ミシシッピ・アフリカ

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ミシシッピ・アフリカ(Mississippi-in-Africa)は、19世紀西アフリカの現リベリアシノエ郡植民地アメリカ合衆国ミシシッピ州ジェファーソン郡綿花プランテーションの所有者だったアイザック・ロス(Isaac Los)が1836年に死んだ時、プランテーションで奴隷として働かされていた解放黒人約200人をアフリカに移住(入植)させた。ルイジアナ州植民地会社により、現リベリアにミシシッピ・アフリカ植民地(Mississippi-in-Africa colony)と名付けられた、入植地を解放奴隷が築いた。しかし、原住民のクル族バッサ族の攻撃に悩まされていたこともあり、この植民地は1842年リベリア連邦に、シノエ郡として統合した。

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