ユーグ12世・ド・リュジニャン
表示
ユーグ12世・ド・リュジニャン Hugues XII de Lusignan | |
---|---|
ラ・マルシュ伯 アングレーム伯 | |
在位 | 1250年 - 1270年 |
出生 |
1235/40年 |
死去 |
1270年8月25日以降 |
配偶者 | ジャンヌ・ド・フージェール |
子女 | 本文参照 |
家名 | リュジニャン家 |
父親 | ラ・マルシュ伯・アングレーム伯ユーグ11世 |
母親 | ヨランド・ド・ブルターニュ |
ユーグ12世・ド・リュジニャン(Hugues XII de Lusignan, 1235/40年 - 1270年8月25日以降)は、リュジニャン、クエおよびペイラの領主、ラ・マルシュ伯およびアングレーム伯(在位:1250年 - 1270年)。ラ・マルシュ伯・アングレーム伯ユーグ11世とヨランド・ド・ブルターニュの息子[1]。
生涯
[編集]1250年の父の死後、領地を継承した。
1253/4年1月29日にフージェールにおいて、フージェール領主ラウル3世とイザベル・ド・クラオンの娘ジャンヌ・ド・フージェール(1273年以降没)と結婚した[2]。2人の間には6子が生まれた。
- ユーグ13世(1259年 - 1303年)[2] - ラ・マルシュ伯およびアングレーム伯
- ギー(1260/5年 -1308年)[2] - ラ・マルシュ伯およびアングレーム伯
- ヨランド(1257年 - 1314年)[2] - ラ・マルシュ女伯、ポンス領主エリー・リュデルおよびマテ領主ロベールと結婚
- ジャンヌ(1260年 - 1323年) - アルブレ領主ベルナール・エジ3世およびピエール・ド・ジェネヴィルと結婚[2]
- マリー(1312年以降没) - 1288年にサンセール伯エティエンヌ2世(ブロワ家)と結婚[2]
- イザベル - ジャン・ド・ヴェシーと結婚[2]
ユーグ12世・ド・リュジニャンは1270年、フランス王ルイ9世とともに参加していた第8回十字軍の初期の戦いで戦死した[3]。長男のユーグ13世が跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ Morvan 2009, p. 19.
- ^ a b c d e f g Morvan 2009, table 19.
- ^ Cinquième Série 1930, p. 127.
参考文献
[編集]- Morvan, Frederic (2009) (French). La Chevalerie bretonne et la formation de l'armee ducale, 1260-1341. Presses Universitaires de Rennes
- Cinquième Série (1930). “BULLETIN DE L'ACADÉMIE DES INSCRIPTIONS” (French). Revue Archéologique (Editions Belin) T. 32 JUILLET-DÉCEMBRE.
|
|
|