マーティン・グリーン (著者)

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マーティン・グリーン(Martin Green、1932年7月10日 - 2015年2月4日)は、イギリス生まれの作家、編集者、出版業者である。

背景[編集]

イングランド、チェシャー州のストックポートで生まれたグリーンは、A・S・ニールのサマーヒルで教育を受け、両親はスペイン内戦国際旅団として戦っていた。 グリーンは、トリストラム・ハルとともに文学雑誌『Nimbus』(1951-58年)を創刊し、その後、マクギボン&キー社で編集者として働き、ティモシー・オキーフとともに、ネル・ダンの『Up the Junction』(1963年)などの本を出版している。その後、編集者のブライアン・ルーニーとともに、自分たちの出版社「マーティン・ブライアン&オキーフ」を設立した。ここでグリーンは、画家のパトリック・スウィフトと詩人のアンソニー・クローニンの提案に従って、パトリック・カバナを収集・出版した。 グリーンはまた、フラン・オブライエン、ヒュー・マクディアミド、フランシス・スチュアート、コリン・マッキネス[1] ロバート・グレーブス、フランク・サルゲソン、ポール・ポッツ、その他多くの作家の本も出版している。[2]

妻でアーティストのフィオナ・グリーンとロンドンに住んでいた頃、タボ・ムベキとアフリカ民族会議(当時は禁止されていた)は、フィッツロビアの自宅で会合を開いていた。 1969年、グリーンは詩人のポール・ダーキンとともに詩季刊誌『Two Rivers』を創刊し、ロンドンのトッテナム街28番地の自宅から発行した。タイトルは、ロンドンのテムズ川とダルカンの住むアイルランド・ダブリンのリフィー川にちなんだものである。

グリーンは自著を8冊出版したほか、4本の戯曲を発表し、『もうひとりのジェローム・K・ジェローム』(1984年)、『ダブリンを離れて』(1985年)など多数の出版物にも寄稿している。6人の子供と8人の孫がおり、愛猫ネフェルティティとともにコーンウォールのニューリンに住んでいた。

参考文献[編集]

  1. ^ Gould, Tony (2003). Inside Outsider: The Life and Times of Colin MacInnes. Twentieth Century Classics. Allison & Busby. ISBN 978-0749001919 
  2. ^ sources ISBN 0-85616-220-5

外部リンク[編集]