ラモン2世 (リバゴルサ伯)
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ラモン2世 Ramón II | |
---|---|
リバゴルサ伯 | |
在位 | 955年 - 970年 |
出生 |
10世紀 |
死去 |
970年 |
配偶者 | ガルサンド・ダルマニャック |
子女 | 本文参照 |
家名 | ビゴール家 |
父親 | リバゴルサ伯ベルナルド1世 |
母親 | トダ・ガリンデス・デ・アラゴン |
ラモン2世(スペイン語:Ramón II, ? - 970年)は、リバゴルサ伯(在位:955年 - 970年)[1][2]。
生涯
[編集]ラモン2世はリバゴルサ伯ベルナルド1世とトダ・ガリンデス・デ・アラゴンの息子である。母トダはアラゴン伯ガリンド2世・アスナーレスの娘であった。
956年、祖父ラモン1世が計画した自身の伯領内への司教区の創設を推し進めた。最終的にラモン2世はロダ・デ・イサベナに司教座を設けることができたが、ロダ・デ・リバゴルサ司教区はリバゴルサ伯領内に限られ、パリャース伯領には及ばなかった[3]。ラモン2世の息子の1人はロダ司教となった[1]。
結婚と子女
[編集]ラモン2世はアルマニャック伯ギヨーム・ガルセスの娘ガルサンドと結婚した。2人の間には以下の子女が生まれた。
- ウニフレド(? - 979年) - リバゴルサ伯
- アルナルド(? - 990年) - リバゴルサ伯
- イサルノ(? - 1003年) - リバゴルサ伯
- アバ(945年以前 - 995年以降) - カスティーリャ伯ガルシア・フェルナンデスと結婚[4]
- トダ(? - 1011年) - リバゴルサ女伯。パリャース伯スニエー1世と結婚。
- オデシンド(オディッセン)(? - 975年) - ロダ司教
脚注
[編集]- ^ a b Mestre 1998, p. 919.
- ^ Grup Enciclopèdia Catalana, ed (1968). “Ramon III de Ribagorça”. Gran Enciclopèdia Catalana. Barcelona: Edicions 62 2022年12月4日閲覧。
- ^ de Riquer i Permanyer 1998, p. 161.
- ^ Martínez Díez 2005, p. 459.
参考文献
[編集]- de Riquer i Permanyer, Borja (1998). Història: Política, Societat i Cultura dels Països Catalans Volum 2 La formació de la societat feudal segles VI-XII. Enciclopèdia Catalana. ISBN 84-7739-980-8
- Mestre i Campi, Jesús (1998). “Ramon II de Pallars-Ribagorça”. Diccionari d'Història de Catalunya. Edicions 62. ISBN 84-297-3521-6
- El condado de Castilla, 711-1038: la historia frente a la leyenda. vol.1. Marcial Pons Historia. (2005). ISBN 8495379945