微妙 (白拍子)

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微妙/江戸時代前賢故実』より。画:菊池容斎

微妙(びみょう、生没年未詳)は、鎌倉時代前期の白拍子。父は右兵衛尉・藤原為成。

生涯[編集]

建久年間に父為成が讒言のために京から奥州へ追放され、母は嘆きのあまり死去し、7歳で孤児となった。

建仁2年(1202年)3月、鎌倉幕府将軍源頼家が、比企能員の邸で花見を催した際に召され、頼家の前で舞を舞った。その席で微妙は父の行方を捜すため、舞の修行を積んで東国へ赴いた事を涙ながらに頼家に訴えた。それを聞いた者は皆涙し、さっそく奥州へ使者を派遣する事が決められた。数日後に頼家の母政子が将軍御所を訪れ、微妙の舞を鑑賞した。その後微妙は政子の邸に引き取られた。

8月、奥州へ派遣されていた使者が帰参し、微妙の父はすでに死去していた事が判明した。微妙は泣き崩れ、10日後には父の菩提を弔うため、栄西の禅坊で出家を遂げ、法名を持蓮とした。政子は微妙を哀れみ、深沢里の辺りに居所を与えた。

微妙と密かに通じていた御家人古郡保忠は、甲斐国へ下向している間に微妙が出家を遂げた事を知って怒り、栄西門弟の僧達の部屋に乗り込んで問いただした。僧達は恐れを成して御所へ逃げだし、保忠はそれを追って打ち据える騒ぎを起こし、政子の怒りを買っている。

参考文献[編集]

  • 『吾妻鏡 現代語訳 7〈頼家と実朝〉』 吉川弘文館、2009年。

関連項目[編集]