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リチャード・ウィルソン・ペトリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リチャード・ウィルソン・ペトリー

リチャード・ウィルソン・ペトリー(Richard Wilson Petree, 1924年6月4日[1] - 2015年2月8日[2])は、アメリカ合衆国外交官

生涯

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1924年にニューヨーク州ジェームズタウンで誕生[1]。1948年にコロラド大学で学士号を取得[1]。1950年にハーバード大学で修士号を取得[1]。1943年から1946年までアメリカ海軍に海軍予備役として所属[1]。1945年から1946年まで海軍東洋言語学校に在籍[3]

1946年から1947年まで陸軍省で人事職員を務め[1]軍政下の朝鮮ソウルに駐在[3]。1949年から1950年まで実習生として国務省に勤務[3]。1950年に国務省に入省[1]情報調査局東アジア部で勤務[4]。1957年から1960年まで日本の東京大使館で労働官補として勤務[4]。1960年6月から1963年8月まで日本の福岡領事館で首席領事[5]。1963年から1967年まで極東局東アジア部の日本課に所属[4]、1964年8月から1966年6月まで極東局東アジア部日本課長[6]。1967年から1968年まで国防大学に在籍[1]。1968年から1972年までエチオピア帝国アディスアベバ大使館で政治担当官[1]、および参事官(政治担当)[1]

1972年から1973年まで日本で那覇総領事[1]。1973年から1976年まで東京大使館で参事官(政治担当)[1]。1976年から1978年までアメリカ国連代表部で公使参事官(政治・安全保障担当)[1]。1979年から1981年までアメリカ国連代表部副代表[1][3]。1981年に国務省を退職[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Jimmy Carter: United Nations Nomination of Richard W. Petree To Be Deputy U.S. Representative in the Security Council.”. The American Presidency Project. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月17日閲覧。
  2. ^ Obituary: Richard W. (Dick) Petree
  3. ^ a b c d e The US Navy Japanese/Oriental Language School Archival Project”. University of Colorado (2008年11月1日). 2012年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c AMBASSADOR RICHARD W. PETREE, TABLE OF CONTENTS”. Association for Diplomatic Studies and Training. 2012年8月17日閲覧。
  5. ^ 在福岡アメリカ領事館 歴代首席領事”. U.S. Department of State. 2012年8月17日閲覧。
  6. ^ 秦郁彥 (2001). 世界諸国の制度・組織・人事, 1840-2000. 東京大学出版会. p. 615 
公職
先代
トマス・ウィリアム・エインズワース
アメリカ合衆国国務省極東局東アジア部日本課長
1964年8月 - 1966年6月
次代
リチャード・リー・スナイダー
(日本部長)
先代
リチャード・ミドルトン・ハーンドン
アメリカ合衆国の旗 在福岡米国領事館首席領事
1960年6月 - 1963年8月
次代
トマス・P・シュースミス