リカ (駆逐艦・初代)

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リカ (SMS Lika) はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の駆逐艦。タトラ級

艦歴[編集]

1912年4月30日、ガンツ・ダヌビウス社のPorto Réの造船所で起工。1913年3月15日、進水[1]1914年8月8日竣工[2]

第一次世界大戦[編集]

タトラ級6隻は第1水雷隊を編成し、巡洋艦「サイダ」などとともに第1水雷戦隊に属していた[3]。なお、1914年10月20日に「サイダ」は「ヘルゴラント」と交代している[4]

1914年11月と12月や1915年4月に「ヘルゴラント」が駆逐艦を伴って出撃しているが[5]、「リカ」が参加しているかはわからない[6]

1915年2月18-19日、「ヘルゴラント」とタトラ級6隻はオトラント海峡へ出撃したが、敵を見なかった[4]

1915年5月23日、イタリアはオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。同日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦などは出撃し、アンコーナなどの攻撃へと向かった。それに先立つ5月19日、南からのイタリア艦隊来襲に備え偵察部隊が出撃した[7]。そのうちの一つは巡洋艦「ヘルゴラント」とタトラ級4隻(「チェペル」、「リカ」、「Orjen」、「タトラ」)からなり、ペラゴーザ島とイタリア本土のガルガーノ岬との間へと向かった[7]。5月23から24日の夜に偵察部隊はイタリア沿岸の目標攻撃を命じられ、「リカ」はヴィエステを攻撃した[8]

一方、5月24日4時過ぎ、バルレッタ攻撃中の「ヘルゴラント」と「Orjen」はイタリア駆逐艦「アキローネ」、「トゥルビーネ」と遭遇[8]。「ヘルゴラント」は北へ向かった「トゥルビーネ」を追跡[8]。その後、「チェペル」、「タトラ」および「リカ」も攻撃に加わった[8]。「リカ」は6時25分に到着し、66㎜砲弾を「トゥルビーネ」の蒸気管に命中させて速度を低下させた[9]。「トゥルビーネ」はさらに他の艦からの攻撃でも被弾[10]。白旗を揚げた後、沈没した[8]

次いでイタリア巡洋艦「リビア」と仮装巡洋艦「Cittá di Siracusa」が救援に現れ攻撃を受けたが、「リビア」を戦艦と誤認した「ヘルゴラント」艦長は交戦を避け、速度に勝るオーストリア=ハンガリー帝国側は相手の追跡を振り切った[11]

7月23日、「ヘルゴラント」やタトラ級駆逐艦などによるイタリア沿岸襲撃が実施された[12]。「リカ」と「トリグラフ」はトレーミティ諸島に兵を上陸させて電信ケーブルを切断した[13]

7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は巡洋艦「サイダ」、タトラ級駆逐艦6隻などでイタリアが7月11日に占領したペラゴーザ島に対する攻撃を実施[14]。砲撃後に108名を上陸させたが、オーストリア=ハンガリー帝国側は敵兵力を過小評価しており、撃退された[15]

8月17日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は巡洋艦「ヘルゴラント」と「サイダ」や「リカ」などで再びペラゴーザ島を攻撃[16]。真水のタンクないし貯水池[17]などを破壊し、この攻撃後イタリア軍は島から撤退した[18]

10月、オーストリア=ハンガリー帝国軍やドイツ軍はセルビアに対する攻勢を開始[19]。続いてブルガリア軍もセルビアに侵攻し、セルビアへのサロニカからの補給ルートを切断[20]。アドリア海側からのルートがその代わりとなり、その切断がオーストリア=ハンガリー帝国海軍に求められた[21]。11月22日に「ヘルゴラント」と「サイダ」やタトラ級駆逐艦などは出撃してオトラント海峡へ向かい、2隻の船(「Palatino」、「Gallinara」)を沈めた[22]。この後、タトラ級駆逐艦は巡洋艦「ヘルゴラント」や「ノファラ」などとともにカッタロへ移された[23]。12月6日、「ヘルゴラント」、「サイダ」[24]とタトラ級駆逐艦はドゥラッツォ港を攻撃した[25]

12月28日にドゥラッツォで[26]発見された2隻のイタリア駆逐艦など[27]を攻撃するため、同日夜[28]カッタロより「ヘルゴラント」、「バラトン」、「チェペル」、「リカ」、「タトラ」、「トリグラフ」が出撃した[25]。イタリア駆逐艦は発見されず、12月29日夜明けにドゥラッツォ港内に侵入した「チェペル」、「リカ」、「タトラ」、「トリグラフ」は汽船1隻とスクーナー2隻を沈めた[29]。港外で出る際、おそらく「ヘルゴラント」の射線をふさがないようにしようとしたため(または沿岸砲の砲撃を避けようとして[30])機雷原に入ってしまい、二つの機雷に触れた「リカ」は沈没[29]。「タトラ」により34名が救助された[31]。また、「トリグラフ」も触雷した。この機雷はイタリア巡洋艦「Puglia」と嚮導駆逐艦「Guiglielmo Pepe」により敷設されたものであった[32]

脚注[編集]

  1. ^ Greger, p. 44
  2. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 23
  3. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 69-70
  4. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 184
  5. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 119-120, 122, 150
  6. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918には艦名や艦名が特定できることが書かれていないため
  7. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 29
  8. ^ a b c d e Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 30
  9. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 30, Clash of Fleets, Action off Vieste
  10. ^ Clash of Fleets, Action off Vieste
  11. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 171-172
  12. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 31, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 185
  13. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 185
  14. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 186, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  15. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  16. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 188-189
  17. ^ 英語ではfreshwater cistern
  18. ^ A Naval History of World War I, p. 150
  19. ^ A Naval History of World War I, p. 152
  20. ^ A Naval History of World War I, pp. 152-153
  21. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32, A Naval History of World War I, p. 153
  22. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 205
  23. ^ A Naval History of World War I, p. 154
  24. ^ A Naval History of World War I, p. 154などでは「サイダ」の名前はない
  25. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33
  26. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210ではドゥラッツォ付近
  27. ^ 他資料では駆逐艦2隻以外の記述はない
  28. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210では12月29日夕刻。そのため、「リカ」、「トリグラフ」触雷は12月30日となっている。
  29. ^ a b A Naval History of World War I, p. 156, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33
  30. ^ Clash of Fleets, Battle of Durazzo
  31. ^ Bilzer, p. 116
  32. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210

参考文献[編集]

  • Bilzer, Franz F. (1990). Die Torpedoschiffe und Zerstörer der k.u.k. Kriegsmarine 1867–1918. Graz: H. Weishaupt. ISBN 3-9003-1066-1 
  • Greger, René (1976). Austro-Hungarian Warships of World War I. London: Ian Allan. ISBN 0-7110-0623-7 
  • Halpern, Paul G. (1994). A Naval History of World War I. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-352-4 
  • Noppen, Ryan K. (2016). Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18. New Vanguard. 241. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-4728-1470-8 
  • O'Hara, Vincent P. & Heinz, Leonard R. (2017). Clash of Fleets: Naval Battles of the Great War, 1914-18. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press (電子版)
  • Zvonimir Freivogel, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, Despot Infinitus, 2019, ISBN 978-953-8218-40-8
  • Zvonimir Freivogel, Austro-Hungarian Cruisers in World War One, Despot Infinitus, 2017, ISBN 978-953-7892-85-2