大神種麻呂
大神種麻呂 Tanemaro Ohga | |
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出生地 | 日本、豊国 |
死没地 | 日本・豊国 |
称号 | 朝臣 |
在任期間 | 790年8月22日 - 806年 |
大神 種麻呂(おおが たねまろ)または大神 種麻呂(おおがのたねまろ)は、神道の神職(朝臣)。
大神家第代当主。
790年(延暦9年)~809年、宇佐八幡宮大宮司となり16年治めた。 託宣により、八幡信仰を創設した八幡宮(八幡宮→八幡宇佐宮→宇佐八幡宮)初代大宮司大神比義命を祀る、外宮第一殿を雲雨の地とする[1][2]。 大神朝臣種麻呂とも。
概要[編集]
『八幡宇佐宮御託宣集』には、
東南の洞より朝の 雲来つて、野の径の間に燾ひ東北の 峯より暮の雨灌いで渓川の流に入 る。又晴夜の暁に、老翁現れて清天 に隠るる時 、妙なる声聞えて幽 かなり。
東南峯は 、大神比義命入って出でざる洞にして 、今の中津尾是なり 。老翁と現はるものは 、彼の霊なり。一体分身の外用にて 、両霊潜通の内証なり 。第一殿に副ひ奉り 、万徳御前と申し 、八幡の源を顕はし奉る 。今万徳の本と成るの故なり。
と記され、八幡大神が顕現させ、八幡信仰の祖大神比義命を宇佐八幡宮外宮第一殿に祀った経緯が記されている。
大神朝臣種麻呂は、常に社頭におり、神司ではないものの、神慮 に通じることができた 。種麻呂、豊前守に申し 、公家に奏聞 。天平宝字年中、雲雨の所を占い下宮の地とする。第三殿は弘仁年中の造営。種麻呂は延暦9・8.22、大宮司となり16年治めた。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- 注釈
- 出典