大城朝恕

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大城朝恕(おおしろ ちょうじょ )は、沖縄県出身の空手家。

明治21~昭和14(1888~1939)

享年51歳

首里大中町に生る。

県立工業高校の教職の傍ら同校生徒に空手を指導する。

沖縄第一の棒者知念親雲上三良の直弟子で、その棒術は沖縄県下一品であった。

金城が多くの影響を受けたのは、少年時代(中学二年以降)からの師だった大城朝恕である。大城は学校系統の唐手家(工業学校教師)ながら、平安を教えず、首里手の格闘技法の研究に熱心だった。大城の友人だった道場系統の喜屋武にもこの傾向があり、徳田安文らの学校教師は別として、首里手回帰の傾向が強かった。

来歴[編集]

1925年 吉田安昌から「各流派合同で道場を設け、総合的研究を含めて教える」ことの提案があり、 10月、沖縄で初めての空手道場「唐手研究会」が「沖縄空手研究倶楽部」に改組設立。 指導は許田重発、宮城長順、本部朝勇、花城長茂、大城朝恕 知花朝信、中国拳法の呉賢貴も参加。主任教授に摩文仁賢和、宮城長順が就任。

逸話[編集]

大城の道場では、金城裕が習った時期よりも前まで、サクと呼ばれる木剣を使った打ち込み稽古を行っていた。 これにより、松村宗棍から示現流が受け継がれていたことがわかる。

弟子[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 唐手大鑑 金城裕著 
  • 本部流 昭和30年代の本部御殿手(5) ―前編―
  • 正統唐手成徳会