菱UFJ投信(旧ダイヤモンド投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅
1996年8月 185 ユー・ビー・エス投資顧問 1996年4月 1998年5月投信免許、社名を「ユー・ビー・エス投信投資顧問」に変更。2000年8月にユービーエス・ブリンソン投資顧問(旧・長銀投資顧問、1987年6月一任認可)と合併、社名を「ユービーエス・アセット・マネジメント」に変更。2002年4月に「ユービーエス・グローバル・アセット・マネジメント」に変更。2015年12月に「UBSアセット・マネジメント」に変更
1996年8月 186 太平洋投信 太平洋証券 1989年11月投信免許。1996年8月に太平洋投資顧問(1987年6月一任認可)と合併。1999年3月に社名を「スミセイグローバル投信」に変更。1999年12月にメイプル・アセットマネジメント投信(旧・東洋投信、1991年11月投信免許、1995年10月一任認可)と合併。2002年12月に三井生命グローバルアセットマネジメント(旧・三生投資顧問、1987年6月一任認可と合併して消滅 2003年2月
1996年9月 187 農中投信 1993年9月、農林中央金庫 1993年9月投信免許。1996年9月にエヌケイユー投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「農中投信投資顧問」に変更。2000年10月に「農林中金全共連アセットマネジメント」に変更
1996年9月 188 ユナイテッド・アセット・マネージメント・ジャパン・インク 外国会社の本邦支店 社名を「ユーエイエム・ジャパン・インク」に変更。日本法人(ユナイテッド投信、1999年10月投信認可、2005年10月一任認可)への営業譲渡により2006年3月に消滅 2006年3月
1996年11月 189 フィッシャー・フランシス・トリーズ・アンド・ワッツ 2008年12月に廃業・解散(ビー・エヌ・ピー・パリバアセットマネジメントが一部営業を承継)
1996年12月 190 新和光投信委託 和光証券、1961年6月 旧・大井証券投資信託委託。1961年6月投信免許。1969年10月に社名を「新和光投信委託」に変更。2000年4月に太陽投信委託(旧・大商投信委託、1961年6月投信免許、1968年5月社名変更)と合併、「新光投信」に変更。2016年10月にDIAMアセットマネジメント(旧・第一生命投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅
1997年2月 191 スパークス投資顧問 1988年6月 2000年3月投信認可、社名を「スパークス・アセット・マネジメント投信」に変更。2006年10月に会社分割により持株会社「スパークス・グループ」に移行、分割準備会社(2006年8月一任・投信認可)に営業譲渡。2006年10~11月に廃業して認可抹消 2006年12月
1997年3月 192 シュローダー投信 1991年11月 1992年1月投信免許。1997年3月にシュローダー・インベストメント・マネージメント(1987年6月一任認可)と合併、社名を「シュローダー投信投資顧問」に変更。2007年4月に証券業登録、「シュローダー証券投信投資顧問」に変更。2012年6月に「シュローダー・インベストメント・マネジメント」に変更
1997年3月 193 クレディ・スイス投信 1993年9月 1993年9月投信免許。1997年3月にクレディ・スイス投資顧問(1988年6月一任認可)と合併、社名を「クレディ・スイス投信投資顧問」に変更。1998年11月に「クレディ・スイス投信」に変更。2002年2月にウォーバーグ・ピンカス・アセット・マネジメント投信(1998年11月一任・投信認可)と合併。2009年7月に「アバディーン投信投資顧問」に変更。2017年12月にスタンダード・ライフ・インベストメンツ・ジャパン(助言)と合併、「アバディーン・スタンダード・インベストメンツ」に変更。2019年6月に第一種金融商品取引業登録。2021年9月に「アバディーン・ジャパン」に変更。2022年3月に第一種金融商品取引業を廃止
1997年9月 194 ロングターム・キャピタル・マネージメント・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦支店 1999年12月
1997年9月 195 三洋投信委託 三洋証券、1961年6月 旧・江口証券投資信託委託。1961年6月投信免許。1971年10月に社名を「フジ投信委託」に変更。1983年6月に「三洋投信委託」に変更。1998年10月にクレアモントキャピタルホールディング(旧ロスチャイルド・キャピタル・ホールディング)が買収。2002年4月にCSKが買収。2003年1月に「プラザアセットマネジメント」に変更。2012年4月に旗艦ファンド「コロンブスオープン」を償還。2019年6月に廃業
1997年9月 196 朝日投信委託 前身の会社は1961年6月投信免許。1997年10月に第一勧業投資顧問、勧角投資顧問の2社(いずれも1987年6月一任認可)と合併、社名を「第一勧業朝日投信投資顧問」に変更。1999年7月に「第一勧業アセットマネジメント」に変更。2001年1月にディーケービー投信(旧・第一勧業ジェーピーモルガン投信、1999年4月投信認可)と合併。2007年7月に富士投信投資顧問(旧・富士投信、1993年10月投信免許、1995年10月一任認可)と合併、「みずほ投信投資顧問」に変更。2016年10月にDIAMアセットマネジメント(旧・第一生命投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅
1997年9月 197 セントラル投信 1994年9月投信免許。1997年10月にセントラル投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「東海投信投資顧問」に変更。2001年4月に投信委託業務をパートナーズ投信(旧・山一証券投資信託委託、1960年2月投信免許、1995年10月一任認可)に譲渡した後、三和アセットマネジメント(旧・三和投信、1993年10月投信免許、1997年11月一任認可)と合併して消滅 2001年7月
1997年9月 198 さくら投信 1993年10月投信免許。1997年10月にさくら投資顧問(旧・太陽神戸三井投資顧問、1987年6月一任認可)と合併、社名を「さくら投信投資顧問」に変更。2002年12月に三井生命グローバルアセットマネジメント(旧・三生投資顧問、1987年6月一任認可)と合併して消滅 2003年2月
1997年12月 199 三和投信 1993年9月 1993年10月投信免許。1997年12月に三和投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「三和投信投資顧問」に変更。1998年7月に投信委託業務をパートナーズ投信に譲渡、社名を「三和アセットマネジメント」に変更。2000年10月投信認可。2001年4月に東海投信投資顧問と東洋信アセットマネジメントの2社と合併、社名を「ユーエフジェイアセットマネジメント」に変更。2005年10月に「MU投資顧問」に変更
1997年11月 200 テンプルトン投資顧問 1996年9月 2000年9月投信認可、社名を「フランクリン・テンプルトン・インベストメンツ」に変更。2003年9月にフィデュシアリ・トラスト・インターナショナル投資顧問(旧・三洋投資顧問、1987年6月一任認可)と合併。2021年4月にレッグ・メイソン・アセット・マネジメント(旧・ソロモン投信委託、1998年6月投信免許、1999年6月一任認可)と合併して消滅
1997年12月 201 スミスバーニー投資顧問(新) 1999年10月にソロモン投信委託(1998年6月投信免許、1999年6月一任認可)と合併して消滅 1999年12月
1998年3月 202 ブラウン・ブラザーズ・ハリマン投資顧問 1997年2月 2001年4月に証券業登録、社名を「ブラウン・ブラザーズ・ハリマン証券投資顧問」に変更。2007年3月に投資一任業務を廃止。同年10月に社名を「ブラウン・ブラザーズ・ハリマン証券」に変更 2007年4月
1998年6月 203 ニッセイ投信 1995年4月投信免許。1998年7月にニッセイ投資顧問と合併、社名を「ニッセイアセットマネジメント投信」に変更。2000年5月に「ニッセイアセットマネジメント」に変更

内閣総理大臣認可[編集]

認可年月 認可番号 会社名 母体企業、設立年月 その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
1998年8月 1 アメリカン・エキスプレス・インターナショナル・ジャパン投資顧問 廃業して2003年12月に認可抹消・解散 2004年2月
1998年9月 2 ステート・ストリート投信投資顧問 1998年2月 旧ステート・ストリート投資顧問。1998年9月投信免許(同時)。2008年7月に社名を「ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ」に変更
1998年9月 3 ウエリントン・インターナショナル・マネージメント・カンパニー・ピーティーイー・リミテッド 外国会社の本邦支店 2015年1月に社名を「ウェリントン・マネージメント・ジャパン・ピーティーイー・リミテッド」に変更
欠番
1998年9月 5 コスモ投信 1986年11月 1986年11月投信免許。1998年10月にディーアンドシーキャピタルマネージメントと合併、社名を「コスモ投信投資顧問」に変更。2000年2月に「明治ドレスナー投信」に変更。2000年7月に明治ドレスナー・アセットマネジメント(旧・明生投資顧問)と合併、「明治ドレスナー・アセットマネジメント」に変更。2009年4月に「MDAMアセットマネジメント」に変更。2010年10月に安田投信投資顧問(旧・安田ペインウェバー投信、2003年7月一任認可)と合併、「明治安田アセットマネジメント」に変更
1998年11月 6 エービーエヌ・アムロ・アセット・マネジメント投信 1997年10月 1999年5月投信認可。2002年7月に社名を「エービーエヌ・アムロ証券投資顧問」に変更。2002年10月に投信委託業務を廃止。2008年8月にフォルティス・アセットマネジメントに営業譲渡して廃業、9月に解散
1998年11月 7 ウォーバーグ・ピンカス・アセット・マネジメント投信 1998年11月投信免許(同時)。2002年2月にクレディ・スイス投信と合併して消滅 2002年4月
1998年11月 8 コマーシャル・ユニオン投資顧問 社名を「モーリーファンドマネジメントジャパン」に変更。廃業して2003年5月に認可抹消・解散 2003年5月
欠番

金融再生委員会認可[編集]

認可年月 認可番号 会社名 母体企業、設立年月 その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
1999年2月 1 日商岩井投資顧問 日商岩井、1997年11月 2004年4月に社名を「双日投資顧問」に変更、2005年4月に「ゼスト・アセットマネジメント」に変更。2010年10月に損保ジャパン・アセットマネジメントと合併して消滅
1999年2月 2 シーディーシー・アセット・マネジメント・ジャパン 1966年11月 旧・富士アドバイザーズ、改めビー・ユー・イー投資顧問。1998年10月に社名を「シーディーシー・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2001年1月に「シーディーシー・イクシス・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2004年11月に「イクシス・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2007年8月に「ナティクシス・アセット・マネジメント」に変更。2014年12月に現行法の下で投信委託業務(適格機関投資家等むけ)を開始。2017年11月に「ナティクシス・インベストメント・マネージャーズ」に変更
1999年2月 3 マサチューセッツ・インベストメント・マネジメント 1998年5月 1999年12月投信認可。2000年8月に社名を「エムエフエス・インベストメント・マネジメント」に変更。2011年6月に「MFSインベストメント・マネジメント」に変更
欠番
1999年3月 5 ピムコ・グローバル・アドバイザーズ・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦支店 1999年11月に社名を「ピムコジャパンリミテッド」に変更。2000年5月投信認可
1999年3月 6 ひまわり投資顧問 1996年2月 廃業して2003年6月に認可抹消。2004年3月に解散 2003年8月一任分、2004年5月助言分
1999年4月 7 アイルランド銀投資顧問 1999年1月 2008年12月に廃業・解散
1999年5月 8 さわかみ投信 1996年7月 1999年5月投信認可(同時)
欠番
1999年6月 10 ソロモン投信委託 1998年4月 1998年6月投信免許。1999年10月にスミスバーニー投資顧問(1997年12月一任認可)と合併、社名を「エスエスビーシティ・アセット・マネジメント」に変更。2001年4月に「シティグループ・アセット・マネジメント」に変更。2006年1月に「レッグ・メイソン・アセット・マネジメント」に変更。2021年4月にフランクリン・テンプルトン・インベストメンツ(旧・テンプルトン投資顧問。1997年11月一任認可)と合併、「フランクリン・テンプルトン・ジャパン」に変更
1999年6月 11 プルデンシャル・ポートフォリオ・マネジャーズ・リミテッド 1968年8月 2000年9月
1999年6月 12 クレイ・フィンレイ・インク 外国会社の本邦支店 2007年9月
欠番
1999年6月 14 三菱商事証券 1999年2月 2011年3月までに社名を「三菱商事アセットマネジメント」に変更。2012年2月にアラディン・キャピタル投資顧問(2004年2月一任認可)と合併。2020年6月に「三菱UFJオルタナティブインベストメンツ」に変更
1999年6月 15 エー・アイ・ジー・インベストメント・マネジメント・インク 外国会社の本邦支店 2000年5月
1999年8月 16 野村ブラックロック・アセット・マネジメント 野村証券投資信託委託、1999年4月 2002年2月に社名を「ブラックロック・ジャパン」に変更。2006年10月にメリルリンチ・インベストメント・マネジャーズと合併して消滅。2006年11月認可抹消 2006年12月
1999年10月 17 ジャイク投資顧問 日本アジア投資、1991年7月 2006年1月に社名を「JAIC West LBアセット・マネジメント」に変更。2007年7月に「JAICアセット・マネジメント」に変更。2011年11月に「クレアシオン・キャピタル」に変更
1999年10月 18 ネクスバンク・コム 1999年4月 2001年5月
1999年10月 19 日本不動産投信 1999年7月 2002年7月に社名を「インター・アセット・ジャパン・ファンド・マネージメント」に変更。2004年4月に「PBAアセットマネジメント」に変更。2011年7月に登録取消
1999年12月 20 アールエス・アセット・マネジメント 1998年1月 2002年6月に現行法の下で投信委託業務を開始。2007年1月に社名を「ベイビュー・アセット・マネジメント」に変更
1999年12月 21 ドレイファス・メロン・アセット・マネジメント・ジャパン 1998年11月 2000年1月に社名を「メロン・アセットマネジメント・ジャパン」に変更。2000年5月投信認可。2001年10月に「メロン・グローバル・インベストメンツ・ジャパン」に変更。2007年11月に「BNYメロン・アセット・マネジメント・ジャパン」に変更。2020年4月に「BNYメロン・インベストメント・マネジメント・ジャパン」に変更
1999年12月 22 アライアンス・キャピタル投信 1996年10月 1996年12月投信免許。1999年12月に本邦支店の営業を承継、2000年1月に社名を「アライアンス・キャピタル・アセット・マネジメント」に変更。2006年4月に「アライアンス・バーンスタイン」に変更
1999年12月 23 ロンバー・オディエ・アセットマネジメント 1999年5月 社名を「ロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチ・ジャパン」に変更。2008年1月に信託業免許、「ロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチ信託」に変更。2012年7月に「ロンバー・オディエ信託」に変更
2000年1月 24 日立投資顧問 1999年8月 2000年1月投信認可(同時)
2000年1月 25 フランク・ラッセル投信 1999年3月 1999年3月投信認可。2002年7月に社名を「フランク・ラッセル」に変更。2006年2月に「ラッセル・インベストメント証券投信投資顧問」に変更。同年3月にラッセル・インベストメント証券と合併。2007年12月に「ラッセル・インベストメント」に変更
2000年5月 26 エイチビーケー・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦支店 廃業して2005年3月に認可抹消 2005年4月一任分

2005年10月助言分

2000年5月 27 シンプレクス・アセット・マネジメント 1999年11月 2001年4月投信認可
2000年5月 28 ピーピーエム投信投資顧問 1999年12月 2000年5月投信認可(同時)。2002年1月に社名を「ピーシーエー・アセット・マネジメント」に変更。2010年12月に「PCAアセット・マネジメント」に変更。2012年1月に「イーストスプリング・インベストメンツ」に変更
2000年6月 29 クォンティス投資顧問 ニチメン、1998年7月 インスパイアが買収し、2003年8月に社名を「プライマリー・アセットマネジメント」に変更。2005年7月に「ファンドクリエーション投資顧問」[77]に変更。2005年10月投信認可、「ファンドクリエーション投信投資顧問」に変更。2009年4月に21世紀アセットマネジメントとの合併を中止。2010年4月に「ばんせい投信投資顧問」に変更。2016年12月に「TORANOTEC投信投資顧問」に変更
2000年6月 30 ビー・エヌ・ピー投信 1998年11月 1998年11月投信免許。2000年8月にパリバ投資顧問(1987年6月一任認可)と合併、社名を「ビー・エヌ・ピー・パリバアセットマネジメント」に変更。2010年7月にフォルティス・アセットマネジメントと合併、「BNPパリバインベストメント・パートナーズ」に変更。2017年12月に「BNPパリバ・アセットマネジメント」に変更
2000年6月 31 チューダー・キャピタル・ジャパン・リミテッド 外国会社の本邦支店 2002年7月に社名を「あすかアセットマネジメントリミテッド」に変更。2009年11月に日本法人(2007年12月設立)に営業譲渡。日本法人は2021年2月にあけぼの投資顧問と合併、社名を「あいざわアセットマネジメント」に変更
2000年6月 32 リバティー・フィナンシャル・アセット・マネジメント 1999年12月 2002年5月に社名を「コロンビア・マネジメント・グループ・ジャパン」に変更。廃業して2004年2月に解散、2004年3月に認可抹消 2004年4月
2000年9月 33 ガートモア・エヌ・シー投信 1996年2月 1996年4月投信免許(当時の社名はエヌ・シー・ジー投信)。1999年6月に社名を「ガートモア・エヌ・シー投信」に変更。2000年9月にガートモア投資顧問と合併、「ガートモア・アセットマネジメント」に変更。2005年6月に「ガートモア証券投資顧問」に変更。2007年11月に「ガートモア・アセットマネジメント」に変更。2011年7月に「ヘンダーソン・ガートモア・ジャパン」に変更。2012年4月に「ヘンダーソン・グローバル・インベスターズ・ジャパン」に変更。2017年7月に本邦支店の営業を承継、「ジャナス・ヘンダーソン・インベスターズ・ジャパン」に変更
2000年10月 34 アクシーズ投資顧問 アクシーズ・ジャパン証券、1996年10月 2009年にアクシーズ・ジャパン証券(2010年11月廃業)と合併して消滅
2000年10月 35 プライベート投資顧問 プライベート証券マネジメント、2000年7月 2003年2月に解散。廃業して2003年4月に認可抹消 2003年4月
2000年10月 36 ファンネックス・アセット・マネジメント 2000年1月 2005年12月投信認可。廃業して2013年4月に協会退会
2000年11月 37 物産アセットマネジメント 三井物産、1956年4月 2014年3月に廃業・解散

内閣総理大臣認可[編集]

認可年月 認可番号 会社名 母体企業、設立年月 その後の異動 廃業時の営業保証金取戻し公告
2001年3月 10 三菱信アセットマネジメント 三菱信託銀行、2000年2月 2000年3月投信認可。2004年10月に東京三菱投信投資顧問と合併して消滅 2004年12月
2001年3月 11 フェニックス・グローバル・インベストメント 2003年5月に東京短資が買収、社名を「TTグローバル・アセットマネジメント」に変更
2001年3月 12 野村ファンド・リサーチ・アンド・テクノロジー
2001年3月 欠番
2001年3月 14 シノピア・ティ・アンド・ディアセットマネジメント 廃業して2004年3月に認可抹消、2004年2月に解散 2004年4月
2001年3月 15 中央三井ステート・ストリート・アドバイザーズ 2002年11月に解散、2002年12月に認可抹消 2003年2月
2001年3月 16 エムアンドエイコンサルティィング オリックス(主要株主) 2004年9月までに社名を「MACアセットマネジメント」に変更。廃業して2006年5月に認可抹消 2006年6月
2001年6月 17 シオズミアセットマネジメント 2000年12月
2001年8月 18 シタデル・インベストメント・グループ・アジア・リミテッド 外国会社の本邦支店 2009年1月に廃業
2001年8月 19 スミショウキャピタルマネジメントカンパニー 住友商事外国会社の本邦支店 2003年1月一任分、2003年4月助言分
2002年1月 20 メッツラー・アセット・マネジメント 2001年5月
2002年1月 21 ポーラスター投資顧問 2009年4月に楽天投信と合併して消滅。存続会社は社名を「楽天投信投資顧問」に変更
2002年3月 22 ゴールドマン・サックス投信 1996年2月 1996年2月投信認可。2002年4月に本邦支店(1992年3月一任認可)の営業を承継、社名を「ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント」に変更
2002年3月 23 グローバル・サイバー・インベストメント 2000年4月 社名を「GCIアセット・マネジメント」に変更
2002年4月 24 ユキ・マネジメント・アンド・リサーチ 2001年7月 2006年10月投信認可。2009年2月に社名を「ワイ・エム・アール投信」に変更。2013年11月に解散
2002年6月 25 大同ライフ投信 大同生命 旧・第一投信(1980年12月投信免許)。1997年12月に社名を「長期信用投信」に変更。1999年4月に「大同ライフ投信」に変更。2002年7月にティ・アンド・ディ太陽大同投資顧問と合併、「ティ・アンド・ディ・アセットマネジメント」に変更。2006年8月に「T&Dアセットマネジメント」に変更
2002年6月 26 インスパイア投資顧問 2001年12月に株式会社化。2002年12月に廃業、2003年3月にインスパイアと合併して消滅 2003年2月
2002年8月 27 ホライゾン・アセット・インターナショナル・リミテッド 外国会社の本邦支店 日本法人(2006年11月一任認可)への営業譲渡により消滅、2006年12月に認可抹消 2007年1月
2002年11月 28 プルデンシャル・インベストメント・マネジメント・ジャパン・インク 外国会社の本邦支店 2002年11月投信認可(同時)。12月にプルデンシャル投資顧問とプルデンシャル・アセット・マネジメント・ジャパン(旧プルデンシャル三井トラスト投信、1998年9月設立・投信免許、2000年4月社名変更)の2社の営業を承継。2006年9月に日本法人(2006年8月に一任認可・投信認可)への営業譲渡により消滅 2006年11月
2002年11月 29 オリックス投信投資顧問 オリックス 2002年11月投信認可(同時)。廃業して2004年4月に認可抹消、6月に解散 2004年5月
2003年3月 30 新生インベストメント・マネジメント 新生銀行、2001年12月 2003年3月投信認可(同時)
2003年4月 31 ノーザン・トラスト・グローバル・インベストメンツ 2007年6月証券業登録、社名を「ノーザン・トラスト証券投資顧問」に変更。11月までに「ノーザン・トラスト・グローバル・インベストメンツ」に変更。2020年3月に第一種金融商品取引業を廃止
2003年4月 32 HCアセットマネジメント 現行法の下、2018年6月に投信委託業務を開始
2003年5月 33 アストマックス・アセット・マネジメント アストマックス、2002年9月設立 廃業して2005年11月にアストマックスと合併して消滅、12月に認可抹消 2006年1月
2003年7月 34 安田ペインウエバー投信 明治安田生命、1999年3月 1999年3月投信認可。2003年6月に社名を「安田投信投資顧問」に変更。2003年8月に安田投資顧問(1987年6月一任認可)と合併。2010年10月にMDAMアセットマネジメントと合併して消滅
2003年11月 35 日興コーディアル・アドバイザーズ 日興コーディアル証券、2002年12月 2006年12月にグローバル・ラップ・コンサルティング・グループと合併、社名を「日興グローバルラップ」に変更
2003年12月 36 ニコラス・エドワーズ・インベストメンツ 2009年4月に廃業・解散
2003年12月 37 ムーンライトキャピタル 2009年6月投信認可。2012年2月に登録取消
2003年12月 38 CMT Asia, Inc. 外国会社の本邦支店 廃業して2005年8月に認可抹消 2005年8月
2004年2月 39 アラディン・キャピタル投資顧問 2003年6月 2012年2月に三菱商事アセットマネジメント(旧・三菱商事証券、1999年6月一任認可)と合併して消滅
2004年2月 40 AIGインベストメントマネジメント投資顧問 2004年1月 2007年3月にエイアイジー投信投資顧問(旧エイアイジー投資顧問、1987年9月一任認可)と合併して4月に廃業、5月に解散 2007年4月
2004年6月 41 ヒューミント投資顧問 2004年1月 2007年3月投信認可。2009年10月に社名を「キャピタル・パートナーズアセットマネジメント」に変更。2010年3月に「キャピタルアセットマネジメント」に変更
欠番
2004年7月 43 大和証券
2004年8月 44 三井アセット信託銀行
2004年8月 45 三菱信託銀行
2004年8月 46 りそな信託銀行
2004年10月 47 住友信託銀行
2004年10月 48 モルガン信託銀行
2004年10月 49 みずほ信託銀行
2004年12月 50 新光証券
2005年4月 51 パナソニックペンションファンドマネジメント 松下電器産業、2004年5月 2018年6月に廃業、2019年3月に解散
2005年4月 52 T. ロウ・プライス・グローバル投資顧問東京支店 外国会社の本邦支店 2011年に社名を「T.ロウ・プライス・インターナショナル・リミテッド」に変更。2017年に「ティ・ロウ・プライス・インターナショナル・リミテッド」に変更。2018年4月に日本法人(ティー・ロウ・プライス・ジャパン、2017年8月設立)に営業譲渡
2005年4月 53 トレイダーズ投資顧問 トレイダーズ証券、1999年11月設立 旧イ・システム。2003年4月に社名を「トレイダーズ投資顧問」に変更。2008年4月に日本プライベート証券(2009年8月廃業、9月解散)が買収、社名を「JPSアセットマネジメント」に変更。2009年7月に業務改善命令、8月に廃業、2010年1月に解散
2005年6月 54 ユーエフジェイ信託銀行 投資一任業務を廃止、2005年11月に認可抹消
2005年8月 55 エムエフシー・グローバル・インベストメント・マネジメント・ジャパン 2004年4月 2011年4月に社名を「マニュライフ・アセット・マネジメント」に変更。2016年7月にマニュライフ・インベストメンツ・ジャパン(2007年設立、2008年投資運用業登録)と合併。2020年4月に「マニュライフ・インベストメント・マネジメント」に変更
2005年8月 56 アイエヌジー投信 1999年9月 1999年9月投信認可。2015年4月に社名を「NNインベストメント・パートナーズ」に変更
2005年9月 57 野村証券
2005年10月 58 AIFAMアセットマネジメント 2004年4月
2005年10月 59 アストマックス 1992年9月設立 持株会社制に移行するため、2012年10月に投資運用業の営業をマネックス・オルタナティブ・インベストメンツに譲渡し、社名を「アストマックス・トレーディング」に変更。2021年4月に持株会社と合併して消滅
2005年10月 60 ユナイテッド投信 1999年9月 2005年10月に社名を「ユナイテッド投信投資顧問」に変更、2013年7月に「日本アジア・アセット・マネジメント」に変更。2018年10月に「あいグローバル・アセット・マネジメント」に変更。2021年4月に業務停止命令、12月に登録取消
2006年1月 61 三菱UFJ証券
2006年1月 62 光証券
2006年2月 63 アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパン 2004年4月 旧RCMジャパン。2004年12月に社名を「アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパン」に変更。2008年4月に「RCMジャパン」に変更。2012年10月に「アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパン」に変更
2006年7月 64 野村不動産投資顧問 野村不動産、2005年7月 2011年10月に野村不動産投信と合併して消滅。存続会社は社名を「野村不動産投資顧問」に変更
2006年7月 65 野村信託銀行
2006年7月 66 エピック・パートナーズ・インベストメンツ 2005年4月
2006年7月 67 みずほインベスターズ証券
2006年8月 68 スパークス分割準備 スパークス・アセット・マネジメント投信 2006年8月投信認可(同時)。2006年10月に持株会社に移行するスパークス・アセット・マネジメント投信(旧スパークス投資顧問、1997年2月一任認可)の営業を承継、社名を「スパークス・アセット・マネジメント」に変更j
2006年8月 69 プルデンシャル投信投資顧問分割準備 2006年4月 2006年8月投信認可(同時)、社名を「プルデンシャル・インベストメント・マネジメント・ジャパン」に変更。9月に本邦支店(2002年11月一任・投信認可)の営業を承継。2017年10月に「PGIMジャパン」に変更
2006年11月 70 藍澤証券
2006年11月 71 ウエスタン・アセット・マネジメント 1991年10月
2006年11月 72 ホライゾン・アセット・インターナショナル準備 2006年8月 本邦支店の営業を承継し、社名を「ホライゾン・アセット・インターナショナル」に変更。2021年8月に廃業
2006年12月 73 SMBCフレンド証券
2007年1月 74 日本バリュー・インベスターズ 2005年12月
2007年1月 75 BFCアセットマネジメント 2006年5月 旧NKオルタナティブ・アセット・マネジメント。2006年8月に社名を「BFCアセットマネジメント」に変更。2018年7月にマーサー・インベストメント・ソリューションズ(2015年5月設立、10月投資運用業登録)と合併、「マーサー・インベストメンツ」に変更
2007年6月 76 岡三証券
2007年6月 77 コスモ証券
2007年7月 78 21世紀アセットマネジメント 2005年2月 2006年10月に投信認可。2009年4月にファンドクリエーション投信投資顧問(旧クオンティス投資顧問、2000年6月一任認可)との合併を中止。同年10月にグラウンド・ファイナンシャル・アドバイザリーが買収。2011年10月に公募投信に係る投信委託業務を廃止。2012年6月に社名を「匠投信投資顧問」に変更。2016年6月に「匠投資顧問」に変更
2007年7月 79 プリンシパル・グローバル・インベスターズ・ジャパン 2006年8月 2008年7月に社名を「プリンシパル・グローバル・インベスターズ」に変更。現行法の下、2016年12月に投信委託業務を開始
2007年7月 80 プラチナムグローブアセットマネージメントジャパン 2006年11月 2015年4月に廃業・解散
2007年9月 81 シティグループ・グローバル・インベストメンツ・ジャパン 2006年3月 2009年7月に廃業、8月に解散
2007年9月 82 マネックス・オルタナティブ・インベストメンツ 2004年10月 2011年2月にあすかコモディティインベストメンツ(旧・三井物産あすかインベストメンツ、2005年10月設立、2018年12月社名変更)と合併。2012年8月に持株会社制に移行するアストマックスが買収、10月に同社の投資運用業の営業を承継、社名を「アストマックス投資顧問」に変更。2013年4月にITCインベストメント・パートナーズ(旧フィスコアセットマネジメント、2004年5月設立、2007年1月投信認可、2008年5月に社名を「TAKMAキャピタル」に変更、同年12月に伊藤忠商事が買収、2009年3月に「ITCインベストメント・パートナーズ」に変更)と合併して消滅。存続会社は社名を「アストマックス投信投資顧問」に変更、さらに2021年3月に「PayPayアセットマネジメント」に変更
2007年9月 83 中央三井信託銀行

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「投資一任業務と、同じ資産運用業務の範疇にある投資信託委託業務を契約形態および運用・管理面における特性から比較した場合、後者が「附合的契約、一括運用判断、一括管理」であるのに対し、投資一任業務は顧客に個別に相対する業であることからくる特徴として次の3つがあげられる。「個別契約」:個別の運用資産の性格に即応した顧客の運用方針を明示する。「個別運用判断」:顧客の個別の運用方針に従った最適な運用を行う。「分別管理」:前二者を行う前提であると同時に、個別の運用プロセス・結果を顧客に説明するために必要となる。この「個別契約、個別運用判断、分別管理」については、業務隔壁をめぐる業態間の垣根論議など過去の経緯を引きずっている部分もあるが、最近は一定の条件下で投資顧問による「合同運用」が解禁されるなど、機能面に着目して類似業態との業務範囲の整合性を認める制度改正も実施されてきている。」(河村賢治・西山寛・村岡佳紀「投資顧問業の法務と実務」金融財政事業研究会、2006年)
  2. ^ 「①我が国では未だ投資一任業務が健全に行われるだけの土壌ができていない。したがって、投資一任業務を認めるかどうかという問題は、投資家の自己責任意識の高揚や投資顧問業者のレベルアップなどの環境の整備を待って検討すべきである。 ②今まで投資顧問業者は実態すら把握されていなかったのに、いきなりこれに投資一任業務まで認めるというのはあまりにも性急に過ぎ、投資家の利益を損なう恐れすらある。 ③投資一任業務は投資家の利益を害し易い性格のものであり、過去の被害事例でも、投資家が売買を一任したことが被害の原因の大半を占めている。このように問題のある投資一任業務を投資顧問業者に直ちに認めることは、仮に多少の策を講じたとしても、投資家保護の観点から問題なしとしない。 ④投資一任業務のニーズやその将来性についても慎重に検討すべきである。未だ市場は小さく、また、我が国では投資情報を求めるニーズはあっても、これが投資一任業務に必ずしも結びつくとは言えない。 ⑤投資一任の業務の性格については、法的には信託業務と異なるものの、経済機能は類似しており、これが投資顧問業者に認められることになれば、信託銀行への影響も大きく、更には金融制度上の重要な問題になると考える。投資一任業務を新しい法律において認めるかどうかは慎重に検討すべきである。 ⑥投資一任業務の問題は、本質的には銀行業、証券業による企業年金市場への参入問題と密接な関係があり、年金の受託機関拡大につながりかねない。両者の関係について明確な整理をした上で慎重に検討すべきである。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  3. ^ 「①投資顧問業においては、ポートフォリオ管理の立場から、証券市場等の動きに応じて時宜を得た売買を行うことが重要となっている。現行の方式では、個々の有価証券の売買毎に事前に顧客の了承を得る必要があり、迅速かつ効率的な投資サービスが提供できず不便である。 ②欧米の投資顧問業者においては投資一任業務が一般的であり、我が国のみこれを認めないことは、金融の国際化時代にそぐわない。現行制度の下では、海外の投資顧問業者が我が国の投資家と投資一任契約を締結して、海外において我が国の有価証券に対する注文を執行することは自由にできるのに対し、ひとたび、これら海外の投資顧問業者が我が国で業務を行う場合には投資一任業務ができないこととなっている。このような状況に対し何らかの対応が必要である。 ③投資家の自己責任原則に関する欧米との土壌、国情の違いは、投資一任業務に対する認可制や行為規制により十分対応できるものと思われる。 ④投資一任業務は、委任された資産の所有権が、あくまでも顧客に留保されている点で、信託業務とは法的には明確に異なっている。これに加え、顧客の資産の保管を禁止する措置等が行われるならば、経済機能面においても信託業務との差異を一層明らかにすることが可能となる。 ⑤当事者の間で需要があるにもかかわらず、仮にこれを形式的に禁止すれば、水面下でその需要が満たされることになりかねない。その場合には投資家に被害をもたらす危険があり、また、被害に対する救済手段も限られたものにならざるを得ない。立法上正面から投資一任業務を認めた上で適正に規制することとすれば、投資家の被害を防止する方策を採ることが十分に可能である。 ⑥投資顧問業に投資一任業務が認められれば、その結果として投資顧問業が軌道に乗ることが考えられる。投資一任業務を認めることにより投資顧問業者間で公正な競争が促され、投資家や投資顧問業者にとって双方の利益になるという面が期待できる。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  4. ^ 「投資一任業務は、その性格上、証券取引法第2条第8項第2号、3号に規定する取次・代理又は委託の取次・代理といった証券取引行為を含まざるを得ないので、現在のように投資一任業務についていわば無法の状態の下でこれを行えば、証券取引法上の無免許営業にあたるおそれがある。そこで、現在証券、銀行及び生命保険会社系の投資顧問会社に対しては、これらの行為を行わないよう行政指導がなされている。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  5. ^ 投資顧問業関係法令研究会「投資顧問業法の手引き」大蔵財務協会、1987年
  6. ^ 「6 独立性の確保 認可申請者の出資者たる関係会社等からの独立性が確保されていること。①認可申請者の出資者たる関係会社等のうち、当該認可申請者の役職員の構成等から判断して主たる関係会社として位置づけられるもの(以下「主たる関係会社」という。)から経済的補助(例えば、出向社員に係る給与等の補助、オフィス・ビルの賃借料の補助等)を受けていないこと。②取締役会の意思決定及びその執行に関し、独立性が保たれていること。具体的には、原則として主たる関係会社の常務に従事する者で認可申請者の非常勤取締役になっているものの数が、当該認可申請者の取締役の総数の半数以下であるとともに代表権を有する取締役が常勤であり、かつ、他の会社の役職員を兼務していないこと。③認可申請者の営業所が主たる関係会社の本社専用ビルに入っていないこと。」(1987年2月通達「投資一任契約に係る業務の認可の審査に当たり検討する事項について」(1987年蔵証184号))
  7. ^ 「投資一任が新法に埋め込まれる以上、当然に国際的観点からみても大きな基金運用の当事者としての問題が見えてくる。昭和59年当初から始まった日米円ドル委員会の一つのテーマに”日本の基金の運用に参加せしめよ”というのがある。まさに年金運用のことを意味している。問題の混線を避けるため、当局は新法の制定と年金問題は全く無関係であると強く主張し続けた。」(相田雪雄「投資顧問業事始め」金融財政事情研究会、1990年)
  8. ^ 1941年厚生年金保険法(旧・労働者年金保険法)の全面改正。
  9. ^ 「厚生年金保険法の一部を改正する法律」
  10. ^ 厚生年金基金連合会は、2004年6月の法改正(国民年金保険法等の一部を改正する法律、2004年法律104号)により、2005年10月から「企業年金連合会」となって現在に至っている。
  11. ^ 「大蔵省証券局年報」1990年版
  12. ^ 「国民年金保険法等の一部を改正する法律」
  13. ^ ①設立認可から8年以上を経過していること、②管理運用業務執行委理事を置いていること、③財政の健全な運営が見込まれること。
  14. ^ 徴収した掛金等の収入額から給付費の一部等の一定の支出を控除した額。
  15. ^ 公正年金保険積立金の還元融資、国民年金積立金の特別融資
  16. ^ 「年金福祉事業団法及び国民年金保険法等の一部を改正する法律の一部を改正する法律」
  17. ^ 「年金財政基盤強化のための年金福祉事業団の業務の特例及び国庫納付金の納付に関する法律」
  18. ^ 「(3)年金福祉事業団の資金運用に対する投資顧問会社のアクセス a.1995 年度予算編成過程において、日本国政府は、年金福祉事業団の資金運用事業について、運用形態の多様化により運用効率の向上を図るため、「指定単」の枠組みの中で、投資顧問会社が実質的に参入することを認めることとした。この目的のために二つの運用手法、即ち投資信託とリミテッド・パートナーシップを設けることとしている。 b.上記運用手法については、i.年金福祉事業団は、これらの連用手法を利用して投資顧問会社によって運用しうる民間金融機関への資金配分を決定しうる。ii.年金福祉事業団は、これらの運用手法により、専門のファンドマネージャーによる特定資産への特化運用が可能となる。iii.投資顧問会社は、新スキームの実施のための仕様を具体化する過程に参加することができる。iv.これら運用手法は、1995 年度予算の国会承認を条件として、同年度中に実施することとする。 c.大蔵省は、新スキームが、投資顧問会社が公的年金貸金の運用に参入するための有効な方法となるものと考えている。 d.1999 年の次期年金財政再計算時において、このスキームの見直しが行われうる。」(「日本国政府及びアメリカ合衆国政府による金融サービスに関する措置」1995年2月)
  19. ^ 「…かかる多数当事者から成る利害相反する縦割りのプロジェクトを統括し、解決困難な問題に優先順位を付け、期限までにスキームを立ち上げることはほとんど不可能に近く、被保険者の利益、延いては国益を考慮する余地など無く、時間切れから、結局のところ米国サイドの要求を丸呑みする以外に術が無くなる恐れが多分にあった。すなわち”ギブ・アンド・テイク”の外交交渉において譲歩を余儀なくされた場合には、後始末をちゃんと付けることこそが重要であって、プロジェクトの統括管理責任者は、退却する軍列の最後尾にあって敵の追撃を防ぐ、まさしく”奔(はし)りて殿(しんがり)す”の心構えを以って事に当たる必要があるのである。ところが、幸いなことに、類まれな洞察力を持った一人の行政官が”奔(はし)りて殿(しんがり)す”の覚悟を以って本件プロジェクトを統括し、平成8年1月25日、米系のゴールドマン・サックス・アセットマネジメント、同じくモルガン・スタンレー・アセットマネジメント投信、および日系の興銀NWアセットマネジメントをGP(ゼネラル・パートナー)とする、リミテッド・パートナーシップ(LPS)指定単スキームを立ち上げ、さらにクリントン大統領来日の平成8年4月16日までに6スキームを創設し、米国の外交圧力を封じたのである。一人の行政官とは、昭和53年厚生省に入省し、平成7年当時年金福祉事業団資金運用事業部運用企画課長の任にあった郡司功氏であるが、まことに残念ながらクリントン大統領来日の翌月倒れ、病が癒えぬまま、志半ばで亡くなられてしまった。郡司氏は、まさしく”奔(はし)りて殿(しんがり)す”の覚悟で、命を賭して、命を削って事態の収拾に当たったのであり、同氏が、不眠不休で論点を整理することはせず、また米国サイドの恫喝に逡巡し、タフな交渉を構えていなければ、被保険者の利益、延いては国益を優先して事態の収拾を図ることは及びもつかず、ただただ米国の圧力に屈してしまい、米系の投資顧問会社ほかにビジネスチャンスを与えるのみの悲惨な結果になっていたことは、火を見るよりも明らかである。しかも、郡司氏は「孟之反(もうしはん)」(23頁参照)のごとく、殿(しんがり)を務めたことを、ついぞ誇ることは無かった。」(平井一志「GPIF改革成功のカギは、出口戦略にあり(その2)」年金調査研究レポート2016年9月号、年金シニアプラン総合研究機構)
  20. ^ 「年金資金運用基金法」
  21. ^ 「年金積立金管理運用独立行政法人法」
  22. ^ 「発足当時、投資信託の委託会社業務を、証券会社の兼営の形で認めたのは、委託会社を専業にさせると委託手数料が高くなって、運用利回りが低くなり投資家の負担が増すが、兼営にすれば証券会社本体の手数料収入でカバーできるのではないかと考えられたからのようである。そのようないわば便法が採られたのは、「短時日に大衆資金を吸収する必要があるという差し迫った国民経済的要請の下に発足した証券投資信託であったため」であろう。しかし本来はそうした収支合算はなされるべきものではにない。昭和33年の衆議院大蔵委員会で春日一幸議員がこの点を指摘した。一方で委託会社として受益者=証券会社ママの利益を守る立場と、他方で証券会社として利益をあげる立場とを同時に代表せねばならず、現代風にいえば利益相反の問題が発生するというわけである。これが委託分離問題の浮上する契機となった。」(「昭和財政史-昭和27~48年度」10巻)
  23. ^ 第一投信(1980年12月)、国際投信(1983年3月)、コスモ投信(1986年11月)、東京投信(1987年11月)、ユニバーサル投信(1988年11月)、太平洋投信(1989年11月)
  24. ^ 「1988年6月、大蔵省は、今後の投資信託のあり方を基本的に検討するため、証券局長の諮問機関として、学会、業界からの委員で構成した「投資信託研究会」を発足させた。この研究会は、受益者本位の運営の徹底、証券市場との関係、国際化の進展等の観点から幅広い検討を行っている。その後、大蔵省は、この研究会の検討成果を土台に、更に議論を深めるため、1988年10月から第2次の「投資信託研究会」を発足させ、我が国投資信託をめぐる諸問題について基本的な検討を行ってきたが、1989年5月に「今後の投資信託の在り方について」と題する報告書を取り纏め、公表した。」(「投資信託協会50年の歩み」2008年)
  25. ^ 「同報告書は、①投資信託の商品性と運用に関する諸問題、②投資信託の投資対象と余資運用、③投資信託に関する情報公開、④委託会社の独立性、⑤外国投資信託に関する諸問題、⑥新規参入問題の6章からなっており、新規参入問題については、「今後の投資信託の一層の発展を期するため、内外を問わず、基本的には、前向きに考えていくべきであるが、新規参入に当たっては、投資者保護の観点から、参入について個々にその適格性、経営の安定性等に関し十分な検討が行われる必要がある」とし、また、金融機関等の参入については、「利益相反等の問題、今後の金融・証券市場の在り方をどう考えるかといった問題等があり、こうした諸点について幅広い検討を行った上で結論を出すことが望ましい」としている。」(証券業報1989年6月号)
  26. ^ 「…同発表は、経営の独立性を保つことに最も重点が置かれており、設立母体の資格要件としては、投資信託業務を3年以上営んでおり、相当の実績を有していること、また、外国業者の場合には、我が国における経験とともに本国における実績等を勘案して判定することとなっている。また、設立形態としては、①共同設立は認められない、②設立母体からの出資については、投資信託の設定・運用業務を行っている場合には単独出資が基本となっており、投資信託の販売業務を行っている場合には関係会社を含め3割程度までにとどめる、③出資協力については、業務の遂行に必要とされる特別の理由があり、かつ独立性を損なわない場合には、出資を行う会社ごとに原則5%までの出資を認めるなどとなっている。」(証券業報1990年1月号)
  27. ^ ウォーバーグ投信(1990年10月)、ジャーディン・フレミング投信(1990年10月)、インベスコ投信(1990年11月)、東洋投信(1990年11月)、シュローダー投信(1992年1月)
  28. ^ 「…また、投資信託委託業務の免許運用基準の見直しについても触れ、投資信託委託会社の設立母体となる外国業者に求めている要件を緩和し、国内からの新規参入については、証券会社等に加え投資一任会社を新たに設立母体として認めていくことが適当であるとしている。」(証券業報1992年2月号)
  29. ^ 「…主な改正点は次のとおりである。①新たに設立母体として、投資一任業務を営んでいる会社を認める。②外国業者については、わが国における投資信託の販売実績等の要件を削除する。③複数の設立母体による共同設立を認める。④投資信託委託会社の役職員数についての要件を削除する。⑤管理事務の第三者への委託を認める。⑥最低資本金を5億円から3億円に引き下げる。⑦投信会社による直接販売を認める。⑧免許の審査は、標準処理期間を設け随時行う。」(大蔵省証券局年報1993年版)
  30. ^ 「…国内からの参入については、従来、投資信託の設定・運用又は販売業務を営む者のみが設立母体として認められていたが、上記1.(3)の考え方を踏まえ、イ)投資顧問業務(投資一任業務)は、投資者の資産の運用を一任され、忠実にこれを行うという意味で投資信託委託業務と共通性があること、ロ)現在までに参入した外資系企業はいずれも投資顧問業を営む会社を設立母体としていること、ハ)幅広い業態からの平等な参入という要請にも応えられることから、投資顧問業務(投資一任業務)について、十分な経験と相当の実績を有する適格者を新たに設立母体として認めていくことが適当である。」(証券取引審議会報告書「証券市場における適切な競争の促進等について」1992年1月)
  31. ^ 「なお、相当の実績を有するかどうかは、当面、設立母体が投資信託の設定・運用業務を営んでいる者の場合は、その設定・運用残高が、投資信託の販売業務を営んでいる者の場合は、その販売残高が、また、投資一任業務を営んでいる者の場合は、投資一任業務に係る過去3年間の平均契約資産残高(親会社およびその関係会社からの受託額を除く)が、3000億円程度以上あるかどうかにより判定することとしている。」(野口徹郎(大蔵省証券局業務課投資管理室投資信託第二係長)「「証券投資信託業務の免許基準の運用について」の改正」商事法務1992年6月5日号)
  32. ^ クレディ・スイス投信(1993年9月)、エス・ビー・アイ・エム投信(1993年10月)、さくら投信(1993年10月)、三和投信(1993年10月)、富士投信(1993年10月)、農中投信(1993年10月)、日本興業投信(1994年7月)。セントラル投信(1994年9月)、ニッセイ投信(1995年4月)、エヌ・シー・ジー投信(1996年4月)
  33. ^ 楠壽晴(大蔵省証券局投資管理室長)「…昨年の秋以来大蔵省では投資信託研究会を設置し、投資信託のいろいろな問題について、8ヵ月にわたり研究を続けてきました。大蔵省が昨年から投資信託について勉強を始めたきっかけは、3つ程あると私は理解しています。それは何かというと、1つは投資信託という金融商品がもっと投資家に利用してもらえる良い金融商品になっていく可能性のある商品ではないかということです。二番目は、投資信託というものが、投資家から信頼されj広く利用される金融商品になっていけば、投資信託が証券市場・株式市場において、もっと大きな役割を果たしていけるのではないかという問題意識です。三番目としては、投資信託が投資家にもっと利用される良い金融商品となり、証券市場・株式市場にいい影響を与えるものになっていけば、投資信託が証券会社の経営に果たす役割は、より大きなものになっていくのではないかということです。逆にいうと、投資家サイドから見て、また証券市場の方から見て、さらに証券会社の経営というサイドから見て、今の投資信託、特に株式投資信託の現状は、決して満足できる状況ではないと考えざるを得ないというところが、今回投資信託について勉強を始めた大きなきっかけであるわけです。」(証券月報1994年7月号)
  34. ^ 「…英米においては資産運用会社が、年金運用等の投資一任業務と、投資会社(会社型投資信託)もしくは設定者(契約型投資信託)からの運用委託に基づく投資信託の資産運用業務をあわせ行っている。」(証券投資信託月報1994年7月号)
  35. ^ 楠壽晴(大蔵省証券局投資管理室長)「…その問題をどう考えるかという点ですが、これについては3つの意見を併記する形の報告になっています。1つは利益相反による弊害発生の防止が困難であることから認めるべきではないとの意見です。二番目は、機能面では同種の業務であって、人材等の有効活用や投資信託市場の競争促進を図るために認めるべきであるとの意見です。三番目として、仮に認めるとしても、併営が認められる会社には一定の要件を設けるとともに、利益相反による弊害発生の防止策を講ずることが必要との意見です。このような3つの意見があり、結論は得られなかったわけですが、今後法制面を含めた検討を進めてほしいという提言になっています。」(「投資信託研究会報告書の概要について」証券業報1994年7月号)
  36. ^ (1) 投資信託市場における一層の競争促進等を図るため、委託会社の免許運用基準について以下の内容の見直し及び従来の指導の明確化を行う(委託会社の免許運用基準の改正)。①委託会社の最低資本金を3億円とする基準を撤廃し、資本金に関する基準としては、「純資産額が奉呈上の最低資本金である5千万円を開業後に下回ることがないと見込みうる額の資本金を要する」こととする。②委託会社の商号について「証券投資信託委託会社」等の投資信託委託業務を営む会社であることを明治する。③投資一任会社は、直近3年間における一任契約資産残高が3000億円以上であること等の要件を満たす場合には証券投資信託法に基づく免許を受けて委託会社となることにより、投資信託委託業務を営むことができる。③委託会社と投資一任会社の合併については、合併後の会社の内容が委託会社の免許運用基準及び投資一任会社の認可基準を満たしている場合にはこれを認める。(注)委託会社は、直近3年間の運用資産残高が3000億円以上である等の要件を満たす場合には有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律に基づく認可を受けて投資一任業務を営むことができる(投資一任会社の認可基準の改正)。 (2) 同一会社での投資信託委託業務及び投資一任業務の併営による併売発生の防止のため、両業務のファンド間の利益の付け替えを省令上の禁止行為とする(行為準則省令及び有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律施行規則の改正)。(「投資信託改革の概要について」1994年12月)
  37. ^ 「なお、証券投資信託法第4条第2項は、委託会社として免許を与えうる会社はわが国において設立された株式会社に限定しているため、支店形態による投資一任会社が投資信託委託業務を併営する場合には、支店を「株式会社」化する必要がある。このことは、株式会社形態の投資一任会社に比べ、すでに支店形態でわが国に進出している投資一任会社に過剰な負担を強いることにもなりかねず、一定の要件を満たす投資一任会社による投資信託委託業務の併営を認め投資信託市場における競争促進を図るという先般の投資信託改革の趣旨からも適当でない。このため、7年12月に、株式会社形態の投資一任会社とすでに支店形態で進出している投資一任会社との実質的な公平性を確保する観点から、8年1月現在すでに支店形態で進出している投資一任会社が、投資信託委託業務に参入する場合において、当該支店の「株式会社」化を行わずに、これとは別に株式会社組織である委託会社を設立したうえで、両社の人員・施設の共有による実質的な併営を行うことを認めることとし、その際生じうる利益相反行為を防止する観点から、両社のファンド間の利益の付替えを「証券投資信託の委託会社の行為準則省令」上の禁止行為とするなど規定の整備を図っている(7年12月1日(施行8年1月1日)、省令及び免許運用基準の改正)。」(大蔵省証券局年報1996年版)
  38. ^ 「これに対し、会社型投資信託の基本的意義は、コーポレート・ガバナンスの枠組みの下での私的自治による投資者保護の確保にあるが、我が国の株式会社運営の現状を踏まえた場合、株主権の行使や株主総会、取締役会といったコーポレート・ガバナンスの枠組みの下で、私的自治により投資者保護を図るという会社型投資信託の仕組みは十分に機能しうる状況にあるとは言い難いのではないかと考えられる。会社型投資信託について、投資者の私的自治により投資者保護が十分に確保しえない場合、例えば個々の会社型投資信託の設定、運営について、行政当局が承認や監督、検査を行うことが必要になると考えられるが、この点については、多種多様でしかも相当な数に達すると思われる会社型投資信託に対し、行政当局が十分な承認についての審査や監督、検査を行うことは、実際上極めて困難であるという問題がある。」(投資信託研究会報告書「投資信託の改革に向けて~期待される機能、役割の発展のために」1994年6月)
  39. ^ 「投資信託の利便性を高め、商品の多様化を進めるとの観点からは、イ.証券総合口座の導入、ロ.私募投資信託の導入、を行うとともに、ハ.会社型投資信託の導入についても検討を行うべきである。」(証券取引審議会報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」1997年6月)
  40. ^ 「金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律」
  41. ^ 「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律等の一部を改正する法律」
  42. ^ クレディ・リヨネ証券会社東京支店が突然、資産保管会社・一般事務受託会社・指定証券会社の地位を辞退したため(「クレディ・リヨネ証券会社東京支店からのお知らせ」日本経済新聞、2000年6月7日)、幹事証券会社はアイティーエム証券のみとなった。
  43. ^ 「会社型投信に初の登録認可 海外に特別目的会社」日本経済新聞、2000年8月10日
  44. ^ 証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月
  45. ^ 「a 証取法上の売買一任勘定取引との差異 顧客から投資につき一任を受ける点では共通しているが、売買一任勘定取引は、有価証券の売買の一任に重点がおかれており、売買そのものに委託手数料が支払われる。一方、投資一任業務は、顧客の資産運用の一任に重点がおかれており、運用に対し投資顧問料が支払われるもので、有価証券の売買自体に対し支払われるものではない。なお売買一任勘定取引は、平成三年の法改正により原則禁止とされている。」(星野孝一「投資顧問業務新版」金融財政事情研究会、1996年)
  46. ^ 「証券取引法の一部を改正する法律」
  47. ^ 「127条 証券取引委員会は、会員が自己の計算において若しくは顧客から有価証券の売買取引について売買の別、銘柄、数及び価格の決定を一任されてその者の計算において行う売買取引を制限し、又は会員のなす過当な数量の売買取引であって有価証券市場の秩序を害すると認められるものを制限するため、公益又は投資者保護のため必要且つ適当であると認める事項を証券取引委員会規則で定めることができる。」
  48. ^ 「有価証券の売買一任勘定に関する規則」(1948年証券取引委員会規則15号)「1条 証券取引所の会員は、顧客から有価証券の売買取引について売買の別、銘柄、数及び価格の決定を一任されている勘定(以下売買一任勘定という。)において、当該勘定についての委任の本旨又は当該勘定の金額に照らし過当と認められる数量又は頻度の売買取引を行ってはならない。」
  49. ^ 「…この種の取引は、その方法のいかんによっては、自己の判断と責任で投資するという健全な投資態度を歪めるばかりでなく、顧客との間の紛争を招き、証券業者の信用をそこなうおそれもあるので、一般に証券業者は顧客のために、この種の取引を行うことを自粛されたい。…」
  50. ^ 「…この通達は、従来の規制の欠点とされていた3点を補強している。すなわち、①従来は証券取引所の会員だけが規制対象であったが、非会員にまで規制対象が拡げられた。②従来の売買一任勘定取引の定義は「売買の別、銘柄、数及び価格についての一任」ということになっており、この四つの要素の一つでも欠ければ売買一任勘定取引の定義から外れ規制外ということであったが、新しい通達では、上記四つの要素のうち仮に一つ程度が欠けていても法規制の趣旨から売買一任勘定取引とみなされる場合には、そのような契約も規制対象に含むこととされた。③仮にやむを得ず売買一任勘定取引を行う場合には、厳格な手続きによることとされ、その手続の詳細が通達で明記された。この39年通達により、売買一任勘定取引をめぐる投資家被害は減少し、今日に至っている。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  51. ^ 「昭和39年2月7日付で「有価証券の売買一任勘定取引の自粛について」という通達が理財局長から各財務局長あてに出されている。そもそも有価証券の売買一任勘定に関する規制(昭和23年7月)で制限されていたものであったが、この39年2月の指導では、一般に証券業者は顧客のために、この種の取引(売買一任)を行うことを自粛されたいとしたものであった。これは実質的に禁止したも同然であった。国会議員のなかで金融・証券に関する知識では最右翼の堀昌雄衆院議員(社会党)は、この通達の積極的推進者であった。わが国で後に投資顧問業法ができる(昭和61年5月)が、法制化が進んだ歴史的経過には、前提に売買一任の自粛(禁止)があり、その解除の線に沿って新法の議論がなされ、堀さんは再び投資顧問報の提案推進の役割を果たされるわけである。(後述)」(相田雪雄「投資顧問業事始め」金融財政事情研究会、1990年)
  52. ^ 有価証券に関する投資顧問業務(特定の者と個別的に締結する投資顧問契約に基づき、相当の対価を収受して営むものに限る。)
  53. ^ 「兼業承認の対象となる投資顧問業務は、証券会社が特定の者と個別に契約を締結して、その投資に関するポートフォリオについていわば専属的、包括的に投資情報・助言サービス等をコンサルタントとして提供し、かつ、これらのサービスについて相当の対価を収受するものをいい、外務員が個々の銘柄等について日常行ういわゆる投資相談は、たとえその提供資料等について実費程度のものを徴するとしても、本来の証券業務であって、ここにいう兼業には含まれない。また、この投資顧問業務に関連して、売買した有価証券の保管、配当金等受取りの代行など、いわゆる管理業務を受託する場合も多いと考えられるが、このような管理業務を行うことは、投資顧問業務の要件ではない。」(大蔵省証券局年報1968年版)
  54. ^ 「従前は証券会社派遣業として投資顧問業務を行ってきた。しかし、証券会社には本来、顧客の相談を受ける形で投資助言を行う機能があるわけであり、証券会社が一般の顧客と投資顧問契約のある顧客とを区別するような助言を行うことは好ましくない。そこで、顧客と証券会社との利益相反の問題にも配慮しつつ、46年以降証券会社については投資顧問業務の兼営は認めないこととされ、引き続き投資顧問業務を行う意思のある証券会社は別会社を設立し、投資顧問業務を行うよう行政指導がなされた。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  55. ^ 「その際、大蔵省では、証券会社に対し、当該子会社が売買一任勘定取引を行わないことなどの条件を付している。証券会社に対し売買一任勘定取引の自粛を求めた理由が顧客との紛争防止であるのに対し、その子会社である投資顧問会社に売買一任勘定取引を認めなかったのは、当該会社は証券会社ではないので、売買一任勘定取引に随伴して生ずる証券取引行為(取次、代理等)を行えば、証券取引法上の無免許営業になるおそれがあったためである。」(証券取引審議会報告書「証券投資顧問業の在り方について」1985年11月)
  56. ^ 「信託業務としての特定金銭信託(特定の運用対象、価格、タイミング等の条件指定をつけて金銭の運用を委託し、金銭で返還を受ける)自体は信託法制定(大正11)以来存在したものであるが、昭和57、58年頃から国債を対象とした特定金銭信託の運用指図を証券会社が営業として引き受けるようになった。これが営業特金である。昭和60年前後からの株価の上昇継続で、株式に関する営業特金が増大し、大方は期間2年であったため62年10月のブラックマンデーを含む期間には予定した(ないしは暗黙に保証した)利回りが確保できず、損失を出した。こうした取引において営業として引き受けた証券会社が顧客にその損失相当分を補填した例がみられた。それ以前、昭和61年にもすでに一部に売買一任勘定における利回り保証の噂が広まっていた。」(「昭和財政史-昭和49~63年度」6巻)
  57. ^ 楠壽晴(大蔵省証券局業務課課長補佐)、高橋洋一(同)「もちろん、このような古いタイプの営業姿勢上の問題も残念ながらすべて跡を絶ったといえる状況ではないが、法人顧客、大口投資家に対する損失補填や親引けといった問題は、証券会社が一部の特定顧客のみ、例えば、預かった資金の運用成績が良くない場合、結果として損失を補填するとか、プレミアム商品をこのような特定顧客にのみ配分するといった特別のサービスをする、つまり、昔でいう財務内容の良くない証券会社が一般投資家に迷惑を掛けるというのではなく、非常に財務内容も良く、収益状態も良い証券会社が一部の特定顧客にだけ過当サービスをするといった問題である。このような事後的な損失補填や親引けなどの特別の利益提供といった問題は、一部の特定顧客のみが利益を受ける取引であるため、当然のことながら、一般投資家からは非常に不公平な取扱いではないかという強い反発を受けるわけである。」(証券業報1990年4月号)
  58. ^ 水谷英明(大蔵省証券局業務課長)「本来、特定金銭信託は、事業法人が信託銀行に対し個別の運用指図をするものであり、証券会社は事業法人の運用に対するアドバイスに限定して行うことができるという性格のものであるが、これがいつの間にか一任運用に移行し、証券会社の事業法人部門から証券会社の窓口に直接運用の指図が行われるようになって、信託銀行からの売買依頼書は事後的に証券会社にくるというような事態になってしまう怖れがある。」(証券業法1990年4月号)
  59. ^ 「この適合性原則に関連して、取引一任勘定取引については、法令、通達等により、取引の部分的禁止及び一般な自粛が規定されている。すなわち、証券取引法第127条において、取引所会員が、「顧客から有価証券の売買取引について売買の別、銘柄、数及び価格の決定を一任されてその者の計算において行う売買取引を制限」するため、「公益又は投資者保護のため必要且つ適当であると認める事項を大蔵省令で定めることができる。」こととされ、大蔵省令においては、取引一任勘定における過当取引が禁止されるとともに、取引一任勘定取引にかかる証券取引所への報告義務が規定されている。また、通達においては、証券会社に対して、広くこの種の取引の自粛を求めるとともに、「一任の内容に売買の別及び銘柄の決定を含む一連のいわゆる売買一任勘定取引」を、やむを得ず特別に行う場合の遵守手続きが定められている。さらに、証券業協会規則においては、従業員限りで顧客から取引一任勘定取引の注文を受けることが禁止されている。しかしながら実際の運用をみると取引所への報告がほとんど出されていない一方、証券事故の中には一任的な勘定に起因するものも相当みられるという意見もある。こうした点にかんがみ、業者の営業姿勢の一層の適正化を図る観点から、この際、売買の別、銘柄、数及び価格の全てを一任する取引一任勘定取引を取引所会員、非会員を通じて禁止することが必要であると考えられる。」(証券取引審議会報告書「証券監督者国際機構(IOSCO)の行為規範原則の我が国への適用について」1991年2月)
  60. ^ ①社内管理体制の強化、②人事管理、教育・研修の徹底、③取引内容の適正化、④顧客管理の適正化(1991年7月通達「証券会社の社内管理体制の強化等について」(1991年蔵証1306号))
  61. ^ 「証券取引法及び外国証券業者に関する法律の一部を改正する法律の一部を改正する法律」
  62. ^ 取引一任勘定取引を条件つきで認めていた証券取引法127条1項が改正されるとともに、50条1項に列挙された禁止行為に「取引一任勘定取引の契約を締結する行為」が追加された。
  63. ^ 「証券会社の健全性の準則などに関する省令」(1965年大蔵省令60号)
  64. ^ ①外国証券会社注文、②非居住者注文、③取引総額注文、④システム注文
  65. ^ 「証券会社の行為規制等に関する省令」に改題。
  66. ^ 「②投資家の期待に応える業務運営の確保 ・顧客に対する一層忠実な業務執行を図る観点から、証券会社の業務について、幅広く実態把握に努め、そのあり方を検証し、ルール・検査・監督面で、信頼性の一層の向上に向けた必要な対応を行う。[年内に実施] ・顧客の期待に応える業務・サービスを確保する観点から、顧客が投資判断に際して必要とする情報や助言の実情を踏まえ、証券会社の資産管理型営業への移行など新たな業務展開を可能とする方策を検討する。 ・この一環として、顧客の利便性の向上を図るため、取引価格の弾力化など取引一任勘定取引の範囲の見直しを行う。[早急に結論]」(「証券市場の改革促進プログラム」2002年8月)
  67. ^ 「証券会社の行為規制等に関する内閣府令」
  68. ^ ①価格値幅注文、②以上・以下注文(Or Better注文)、③基準値幅注文、④CD注文(※CDはcareful discretionの略)、⑤ターゲット注文(日本証券業協会「取引一任勘定取引に係る考え方及び具体的事例について」2002年12月、別冊商事法務2004年7月号収載)
  69. ^ 「証券会社についても資産運用サービスの充実が求められる。特にラップ・アカウントは、証券会社の手数料獲得目的の短期売買の危険が少ないなど、投資家のメリットが大きく、米国においても広く利用されるようになっている。また証券会社にとっても、ラップ・アカウント方式の資産運用サービスは、営業の多様化につながり、手数料自由化後の証券会社の提供サービスの高付加価値化を支える業務の一つになり得ると期待される。したがって、証券会社の投資一任勘定が禁止された経緯等を踏まえ、不正行為防止及び利益相反防止等のためのルールを整備しつつ。ラップ・アカウントを導入していくことが適当であると考える。」(証券取引審議会報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」1997年6月)
  70. ^ a b 「証券取引法等の一部を改正する法律」
  71. ^ 「証券会社における資産管理・運用サービスの円滑な提供が行われるよう、ラップ口座などが円滑に実施できる制度とした。我が国では、平成10年の金融システム改革の際に、ラップ口座の開設などができるよう、証券会社による投資一任業務の兼業を可能としたが、証券会社が投資一任業務を行った際には自己勘定による売買の内容を顧客に開示するなどの義務が課されていたことなどから、実際にはなかなか進んでいなかった。そこで、証券会社において証券業部門と投資一任業務部門との間の厳格なファイアーウォールなどが整備されていることを条件に、この開示義務を免除することや、証券会社が投資一任業務等を兼業した場合、証券業以外の業務を営むために必要な兼業承認を届出制とすることなどにより、資産管理型営業に向けた環境整備を行った。」(「金融庁の1年」2003事務年度版)
  72. ^ 助言分が主たる営業所500万円、その他の営業所ごとに250万円、一任分が、さらに、主たる営業所2000万円、その他の営業所ごとに1000万円。
  73. ^ 制度創設以来、企業年金資産の運用と管理については、共同受託方式(受託機関のうち1社が代表として窓口となる総幹事制度)が採られていたが、資産運用の効率化やサービスの高度化のため、資産管理信託銀行が一元的に集中管理し、会計報告を行う仕組み(管理を行うマスタートラスト)が、1999年3月「日本版マスタートラストの厚生省案」(再信託方式による資産運用と資産管理の分離)により、法改正を行うことなく導入された。
  74. ^ 「投資顧問への行政処分は、93年の大七投資顧問への処分以来、2件目。」(「監督庁、新規契約1ヵ月禁止、パリバ投資顧問行政処分」日本経済新聞、1999年6月18日)
  75. ^ その際、同名の投資助言会社(旧エイム・インベストメント・ジャパン)は、社名を「AIJ」に変更して廃業。
  76. ^ 「東京銀行の経営支援を受けている中堅証券の大七証券(本社東京、荒義明社長)が投資顧問業務から事実上撤退することになった。関係筋が7日明らかにしたところによると、系列投資顧問会社の大七投資顧問は年内に投資一任業務の免許を返上し休眠する。投資一任業務をしている証券系投資顧問の業務撤退は初めて。大七投資顧問は現在、既存の契約資産の解約を進めているが、その一部は東銀系の東銀投資顧問が継承する。東銀が6月以降進めている大七証券支援策の一環になる。…」(「大七証券、投資顧問業務から撤退 一部資産、東銀系が継承」日本経済新聞、1992年12月8日)
  77. ^ その際、同名の投資助言会社は、社名を「プライマリーインベストメント」に変更して廃業。

外部リンク[編集]