三笑亭可楽 (5代目)

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五代目三笑亭 可楽(さんしょうてい からく)は、落語家。江戸と上方に二名いる。

江戸[編集]

江戸5代目 三笑亭さんしょうてい らく
本名 平田 芳五郎
生年月日 1836年
没年月日 1904年12月12日
出身地 日本の旗 日本
師匠 4代目三笑亭可楽
名跡 1. 中橋連芳丸(? - 1867年)
2. 三笑亭芝楽(1867年 - 1889年)
3. 5代目三笑亭可楽(1889年 - 1895年)
活動期間 ? - 1895年

東京5代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1836年(逆算) - 1904年12月12日)は、落語家。本名、平田 芳五郎

元は仕立屋。初めは天狗連で、本名から命名したものと推測される中橋連芳丸(一説には由丸)と名乗っていた。

1867年ころ4代目三笑亭可楽(爆弾可楽)の門下に入り三笑亭芝楽で初高座。その後1889年3月に可楽か花楽の改名話があり、結局5代目可楽を襲名した(このときすでに上方5代目がいた)。

人情噺の『清元延寿太夫』を得意とした。1895年2月に日本橋葺屋町大ろじ亭下席で引退披露興行を行った。以後の消息は不明。

上方[編集]

上方5代目 三笑亭さんしょうてい 可楽からく
本名 原 吉弥
別名 京の可楽
京都の可楽
播磨家
生年月日 不詳年
没年月日 1890年5月20日
師匠 3代目三笑亭可楽
2代目笑福亭吾竹
名跡 1.笑福亭小三馬(? - 1876年)
2.4代目笑福亭吾竹(1876年 - 1887年)
3.上方5代目三笑亭可楽(1887年 - 1890年)

上方5代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、? - 1890年5月20日)は、本名、原 吉弥。俗に「京の可楽」「京都の可楽」。あだ名は禿げ頭だったことから「播磨家」(ハゲマヤの洒落)。

3代目三笑亭可楽(武生可楽)の門流で2代目笑福亭吾竹の客分であった。

初名を笑福亭小三馬。1876年頃に4代目笑福亭吾竹を経て、1887年11月、上方5代目三笑亭可楽を襲名したとされる。

江戸(東京)のネタを多く演じ長編人情噺を得意とした。

墓所は墨田区本久寺。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 古今東西噺家紳士録