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尉遅熾繁(うっちしょくはん、566年 - 595年)は、中国の北周の宣帝の皇后のひとり。尉遅迥の孫娘。本貫は代郡。
はじめ杞国公宇文亮の子の西陽公宇文温にとついだ。宗婦として入朝したさいに、宣帝に見初められて寵愛を受けた。宇文亮が叛乱を計画し、宇文温が処刑されると、熾繁は宮中に入り、長貴妃となった。580年3月、天左大皇后に立てられた。5月、宣帝が死去すると、出家して尼となり、華首と改名した。595年、30歳で死去した。