喬桐郡
表示
喬桐郡(キョドンぐん、きょうどうぐん、朝鮮語: 교동군)は、喬桐島を中心とした現在の仁川広域市江華郡にあった行政区域[1]。
今の江華郡喬桐面・西島面一帯と三山面の一部である。
由来
[編集]喬桐島は
沿革
[編集]- 1232年、モンゴルの侵略で高麗朝政が江華島へ播遷し、江華島一帯に避難民が大挙流入すると、これらを収容するための土地と食糧確保などを目的に江華島と近隣島嶼への干拓が始まった。この時期に始まった干拓は20世紀まで続き、現在の江華島沿岸の海岸線を作った[3]。当初、いくつかの小さな島だった喬桐島本島もこのような干拓で現在の大きな一つの島となった。
- 1895年(高宗32年)に江華郡に編入されたものの、すぐに復旧し、郡になって仁川府の管轄になったが、翌年に京畿道管轄の喬桐郡となった。管轄に喬桐島の4面と席毛島北部の松家面を含む5面があった。松家面は当初に独立した島だったが、後に干拓で地形的に席毛島と繋がった。
→詳細は「喬桐面」を参照
脚注
[編集]- ^ a b c d e 「교동현 喬桐縣」(朝鮮語)『增補 새國史事典 (ENCYCLOPEDIA OF KOREAN HISTORY [증보] 새 국사사전)』(増補1版12刷)敎學社、ソウル、1996年。ISBN 8909005068。
- ^ 千寬宇説
- ^ 강화도 간척 :: 네이버 이미지검색Template:깨진 링크