北方村 (愛知県)

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きたがたむら
北方村
北方村道路元標
北方村道路元標
廃止日 1955年(昭和30年)4月1日
廃止理由 編入
現在の自治体 一宮市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
葉栗郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 4.09 km2.
総人口 5,993
国勢調査、1950年10月1日)
隣接自治体 愛知県一宮市葉栗郡木曽川町
岐阜県羽島郡松枝村笠松町八剣村下羽栗村川島村
北方村役場
所在地 愛知県葉栗郡北方村大字北方字勅使53
座標 北緯35度21分45秒 東経136度46分50秒 / 北緯35.36239度 東経136.78061度 / 35.36239; 136.78061 (北方村)座標: 北緯35度21分45秒 東経136度46分50秒 / 北緯35.36239度 東経136.78061度 / 35.36239; 136.78061 (北方村)
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北方村(きたがたむら)は、かつて愛知県葉栗郡にあった。現在の一宮市の北方町連区の区域を村域とした。

歴史[編集]

年表[編集]

  • 万治2年(1659年) - 木曽川の管理のため、北方村に川並番所が設けられる[1]
  • 天明元年(1781年) - 尾張藩により、北方村に北方代官所が設置され、尾張国美濃国の尾張藩領のうち171ヶ村(87,193石)を管轄する[2]。北方代官は川並奉行を兼任することになる[3]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、北方村と中島村が合併して北方村となる[4]
  • 1906年(明治39年)5月10日 - 北方村と黒田町大字曽根が合併し、改めて北方村となる[5]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 一宮市に編入され廃止[6]

行政[編集]

村役場[編集]

1906年(明治39年)5月の合併当時は大字北方神明7番に村役場を置いた[5]

1951年(昭和26年)5月時点では大字北方字勅使53番地にあった[7]。現在、同所には一宮市北方町出張所が位置する。

教育[編集]

小学校[編集]

中学校[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

木曽川橋の完成を機に、尾西鉄道が新一宮駅(現:名鉄一宮駅)から路線を延長し、1914年(大正3年)8月に大字北方字宝江に終着駅の木曽川橋駅が開業した[8][9]。1918年には木曽川の舟運との連絡のためさらに延長して、貨物駅の木曽川港駅が設けられた[10]。尾西鉄道の路線は1925年に名古屋鉄道に譲渡され、尾西線となった[11]。尾西鉄道を譲り受けた名古屋鉄道は1928年までに名古屋市内の押切町駅から新一宮駅までを全通させると、名古屋市内から木曽川橋駅までの直通列車を運行し、更に木曽川橋駅と笠松駅の間に連絡バスを運行した[12]。一方で名古屋と岐阜を最短で結ぶため一宮と笠松の間に新線を敷設する計画も進め、1935年4月に開通した[13]。同路線は北方村内を通過していたが、1939年3月に木曽川堤駅が開業した。

尾西線のうち奥町駅から木曽川港駅までは太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月に休止となった[14]。戦後、奥町駅から玉ノ井駅までは1951年12月に再開したが、木曽川港駅までは休止のまま1959年11月に廃止となった[15]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 愛知県史編さん委員会 編『愛知県史』 通史編4《近世1》、愛知県、2019年3月29日。全国書誌番号:23215119 
  • 林董一『尾張藩公法史の研究』日本学術振興会、1962年3月25日。全国書誌番号:63000705 
  • 愛知県総務部市町村課 編『市町村沿革史 ―地方自治法施行70周年―』(四訂版)愛知県、愛知県市長会、愛知県町村会、愛知県市町村振興協会、2017年12月1日。全国書誌番号:23030454 
  • 井関弘太郎 著「第一九章 戦後の都市形成」、塩澤君夫 編『新編 一宮市史 本文編』 下巻《近代編》、1977年9月1日、875–921頁。全国書誌番号:77007035 
  • 愛知県総務部統計課 編『愛知県郡市町村勢要覧』愛知県統計協会、1951年10月15日。 NCID BA6289555X 
  • 『葉栗郡紀要』愛知縣葉栗郡役所、1921年3月28日。 NCID BN10345616 
  • 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 編『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年5月16日。全国書誌番号:61008929 

関連項目[編集]