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ラモン2世 (リバゴルサ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラモン2世
Ramón II
リバゴルサ伯
在位 955年 - 970年

出生 10世紀
死去 970年
配偶者 ガルサンド・ダルマニャック
子女 本文参照
家名 ビゴール家
父親 リバゴルサ伯ベルナルド1世
母親 トダ・ガリンデス・デ・アラゴン
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ラモン2世スペイン語:Ramón II, ? - 970年)は、リバゴルサ伯(在位:955年 - 970年)[1][2]

生涯

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ラモン2世はリバゴルサ伯ベルナルド1世とトダ・ガリンデス・デ・アラゴンの息子である。母トダはアラゴン伯ガリンド2世・アスナーレスの娘であった。

956年、祖父ラモン1世が計画した自身の伯領内への司教区の創設を推し進めた。最終的にラモン2世はロダ・デ・イサベナに司教座を設けることができたが、ロダ・デ・リバゴルサ司教区はリバゴルサ伯領内に限られ、パリャース伯領には及ばなかった[3]。ラモン2世の息子の1人はロダ司教となった[1]

結婚と子女

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ラモン2世はアルマニャック伯ギヨーム・ガルセスの娘ガルサンドと結婚した。2人の間には以下の子女が生まれた。

  • ウニフレド(? - 979年) - リバゴルサ伯
  • アルナルド(? - 990年) - リバゴルサ伯
  • イサルノ(? - 1003年) - リバゴルサ伯
  • アバ(945年以前 - 995年以降) - カスティーリャ伯ガルシア・フェルナンデスと結婚[4]
  • トダ(? - 1011年) - リバゴルサ女伯。パリャース伯スニエー1世と結婚。
  • オデシンド(オディッセン)(? - 975年) - ロダ司教

脚注

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  1. ^ a b Mestre 1998, p. 919.
  2. ^ Grup Enciclopèdia Catalana, ed (1968). “Ramon III de Ribagorça”. Gran Enciclopèdia Catalana. Barcelona: Edicions 62. https://www.enciclopedia.cat/gran-enciclopedia-catalana/ramon-iii-de-ribagorca 2022年12月4日閲覧。 
  3. ^ de Riquer i Permanyer 1998, p. 161.
  4. ^ Martínez Díez 2005, p. 459.

参考文献

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  • de Riquer i Permanyer, Borja (1998). Història: Política, Societat i Cultura dels Països Catalans Volum 2 La formació de la societat feudal segles VI-XII. Enciclopèdia Catalana. ISBN 84-7739-980-8 
  • Mestre i Campi, Jesús (1998). “Ramon II de Pallars-Ribagorça”. Diccionari d'Història de Catalunya. Edicions 62. ISBN 84-297-3521-6 
  • El condado de Castilla, 711-1038: la historia frente a la leyenda. vol.1. Marcial Pons Historia. (2005). ISBN 8495379945