前畑安宏

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前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は、日本文部官僚。元文部省体育局長、高等教育局長、生涯教育局長。放送大学学園法法案作成に携わった。長崎県出身。

経歴[編集]

1934年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て[1]1960年九州大学法学部を卒業後、文部省に入省[2]。入省同期に坂元弘直(元文部事務次官)、内田弘保(元文化庁長官)らがいる[2]。大学局高等教育計画課企画官時代の1978年には放送大学学園法の法案作成チームリーダーを務めた[3]。その後文化庁文化部長などを経て、文部省官房審議官、体育局長、高等教育局長、生涯教育局長を歴任し[2]1993年に退官。退職後は放送大学学園監事、日本一輪車協会会長などを務めた。2005年瑞宝中綬章受章[4]

略歴[編集]

人物[編集]

  • 放送大学学園法法案作成チームの一員であった寺脇研は、前畑が文部省の「鬼軍曹」と称されていたと記している[3][5]

発言[編集]

  • 長崎大学1992年概算要求西岡武夫衆議院議員長崎1区選出)の文部省に対する圧力によって削られたとして、土山秀夫長崎大学学長が文部省を批判。これに対して前畑は、土山学長の発言は文部省に対する中傷であると非難したうえで「もともと長崎大学はたいした大学ではない」などと発言し、大学関係者を中心に波紋を呼んだ[6]。のちに、長崎大学が全国に98ある国立大学の一つに過ぎないという趣旨であったと釈明し、不穏当であったとして発言を取り消した[6]

脚注[編集]

  1. ^ 「公開討論うやむやに?!」 『朝日新聞』1992年2月19日付朝刊、4面。
  2. ^ a b c 「文部次官に坂元弘直氏、文化庁長官に内田弘保氏」 『朝日新聞』1992年6月24日付朝刊、3面。
  3. ^ a b 寺脇、72頁。
  4. ^ 「国内の主な受章者と海外関係分 春の叙勲」 『朝日新聞』2005年4月29日付朝刊、14面。
  5. ^ 寺脇、77頁。
  6. ^ a b 「波紋呼ぶ文部省局長発言 長崎大学批判」 『朝日新聞』1991年12月5日付朝刊、27面。

参考文献[編集]

  • 寺脇研『官僚批判』講談社、2008年。ISBN 978-4-06-213885-7 

外部リンク[編集]